カレン達が泊まる最初の宿は、立派な屋敷だった。魔物討伐の時だけでなく、騎士が旅をする時は街道沿いの屋敷をいつでも使うことが許されている。カレンも王都に向かう時に一度この屋敷を利用したので覚えがあった。
カレンは広くて豪華な部屋に通された。部屋の中は既に暖炉のおかげで暖かい。屋敷の使用人の女がカレンの世話をすることになっていて、すぐに暖かいハーブティーを淹れてくれた。何から何まで至れり尽くせりである。
アウリスまでは馬車で七日ほどかかる。ここはそれほど雪が多くない地域だが、慎重に進む為、到着が少し延びるかもしれないとエリックは話した。
教会から離れ、ようやくカレンの頭もすっきりとしてきた。教会では一日の殆どを部屋の中で過ごしていた為、一日中頭の中がぼんやりとしていた。部屋の中ではひたすら本を読んだり、腹筋をして侍女を驚かせたりしていた。朝起きて祈りを捧げ、聖女達と食事を食べ、部屋に戻る。毎日毎日それの繰り返しで、いつしかカレンは口数も減り、まるで人形のように手足を動かすだけになっていた。
外の空気が吸いたくなり、カレンは屋敷の外に出てみた。屋敷は周囲を全て塀で囲われ、頑丈な鉄の門が屋敷を守っている。
聖女は勝手に外を歩いてはならないという決まりはあるが、門で囲われているので心配はないだろう。そう思いカレンが屋敷の庭を歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「カレン様。散歩でしたら僕が付き添います」
振り返ると、そこにはブラッドの弟、ジェフリーが立っていた。
「ありがとう。でもこの辺りを歩くだけですから」
「そういう決まりですので、お付き合いします」
ジェフリーは頑なに言い張り、真顔でカレンに着いてきた。こういう所もブラッド様に似ているなと、カレンは思わず笑みを浮かべる。
「何か?」
不思議そうなジェフリーに、カレンは笑いながら首を振る。
「いえ、お兄様にそっくりだなと思って」
「ああ……よく言われます」
ジェフリーはちょっと迷惑そうな顔をしていた。
「私の護衛でわざわざ王都まで来てもらって、すみません」
「聖女様をお守りするのは、騎士の大切な役目ですから。兄はカレン様のことをとても心配していました。本当は兄が直接カレン様を迎えに行きたかったようですが、討伐がありますのでアウリスを離れられなくて……なので代わりに僕が」
「そうですか……」
ブラッドが心配していた、というジェフリーの言葉にいちいち反応してしまう自分に、なんだか苛立つカレンである。
「ジェフリー様は、領主様の屋敷にいるんですよね」
「はい。領主様をお守りする役目です。魔物討伐に比べると地味な仕事かもしれませんが……」
「地味だなんて。立派な仕事じゃないですか」
ジェフリーは笑みを浮かべる。
「兄はもっと立派です。副団長として魔物と戦い、アウリスの平和を守っているのですから。兄は騎士団で最も危険な任務に就いているのです」
ジェフリーの横顔は誇らしげで、兄への尊敬の気持ちが伝わってくる。
「なんかいいですね、兄弟って。私、一人っ子だから憧れます」
「そうですか? 確かに我が家は兄弟の仲はいいですが、他の家は兄弟同士で血なまぐさい争いがあったり、なかなか大変なようですよ。兄弟などいらないとぼやく仲間もいます」
貴族の家は色々あるんだろうな、と思いながらカレンは話を聞いていた。
「ああ、いたいた! 駄目だよ勝手に外に出ちゃ」
エリックがカレンとジェフリーを見つけて駆け寄って来た。
「ごめんなさい。ちょっと外の空気を吸いたくて……でもジェフリー様がそばにいてくれました」
「散歩したいなら僕が付き合うのに……外は寒いから中に戻ろうか。ジェフリー、ありがとう。君も中で休むといいよ」
「はい、エリック様」
ジェフリーはすっと後ろに下がった。
♢♢♢
夕食が終わり、カレンはエリックに誘われ談話室に来ていた。二人はスパイスの効いたホットワインを飲んでいる。
「温まりますね、すごく美味しいです、これ」
カレンが顔をほころばせると、エリックはカレンの顔をじっと嬉しそうに見つめた。
「何ですか?」
「いや、ようやく元のカレンに戻って来たなと思って。ずっと顔がこんなになってたから」
そう言うとエリックはわざとらしく眉間に皺を寄せた。
「私、そんな顔してないですよ」
