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第46話 重なる手

 一行は野営地に戻って来た。討伐が長引く時は戻るのが夜明け近くになることもあると言うが、今夜はとても早く討伐が済んだので、思わぬ早い帰還に野営地の待機組は驚いていた。


 今回は怪我人も少なく、聖女の負担も少なかったようだ。野営地に戻った聖女達は用意された部屋で休む。騎士達はすぐ寝るかと思いきや、中央の大きなたき火の周りに集まり、持ってきた酒を浴びるように飲みながら語り合っていた。


 やがて騎士達がポツポツとテントに戻り始め、たき火の周りから騎士の姿がほぼなくなった頃、カレンは一人部屋を出て、たき火がある広場に出た。


 たき火のそばにはブラッドだけが残っていた。ブラッドは丸太で作ったベンチに腰かけ、たき火を眺めながらぼんやりとしていた。


「火の番を副団長がしてるんですか?」


 ブラッドが顔を上げた先に、カレンが笑顔で立っていた。

「そういうつもりはなかったが、そうなるな。カレンこそ、寝なくていいのか?」

 笑いながら言うブラッドの隣に、カレンが座った。


 野営地は静かで、わずかに見張りが起きているだけだ。パチパチと木が爆ぜる音が二人を優しく包む。


「なんだか眠れなくて……ちょっと気分転換しようかなって」

「俺と同じだな」

 カレンはブラッドの言葉に意外そうな顔をした。

「眠れないんですか?」

「ああ、討伐の後はいつもそうなんだ。酒を飲んで寝てしまおうと思うんだが……目が冴えるばかりだ」


 ブラッドはたき火を見つめながら、少し恥ずかしそうだ。いつも冷静で、魔物と戦う日々に慣れていると思っていたブラッドでも、討伐の後は眠れなくなってしまうものなのか。カレンは彼の意外な一面に驚いたが、同時に納得できる気もしていた。


(そう言えば、私がノクティアで倒れた時も、眠れないって言ってたな……)


 深夜にブラッドが寝顔を見にやってきた時のことを思い出し、カレンはなんだかそわそわと落ち着かない気分になった。


「エリックは、いつどんな時でも眠れるんだ。時々あいつがうらやましくなるよ」

 ブラッドは笑いながら、薪を一つたき火の中に放り込んだ。


(実は繊細な人なのかな……ブラッド様)


 たき火に照らされるブラッドの横顔を見ながら、カレンはそんなことを思う。


 しばらくの間、二人の間に無言の時間が流れた。何か話そうとカレンは思うものの、何を話せばいいのか思いつかない。


「俺は、お前のことを何も知らないな」

 沈黙を破るように、急にブラッドが口を開いた。


「何でも知ってるじゃないですか」

「いや、お前がここに来る前のことだよ。どんな人生を送ってきたのかとか」

「前に話したじゃないですか。富士山が見える町で育ったとか、売れない女優をやっていたとか」

 笑いながらカレンは答える。

「それくらいだろ? もっと……色々知りたいんだ。例えば、両親はどんな人なんだ?」

「ああ……私、実の両親の顔を知らないんですよね」

 さらりと言うカレンに、ブラッドは目を丸くした。


「……すまない、親がいなかったとは」

 謝るブラッドに、カレンは笑顔で首を振った。

「気にしないでください。実の両親は誰だか分からないですけど、里親に引き取られて育ったんです。私、生まれてすぐに教会の前に捨てられてたみたいで」

「教会に?」

「そうなんです。ああ……そう考えれば、私って教会に縁があるみたい。今もこうして教会にお世話になってますし。あ、でもあっちの教会はここの教会とはかなり違いますけどね」

「そうだったのか……」

 戸惑いながら、ブラッドは明るく話すカレンの横顔を見ていた。


「私にもブラッド様のことを教えてくれますか? どんなお家で育ったのかとか」

 今度はカレンがブラッドに質問をした。

「俺の家? 俺の家は別に普通だよ。両親と兄、それと弟だ」

「普通って言っても、貴族なんでしょ?」

「貴族の騎士団員なんて珍しくもないさ」

「ブラッド様の普通は、私の普通と違うんですよ……」

 ため息をつくカレンに、ブラッドは困ったように笑う。


「すまん。本当に俺の家は普通なんだ。男は代々騎士団に入り、領主に仕えているよ」

「それじゃ、兄弟も騎士なんですか?」

 ブラッドは首を振った。

「兄は騎士だったが、今は騎士団を辞めて実家に戻り、家業の手伝いをしている」

「家業って?」

「ブドウ農園と醸造所を持っているんだ。騎士団の館で出されるワインの多くが俺の家のものだよ」


 カレンは「ん?」と首を捻る。

「ひょっとして、前にブラッド様が私に贈ってくれたワインって……?」

 ブラッドはニヤリと笑う。

「そうだ。美味かっただろ?」

「なんだ……そうだったんですね! 確かに凄く美味しいワインでした。でも殆どエマ達に飲まれちゃいましたけど」

 ブラッドは声を上げて笑った。

「あれは一番いいワインだったからな。館でもめったに出さないやつなんだ。エマは得したな」

「もっと味わいたかったな……」

 残念そうに呟くカレンに、ブラッドは「いつでも飲ませてやるよ」と微笑む。


「弟さんは何をしてるんですか?」

「弟も騎士団所属だが、魔物討伐はしていない。あいつは今、領主様の屋敷で領主を守る仕事をしているよ」

「……それがアウリスでは『普通の家』なんですか?」

「そうだ。サイラス団長は領主の親戚だし、エリックは国王の第三王子。もう一人の副団長であるフロスガーの家も、アウリスで一番の資産家だ。俺が一番普通なんだよ」


「うーん、普通の基準が分からないですけど……確かに彼らと並べたらそうなっちゃいますね」

「だろ?」

 ブラッドは苦笑いしている。


「私、ブラッド様のこと……何も知らないんだな……」

 カレンがポツリとこぼした言葉に、ブラッドはすっと真面目な顔になった。


「カレンが知りたいなら、何でも教えてやる」


 ブラッドは真剣な表情でカレンをじっと見つめた。ベンチに置いていたカレンの手に、ブラッドの手が重なる。


 ブラッドはカレンの手をぎゅっと握りしめた。カレンは戸惑いながらブラッドの顔を見た。表情を変えないブラッドだが、その手からは彼の体温が伝わる。


 それは少しの時間だったが、カレンには永遠にも感じた。




「あれ、副団長」


 歩いていた見張りの騎士が、ブラッドを見つけて遠くから声を掛けてきた。その瞬間、ブラッドとカレンはお互いにパッと手を引く。


「早く寝なくていいんですか? 明日も早いですよ」

「ちょっと寝つけなくてな。カレン様も同じだそうだ」

 ブラッドは何事もなかったように笑い、見張りの騎士と話す。

「ははは、今日はカレン様も大変でしたでしょうからね。でもカレン様も早くお休みになった方がいいですよ」

 カレンはわざとらしく笑った。

「そうなんですよ! 色々あったから眠れなくて……じゃあ、私はそろそろ戻りますね」

「ああ、お休み」

 慌てて立ちあがるカレンに、ブラッドはいつもの笑顔で見送った。




 カレンは部屋に戻った後、ベッドに潜り込んだがちっとも眠れる気がしない。


(……ブラッド様の手、大きかったな……)


 ブラッドの手のひらから伝わる彼の熱に、カレンの心はしばらく落ち着かなかった。

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