新月の夜が明日に迫った。いよいよ今日は魔物討伐に出発する日である。
ノクティアへの旅と違い、今回はアウリス領での魔物討伐なので、移動は一日もかからない。朝食を食べた後出発し、夕方には野営地に着く。現地で夜を明かし、翌日準備を整えて新月の夜を待つことになる。全ての行程は長くても三、四日で終わるはずだ。
カレンは先に教会へと向かう。今回の討伐で一緒に行く聖女はカレンを含めて五名だ。カレンは彼女達の中で最も下っ端なので、基本的には彼女達のサポートをすることになっている。
だが今回、カレンには他の聖女達とは違う一つの大きな仕事が待っていた。討伐の無事を祈る儀式の効果を高める為、祭壇にある「聖なる炎」に力を与えて欲しいとのことである。
祈りの儀式の為、礼拝堂には既に騎士と、それに同行する使用人が集まっていた。ノクティアの旅と違い、今回は大所帯である。サイラス団長の隣に立つのはブラッド副団長で、エリックもその場にいる。使用人達の中にはエマの姿もあった。彼女もカレンの世話役の為、討伐に同行することになっている。
祭壇のそばに待機していたカレンは、オズウィン司教から「お願いします」と言われ、緊張しながら祭壇に向かう。
祭壇は階段の上にあり、カレンはゆっくりと階段を上がる。最上段には巨大な器が置いてあり、器の中には静かに燃える青い炎がある。この炎は「聖なる炎」と呼ばれ、雨が降ろうと風が吹こうと決して消えることはない。
聖なる炎は聖女の力の源とされ、聖女達に力を与えている。聖女が礼拝堂で祈りを捧げるのは、この炎から力を得る為でもある。
器を見下ろすように立っている彫像は、王国で最初の聖女とされるエリザベータを模したものだ。カレンはエリザベータの像を見上げ、深呼吸をして心を落ち着かせてから聖なる炎に近づいた。
討伐に出る騎士と聖女、そして使用人らの無事を祈りながら、カレンは器に両手をかざした。
カレンの祈りに応えた聖なる炎が、意思を持ったかのように大きく揺れ出した。そして青白い光を放った後、青い炎が大きくなり、カレンの背丈ほどになった。
その時、礼拝堂にいた者達からどよめきが起こった。
「あんな炎、見たことがない……!」
「あれが『聖なる炎を持つ聖女様』のお力か……!」
口々に彼らから驚きの声が上がる。
サイラス団長は、カレンが見せた小さな奇跡に動揺していた。ブラッドはサイラスを横目で見ながら、ほんの少し口元を緩めた。
大きく燃え上がる青い炎に一番びっくりしていたのは、当の本人であるカレンである。
(ちょっと燃えすぎ、抑えて抑えて……)
炎に話しかけるように手をかざしていると、やがて炎は小さくなっていった。それでも以前の炎よりも勢いは強い。
「カレン様、お戻りを」
オズウィン司教は祭壇の上でぼんやりしているカレンに、身振り手振りしながら小声で呼びかけていた。
「カレン様!」
口をパクパクさせているオズウィンに気づき、カレンはようやくハッと我に返って祭壇を下りた。後は他の聖女達が祈りを捧げて儀式は終了である。
儀式が無事に終わり、出発を待つのみとなった。今回は教会に残ることになった聖女セリーナがやってきて、ブラッドに話しかける。
「ブラッド、討伐が無事終わることを、教会からお祈りしております」
「ありがとうございます、セリーナ様」
ブラッドはさっと胸に手を当て、セリーナに敬礼した。二人の様子を少し離れた所から、カレンがじっと見ていた。少しの間見つめ合う二人を見ていると、カレンの心がずしりと重くなる。
セリーナは次に、ブラッドの隣に立つサイラス団長に声を掛けた。
「サイラス様、討伐が無事終わることを、教会からお祈りしております」
「セリーナ様、あなたの祈りがあれば失敗などありえない」
そう言ってサイラスはセリーナの手を取り、手の甲に口づけをした。
「今回の討伐が終わったら、結婚式について話したい。そろそろ具体的な日取りを決めたいのだ」
セリーナは、鋭い目をしているサイラスに戸惑っている。
「……今、こんな場所で話すことでは……」
「何故です? 俺達は婚約しているんだ。誰に聞かれても恥ずかしくない話でしょう」
セリーナは困惑した表情で、ブラッドをちらりと見た。ブラッドは表情を変えず、その場に立っている。
「と……とにかくそのお話はまた今度」
そう言ってセリーナはサイラスからパッと手を離した。
「……あなたを一人、置いていくのは心配だ。フロスガー副団長には、片時もあなたから目を離すなと言ってある。どうか安心して過ごして欲しい」
「私は大丈夫です……ありがとう」
ぎこちない笑みを浮かべながら、セリーナはそそくさと去って行った。
エリックはブラッド達から離れ、カレンの所にやってきた。
「カレン、さっきの奇跡も凄かったね。やっぱり君はただ者じゃないよ」
「……ありがとう」
セリーナが去って行く姿を見ながら、エリックはカレンに耳打ちする。
「サイラス団長に結婚式のことを言われたら、セリーナ様はすっかり動揺しちゃってさ。僕を無視して行っちゃったよ。ひどいよね」
「そう言えば、セリーナ様とサイラス団長ってまだ結婚してないんでしたっけ」
カレンもエリックと同じ方向に目をやる。輝くような長いプラチナブロンドの髪を揺らせ、侍女と歩いているセリーナの後ろ姿が見える。
「そうだよ。婚約してもう一年くらい経つかな? 団長は早く結婚したくて仕方がないみたいだけど、セリーナ様が引き延ばしてるんだ」
「どうしてですか?」
エリックはニヤリと笑い、カレンに顔を寄せた。
「セリーナ様の心には、他に誰かいるのかもね」
思わずカレンは、エリックに視線を向ける。エリックはカレンを見つめたまま、何か言いたげな顔で笑みを浮かべていた。