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第48話 エリセアの日記

 カレンは自室に戻り、机の上で一人「聖女エリセア」の日記を読んでいる。


 エリセアは元々平民だったようだ。だがカレンと同じように突然聖女の才能に覚め、教会に入った後、騎士団の館で生活していたようである。

 日記には毎日教会で司祭に怒られてばかりだとか、調理場に忍び込んでイチゴジャムを作ろうとして鍋を焦がしたとか、日常の微笑ましい話が綴られていた。


 日記には「騎士ヴァレック」の名前がよく出てきた。ヴァレックは常にエリセアに寄り添い、彼女を守っていたようだ。エリセアが次第にヴァレックに惹かれていくのが、日記からは読み取れた。


 ある日、絵が得意なヴァレックからエリセアの絵を描きたいと言われた時のエリセアの喜びようは、日記からも十分に伝わって来た。読みながらカレンの顔も思わずほころぶ。

 ヴァレックが絵を描いた場所は、あの屋根裏部屋だった。毎日のようにこっそりと屋根裏部屋に通い、ヴァレックが絵を描く真剣な顔を見つめながら、エリセアは幸せに浸っていた。


「あの部屋で、絵を描いていたんだ……」


 カレンは顔を上げて呟いた。絵の中のエリセアの笑顔は、愛する人を見つめる表情だったのだ。


 その時、カレンの目に涙が浮かんだ。


「あれ……? 何で?」


 抑えようと思っても、胸がぎゅっとなりどんどん涙があふれてきた。カレンは何故だか悲しい気持ちになった。ヴァレックの顔も知らないのに、ヴァレックを想うと心が痛んだ。


 涙を拭きながら、カレンは日記を読み進める。日記の内容は次第に不穏になってきた。ノクティアでは魔物との戦いが激しく、犠牲者が多く出ているとのことで、エリセアも心を痛めているようだった。北の国境に接するノクティアでのこれ以上の被害は、避けなければならない。エリセアは教会に直訴し、ノクティアに魔物討伐の応援に向かうことになったと書いてある。


 不安な気持ちを綴るエリセアだったが、ヴァレックが一緒ならば心強いと書いてあった。ノクティアに出発するまで、毎日「聖女エリザベータ」の墓に行き、エリザベータに祈りを捧げていたようだ。


──聖女エリザベータ様から神託を得た。聖なる炎を守る為に、私にできることをやる──


 最後の一文を読み、カレンは首を傾げた。神託を得た、とはどういう意味だろう。


 エリセアの日記はそこで終わっている。


 カレンは日記を読み終わり、顔を上げた。これまで感じていた違和感の正体が分かったような気がしていた。




 あの日、カレンはずっと帰っていなかった生まれ故郷に久しぶりに帰っていた。彼女が捨てられていた教会は、これまで一度も訪ねたことがなかった。それは自分が捨てられていたという事実から、目を逸らしたかったからかもしれない。

 女優を目指して上京し、アルバイトに明け暮れながらオーディションを受ける毎日。オーディションには落ちてばかりで、所属していた事務所からも見放されていた。年齢も二十三歳になり、この先の人生を考え直す時が来たと感じていた。


 自分を見つめ直す為、カレンは初めて自分が捨てられていた教会を訪ねた。ネット検索で写真は見ていたが、実際に教会の建物を見ると胸が締め付けられる思いがした。

 だが教会の敷地に入った途端、カレンは気分が悪くなりその場に座り込んだ。ひどい頭痛と吐き気に襲われ、とうとうその場に倒れこんだ所で記憶がなくなった。


 そして、聖女の霊廟にカレンは現れた。


──私は異世界に来てしまったんじゃない。元の場所に帰って来たんだ──


 元々こちらの人間だったのだ。カレンがこの世界の言語を理解できたのも、この世界の食べ物が口にあったのも、魔物討伐の時にどこか懐かしい感じがしたのも、そういうことだったのだ。


 カレンはずっと、どこか孤独を感じていた。日本で暮らし、それなりに里親に大切にされた時期もあったし、友達もいた。恋をしたこともあった。だがカレンは、自分の居場所をずっと見つけられずにいた。

 アウリスへ来てから、カレンはこの世界が肌に合っているのを感じた。それほど長い時間が経っていないのに、もう向こうの人々の顔や名前の記憶が薄れてきている。


 カレンはエリセアの日記を、そっと机の引き出しにしまった。


「エリセア様。私、アウリスに帰って来たよ」


 そう呟いたカレンの頬に、一筋の涙が伝った。

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