聖女セリーナは自室の机で手紙を書いていた。書き終えると便箋を丁寧に折りたたみ、封筒にそれを入れて封をする。
「これをお願い」
振り返り、セリーナは侍女に手紙を預けた。
「かしこまりました」
侍女は手紙を受け取り、部屋を出ていく。それと入れ替わりにブラッドが部屋に入って来た。
「セリーナ様」
「いらっしゃい、ブラッド」
セリーナは微笑み、椅子から立ち上がった。
「ご用は何でしょうか?」
扉の前で立ったままのブラッドに、セリーナはこちらへ来るよう手招きをした。ブラッドは素直に彼女のそばに行く。
「ねえブラッド。明日、教会で開かれる演奏会に着けていく髪飾りなんだけど、どちらがいいと思う?」
セリーナは机の上に置いてあった二つの髪飾りを手に取り、ブラッドに見せた。二つとも色合いもデザインも似たようなもので、華やかで美しいものだ。
ブラッドは二つの髪飾りを見せられ、困惑した顔をしている。
「……俺に聞かれても……こういうものは侍女が選ぶべきでは」
「コートニーがこの二つに絞ったの。私にはどちらにするか決められなくて……男性のあなたの意見を聞きたいわ」
「……うーん……」
正直どちらでもいい、と彼の顔には書いてあったが、セリーナの頼みとあれば断るわけにはいかない。ブラッドは腕組みをして穴が開くほど髪飾りを見比べた後、ようやく片方を選んだ。
「……こちら、でしょうか……」
セリーナの顔がぱあっと明るくなる。
「私もこちらがいいと思っていたのよ。やはり、ブラッドと私は好みが合うわね。それじゃ、明日はこれを着けていきましょう」
嬉しそうなセリーナを、ブラッドはホッとした表情で見つめる。
セリーナは毎日のように、ブラッドをこのようなつまらない用事で呼び出していた。部屋に飾る絵を選んで欲しい、オズウィン司教への誕生日プレゼントを一緒に考えて欲しい。どれも護衛騎士のブラッドにとっては、必要のない用事と言える。セリーナがブラッドを呼び出すのは珍しいことではないが、昔はここまで頻繁ではなかったのだ。
「セリーナ様。明日の演奏会ですが、用事がありますので俺はご一緒できません」
セリーナはさっきまでの笑顔から急に表情を曇らせた。
「用事とは? 演奏会の日取りは以前から伝えていたでしょう?」
「申し訳ありません。実はカレンの護衛で、明日貴族街へ行くことになりまして」
カレンの名を聞き、セリーナの眉間に皺が寄る。
「なぜカレンの護衛で、あなたが貴族街まで行くことになったの?」
「聖女エリセア様の日記に書かれていた『騎士ヴァレック』の生家を訪ねたい、と彼女が言うのです。カレンはヴァレックがどういう人物だったのか知りたいと。先方との約束が、明日なので」
「……でも、わざわざ演奏会の日だなんて……」
あからさまにセリーナは機嫌が悪くなっていた。ブラッドは彼女の変化に戸惑う。これまでは別の用事でセリーナに付き添えない時があっても、彼女は笑顔で「構わないわ、騎士としての任務を優先してちょうだい」と微笑む女だった。
「すみません。演奏会は教会の中で行われる行事ですし、俺がいなくても危険はないはずです。サイラス団長も演奏会に来ますし、特に心配はないと思いまして……」
ブラッドはセリーナに慌てて謝罪する。演奏会は定期的に開かれるもので、楽団のメンバーの顔も全員見知った者ばかりだ。護衛の優先度は低いと考えていたブラッドは、セリーナの態度に困惑している。
「だとしても、カレンの護衛ならば他にもいるでしょう? エリックに任せればいいわ」
「エリックだけでは不安です。それに、俺も騎士ヴァレックや聖女エリセアのことを知りたいと思っています」
ブラッドは真っすぐにセリーナを見る。セリーナはそんな彼の目を見つめた後、取り繕うように笑顔を作った。
「……そうよね。聖女エリセアのことを知りたいと思う気持ちは私も同じよ。明日のカレンの護衛、よろしく頼むわね」
「はい。では失礼します、セリーナ様」
一歩後ろに下がり、踵を返して帰っていくブラッドの後ろ姿を、セリーナは浮かない顔で見送った。
♢♢♢
カレンは「騎士ヴァレック」の生まれた家を訪ねる為、馬車に乗っていた。
