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第55話 出発前夜・3

 夜も更けた頃、ブラッドは自分の部屋の中でずっと落ち着かない様子だ。


 椅子に座ったり立ったり、ベッドに腰かけてみたり、棚からワインとカップを二つ取り出してテーブルの上に置いた後、首を傾げてまた棚に戻したりしていた。


 その時、部屋の扉をノックする音がしてブラッドは慌てて立ちあがり、扉に向かった。就寝前なので彼はラフなシャツ一枚だ。シャツの襟を立て、髪を撫でて軽く整え、ふうっと息を吐くと覚悟を決めたように扉を開ける。




 扉を開けた先にいたのは、ワインを抱えたエリックだった。

「ブラッド、何だか眠れなくてさ。ちょっと一杯つきあってよ」


 ブラッドは大慌てでエリックを部屋に入れないよう、立ちふさがる。

「いや、俺は飲まないから別の奴を誘えよ」

「何でだよ。いいじゃない、一杯くらい」

 エリックは強引に部屋に入ろうとする。ブラッドは焦りながらエリックをなんとか引き止める。


「今日は気分じゃないんだ。ほら、他の奴の部屋に行け」

「どうしたんだよ。いつもならつきあってくれるのに……ん?」

 エリックは急に鼻をくんくんとさせた。


「あれ? ブラッド。ひょっとして香水つけてる?」

 ブラッドはますます動揺した。

「俺だって香水くらいつけるさ。いいからほら、もう帰れ……」


 エリックは必死に止めるブラッドをすり抜けて、部屋の中に強引に入ってしまった。

「……はあ。一杯だけだぞ? 飲んだらすぐに帰れよ?」

「分かってるって。なんでそんなに早く帰そうとするのさ」

 エリックはぼやきながら、棚からカップを二つ取り出してテーブルの上に置き、ワインを注いだ。


「今夜は僕につきあってよ。ちょっと飲みたい気分なんだ」

 エリックはしんみりとしながら、ワインをぐいっと飲んだ。ブラッドは渋々テーブルに着き、カップを口に運ぶ。

「何かあったのか?」

 尋ねるブラッドに、エリックはため息をついた。


「そりゃ、カレンが王都に行っちゃうんだからね。それにしても、いくら見送られたくないからって夜に出発するなんて、彼女らしいけどさ……」


「……出発ってどういうことだ?」

 ブラッドはカップをテーブルに置く。

「え? だからカレンだよ。本当は明日出発なのに、みんなに見送られると恥ずかしいからこっそり出発したいだなんてさ。僕とエマとオズウィン司教の三人で見送って来たんだよ」


 ブラッドはガタンと大きな音を立てて椅子から立ち上がり、慌ててカーテンを開けて外を覗いた。外は暗闇で、わずかにかがり火の灯りがあるのみだ。


「カレンが、もう出発した……!?」

「あれ? ブラッド。聞いてなかったの?」

 エリックはブラッドの異変に気づき、眉をひそめた。

「……聞いてない……」

「まさか。カレンはブラッドには先に挨拶してきたって言ってたけど……」


 その言葉に弾かれるように、ブラッドは部屋を飛び出した。

「あ! 待てよブラッド!」

 エリックは慌ててブラッドの後を追う。ブラッドはカレンの部屋まで走り、勢いよく部屋の扉を開けた。


 そこはもぬけの殻だった。主のいない、ひんやりとして静かな部屋だ。


「ブラッド……」

 後を追って走って来たエリックは、心配そうにブラッドの背中に声をかける。


 ブラッドは机の上に一冊の本が置いてあることに気づき、近寄った。そこに置いてあったのは聖女の本だ。カレンがここに来たばかりの頃、ブラッドがカレンにあげたものだった。


 本を手に取ったブラッドは、そのまま本を抱えて床に座り込んだ。


「ブラッドに言わずに出発したんだ、カレン……」

 エリックは床に座るブラッドの背中を見つめていた。


「……どうしてなんだ、カレン……」

 ブラッドは本を抱えたまま、小さな声で呟いた。



♢♢♢



 カレンは王都から迎えに来た馬車の中に一人でいた。急な出発だったが、王都にとっては少しでも出発は早い方がいい。使者はすぐに出発の用意を整えてくれた。


 カレンは馬車の中でぼんやりとしていた。セリーナの気持ちを知ってしまった今、自分がブラッドと会うわけにはいかない。


 ブラッドとセリーナとの間に、自分が入ってはいけない。カレンはそう悟ったのだ。


 カレンを乗せた豪華な馬車は、教会から静かに出発した。見送りなしで出発したいという彼女の希望を、オズウィン司教は汲んでくれた。エマとエリックはどうしてもカレンを見送りたいと言い張り、オズウィンとエマとエリックの三人だけが見送りの場にいた。


 馬車の前後には王都の騎士がついている。カレンが乗る馬車は彼らに守られながら、騎士団の館から遠ざかって行った。




──それから、半年が経った──

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