「してたよ。ディヴォスで会った時からずーっとね」
「大げさなんだから……」
眉間に皺を寄せながら、カレンはカップを口に運ぶ。
「そう言えばカレン、王都でコーヒーは飲めたの?」
「それが、残念ながら飲めなかったです。聞いてはみたんですけど……教会の人達はコーヒーが好きじゃないのかな」
天井を見上げてため息をついたカレンに、エリックは「そのことなんだけど、カレン」とニヤリと笑った。
「何ですか?」
「教会に行く前に王城に立ち寄ったんだけど、そこでコーヒー豆をもらってきたから、アウリスでコーヒーが飲めるよ」
カレンは一瞬ポカンとした後、ぱあっと顔を輝かせた。
「豆をもらってきてくれたんですか!? 嬉しい……あ、でも豆だけあっても淹れ方が分からないと……」
「心配ないよ。コーヒーを淹れる職人も一緒に連れてきたから」
さらりと言ってカップを口に運ぶエリックに、カレンは目を丸くした。
「え? 職人も連れてきた……?」
「うん。気づかなかった? 一緒に来たんだよ」
「コーヒーを淹れる為に、わざわざ一人連れてきたんですか……?」
「そうだけど。僕、何かおかしいこと言った?」
エリックはキョトン、と首を傾げる。
(さすが王子! 感覚が庶民と違い過ぎる!)
「いや……職人さんはそれでいいんですか……? 急にアウリスに行けなんて言われて……」
戸惑うカレンに、エリックは心から不思議そうな顔をした。
「王城よりも高い給料を払うと言ったら、彼も喜んで一緒に行くと言っていたよ」
「それならいいんですけど……」
コーヒーが飲みたいと言っていたのは確かだが、まさか職人ごとコーヒーを持ってくるとは、エリックの行動力に改めて驚くカレンだった。
「そうだ……ずっと気になってたことがあるんだけど。どうしてあの日、ブラッドに何も言わずに王都へ行ったの?」
突然、エリックはカレンが黙って王都に行ったあの日のことを尋ねてきた。カレンは目を泳がせ、カップをテーブルに置いて俯く。
「ブラッド、凄くショックを受けていたんだよ。あの後ずっと落ち込んじゃってさ。喧嘩でもした?」
「……いえ」
カレンは俯いたまま首を振った。
「……何か、あった? ブラッドと」
エリックは探るような目つきでカレンを見る。
「……あの日……私、ブラッド様の部屋に行く約束をしてたんですよ」
その言葉でエリックは全てを悟ったような顔をした。
(なるほどね。だからあの時、あいつは香水をつけてたのか)
エリックは遠くを見ながらため息をつく。
「それで、何で部屋に行かなかったの?」
「……だって、ブラッド様にはセリーナ様がいるでしょ? セリーナ様、サイラス団長との婚約を解消したって聞いて……だから、もういいんですよ。終わった話です」
カレンは吐き捨てるように言うと、ホットワインをぐいっと飲んだ。
「確かに、ブラッドとセリーナ様は婚約するんじゃないかって噂は流れてるね。まだ婚約してないみたいだけど」
「婚約してない? まだ?」
カレンは驚いた顔でエリックを見た。
「うん。団長と婚約解消した理由は、セリーナ様がブラッドを選んだからだって話はあるね。ただ、ブラッドに聞いても何も教えてくれないんだよね……あいつ、秘密主義だから」
「てっきり二人はもう婚約してるものだと思ってました……でも、いずれは婚約するんでしょうね」
カレンは椅子に寄りかかり、ため息をついた。
「まあ、そうなるだろうね……でも、君とブラッドがそういう仲だったとは驚いたよ」
「それは違いますよ、エリック様。私達は別に、そういう関係じゃなかったし、これからも違います。終わった話だと言ったじゃないですか」
カレンは苛立ったような口調で言い張り、ホットワインをぐいっと飲んだ。
二人が話していた談話室に、ジェフリーがやってきた。
「エリック様、カレン様。そろそろお休みになられた方が」
「なんだ、ジェフリー。まだ起きてたの?」
「ええ、カレン様がお休みになるまでは起きていますよ。エリック様も参りましょう、明日も早いですから」
「やれやれ、君は兄に似て真面目だね」
エリックは苦笑いしながらカレンに目をやる。
「私もそろそろ寝ようと思ってました。行きましょうか、エリック様」
「そうだね……」
あくびをかみ殺しているエリックとカレンは椅子から立ち上がり、ジェフリーに付き添われて部屋まで戻った。