彼女の向かい側に座るのはブラッド、そして彼女の隣にはエリックが座っている。
(……狭いなあ)
大柄な男二人が一緒に馬車の中にいるので、どこか窮屈に感じるカレンである。
「カレン、ワインは届いたか?」
「あ、はい。アルドから受け取りました、ありがとうございます。後でエマと飲みますね」
ブラッドはカレンに実家で作った最高級品のワインを贈っていた。以前野営地でブラッドとカレンが世間話をしていた時にワインの話になった。ブラッドはこういうちょっとしたこともよく覚えていて、しっかりと約束を守る男だ。
「またエマに飲まれ過ぎないようにな」
「気をつけます。今度はちゃんと味わって飲まないと」
二人は顔を見合わせて笑い合う。
「ブラッド、カレンにワインを贈ったの?」
「心配するな、ちゃんとエリックの分も用意してある。後でローランから受け取ってくれ」
笑いながら話すブラッドの顔を、憮然とした顔でエリックは見ている。
「ブラッド。今日の外出のこと、セリーナ様に何か言われなかった?」
不意にエリックに聞かれたブラッドは、少し目を泳がせた。
「……別に平気だ。演奏会は俺がいなくても問題ないさ」
「まあ、確かにそうだね。あんな退屈な演奏会、僕もお断りだよ。演奏会の後の食事会がまた退屈なんだよね……」
エリックは上を向いてため息をついた。
「演奏会は、騎士が聖女様にアピールする大事な場だろ? お前はアピールされる側だろうが」
「あんな気取った場で彼女達の何が分かるのさ。聖女様なんてみんな大体同じだよ……あ! カレンは別だからね」
エリックは慌てて隣のカレンに微笑んだ。
「演奏会って婚活パーティみたいなものかな……」
「?」
不思議そうな顔をしたブラッドとエリックに「何でもないです」とカレンは笑ってごまかした。
「演奏会は、普段祈りを捧げる聖女様の為に定期的に開かれてるんだが、目的はもう一つあるんだ。演奏会の後は聖女と騎士が出席する食事会が開かれる。この食事会で知り合って結ばれる騎士と聖女も多いんだ」
「へえ、考えてみれば騎士と聖女が話す機会ってあまりないですもんね」
やっぱり婚活パーティか、と思いながらカレンは頷いた。カレンもブラッドとエリック以外の騎士と関わることは殆どない。そもそも騎士と聖女が普段気さくに話している姿を見ることもあまりないのだ。
「カレンは食事会のことは聞いてなかったの?」
エリックはカレンに尋ねる。
「演奏会のことは聞いてたんですけど、ヴァレック様の家に行く約束の日と重なってたんで断ったんですよ。その後に食事会があることは知らなかったです」
「そうか。まあ、カレンが食事会に出る必要はないもんね」
「どういうことだ?」
ブラッドは眉をひそめてエリックを見る。
「いや、カレンの結婚相手は教会が直々に世話をするって意味だよ。カレンほどの聖女様が、変な男に取られたら大変だろ?」
「うちの騎士団に変な男は一人もいないぞ」
ブラッドの顔がますます険しくなる。
「例えばの話だよ。カレンは貴重な聖女様なんだからさ……」
「あの、本人を前にして勝手に話を進めないで欲しいんですけど……私、結婚は考えてませんよ」
エリックとブラッドは同時に「考えてない?」と声を上げた。
「えっと……何か、おかしいですか? 私はここに来てまだ間もないですし、結婚とかまだまだ先の話で……」
「でもカレン、もういい加減こっちの暮らしにも慣れたでしょ?」
エリックはぐいっとカレンに身を乗り出す。
「そうですけど、そもそも私、結婚願望とかないんで……」
カレンは(近い!)と思いながら体を引いた。
「願望がない……? そうか、それは想定してなかったな……」
エリックは二人に聞こえないほどの小声で呟いた。
「エリック、カレンはこの国で育った人間じゃないんだ。結婚に対する考え方も違うんだろう」
「……うーん、まあ考え方って変わるものだからなあ」
「お前も結婚なんてどうせ考えてないだろう? 今までのらりくらりと結婚話から逃げてきたんだから」
エリックはニヤリと笑みを浮かべ、ブラッドを見た。
「そうだね、でも考え方って変わるものだからね」