騎士ヴァレックの生家は貴族街の外れにある。それほど豪華ではなく建物自体も古いが、綺麗に手入れされた庭は美しい。
応対に出たのはこの家の執事で、三人は応接室に通された。屋敷の中も豪華というよりは堅実といった雰囲気だ。応接室には家族の肖像画と思しき絵画が飾られていた。中年の女性を中心に、夫らしき男性と娘と思われる女性が並んでいる。
使用人がやってきて三人の前に紅茶を並べる。ブラッドとエリックは世間話をしながら紅茶を飲んでいるが、カレンは浮かない顔で、目の前の紅茶に手も付けない。
──エリセアの日記を読んだ後、ヴァレックのことを知りたいと思ったカレンはブラッドに相談した。ブラッドはすぐにヴァレックのことを調べてくれたが、彼からヴァレックが既に亡くなっていることを聞かされ、カレンはショックを受けた。
「ヴァレック様が、もう亡くなってる……? 本当なんですか」
呆然としているカレンの顔を気まずそうに見ながら、ブラッドは頷いた。
「ああ、間違いない。騎士団の記録では、二十三年前のノクティアの戦いに参加し、ノクティアで亡くなったとある」
エリセアの日記を読んだとき、ヴァレックのことを想ったカレンは何故か涙が止まらなくなった。その理由は──
(エリセア様は、ヴァレック様の死を見たのかもしれない)
エリセアがどんな想いで最後にヴァレックの姿を見たのか、そのことを考えるとカレンの心は重くなる。
「カレン。騎士になり魔物と戦う俺達は、常に死を覚悟している。ヴァレック卿はノクティアを守る為に戦ったんだ。俺はヴァレック卿を誇りに思うよ」
「そうですね……でも、ヴァレック様には生きていて欲しかったです」
カレンの言葉は彼女の心からなのか、それともエリセアの心の声なのか。ブラッドは困惑したようにカレンを見つめていた──
「カレン、大丈夫か?」
紅茶を見つめながらぼんやりとしているカレンを心配し、ブラッドが声をかけた。
「あ、大丈夫です。すみません、なんだかぼーっとしちゃって」
カレンは慌てて笑みを見せた。
「馬車で休んでいるかい? 話なら僕とブラッドが代わりに聞くよ」
「平気です、エリック様。私がここに来たいと言ったんですから」
しっかりしなきゃ、とカレンは自分に気合を入れた。自分がヴァレックのことを知りたいと我儘を言い、二人をわざわざ付き合わせたのだ。ヴァレックの死としっかり向き合わなければならない。
♢♢♢
やがて応接室に現れたのは、肖像画に描かれていた中年の女性だった。
「お待たせいたしました。ローランド家の主人、マーリーンと申します」
マーリーンは凛とした雰囲気の女性だ。思わずカレンは背筋を伸ばす。
「は、初めまして。聖女カレンと申します。本日は時間を作っていただき、ありがとうございます」
カレンは緊張しながら挨拶をした。ブラッドとエリックもそれに続く。
「聖女カレン様。お会いできて光栄です。それにしても……まさかここでエリック殿下にお会いすることになるとは。神出鬼没なエリック殿下、との噂は本当でしたのね」
「僕はどこにでも現れるんですよ。父上には見放されている王子ですから」
エリックはマーリーンにとぼけて見せた。
「まあ、ご謙遜を。騎士団でのご活躍は、私の耳にも入っておりますよ」
マーリーンは目を細めてフフっと笑った。
一通りの世間話が済んだ後、カレンが話を切り出した。聖女エリセアのこと、彼女の日記に騎士ヴァレックの名前があったことをマーリーンに話した。
話を聞いたマーリーンは、明らかに動揺していた。
「……確かに、騎士ヴァレックは私の弟に間違いありません。弟は二十三年前、ノクティアでの魔物討伐の応援に向かったのです。あの時、魔物からノクティアを守ったのが聖女フェリシア様ではなく、聖女エリセア様という方だったとは……」
「ヴァレック様から、エリセア様のことを聞いたことはありますか?」
マーリーンは動揺した顔のまま、カレンの目を見つめて首を静かに振った。
「……いいえ、初耳です」
「やはりそうですか。ヴァレック卿はエリセア様のことを、家族にも隠していたんでしょう」
ブラッドは腕組みしながら呟く。
「弟はノクティアで勇敢に戦い、名誉ある死を遂げたと聞きます。ひょっとしたら、ヴァレックはエリセア様をお守りする為に……」
独り言のようにマーリーンは呟き、そして顔を上げた。
「皆様にお見せしたいものがございます。よろしければ私と来ていただけますか?」
マーリーンはカレン達にそう言った。三人は頷き、マーリーンに続いて応接室を出た。
マーリーンに案内されたのは、書斎だった。部屋の中にはいくつかの肖像画が飾られていて、マーリーンはその中の一つの絵の前に立った。
「これが、ヴァレックの絵です。騎士に叙任された時に描かれたものですから、少し若い頃のものですが」
「これが……」
カレンはその絵をじっと見つめる。若者が騎士の格好で立っている絵だ。ヴァレックはすらりとして顔立ちが整った青年だった。
「ヴァレックは幼い頃……少し気弱なところがありました。絵が得意で、いつも絵を描いていました……心優しい弟でした」
カレンはヴァレックの絵を見ているうちに、胸がずしりと重くなった。急に息苦しくなり、ポロポロと涙がこぼれてきた。
「カレン」
ブラッドが心配そうにカレンを見つめる。
ヴァレックの顔を見ても、何か思い出すようなことはない。初めて見る顔であることに間違いはない。だが彼女の身体の奥底で、ヴァレックを懐かしむ心の声があった。
「ごめん……なさい、ちょっと……」
しゃくりあげるカレンに、ブラッドは「ここを出よう、カレン」と言ってカレンの身体を抱えるように部屋から連れ出した。
「彼女は……聖女エリセア様なのですか?」
マーリーンは動揺した顔でエリックに尋ねた。
「いいえ。でも……彼女はエリセア様の生まれ変わりかもしれません」
エリックはカレンが出ていくのを見ながら、ポツリと言った。