騎士団の館に戻ったカレンは、いつもの使用人服に着替えた後、先日やり残した屋根裏部屋の掃除の続きをしようと、部屋の外に出た。
「あれ、ライリー。こんな所まで来るんだね」
階段の近くまで来たカレンは、床に寝そべっている猫のライリーに声をかけた。ネズミ退治の仕事に励む猫騎士ライリーだが、今は休憩中のようである。
カレンはライリーの近くにしゃがみ、ライリーを観察していた。
「ライリーは気ままでいいね。どこに行ったって生きていけるし、生き方を強制されることもないし」
ライリーは目を閉じたまま、耳をピクリと動かした。
「ああでも、ネズミが捕れないとライリーもクビになるのかな? そう考えると猫も大変だよね」
「猫とお喋りですか、カレン様」
階段の下から声がしてカレンは声の方に目をやった。従騎士アルドがこちらに向かって階段をたたっと駆け上がってくるのが見える。
「別にいいじゃない。アルド」
カレンはしゃがんだまま、目の前に立つアルドを見上げた。
「ブラッド様からあなたに尋ねるよう言われました。カレン様、夕食を食堂で取らないのは何故ですか?」
「……何故って、どこで食べてもいいでしょ? エマが部屋まで持ってきてくれるし」
カレンは騎士団の館に来てから、夕食を部屋で一人で食べている。朝食は教会に行く為に早起きして部屋で食べ、昼食は教会の食堂で他の聖女達と一緒に食べる。夕食は騎士の食堂で食べるようアルドに言われていたのだが、騎士達と一緒に食事をするのが落ち着かなくて嫌だったので、カレンはエマに頼んで部屋に食事を持ってきてもらっていたのだ。
「ブラッド様はカレン様に、騎士の食堂で食事を取るように言っています。今夜の夕食からは食堂に来てください」
「……どうしても?」
「はい。お願いします」
カレンは仕方ない、とため息をつき、ゆっくりと立ち上がった。
「本当はエマ達と使用人の食堂で食べたいんだけどね」
「カレン様は聖女なのですから、使用人の食堂を使うことはできません」
「分かってるよ、アルド。今夜からちゃんと騎士の食堂で食べるから、ブラッド様にそう伝えて」
カレンはアルドに無理やり笑顔を作った。アルドはホッと顔を緩め「はい、ブラッド様に伝えます」と言い、階段を下りて行った。
(騎士とご飯食べるの、気を使うから嫌なんだけど……仕方ないか)
カレンは再びしゃがみ、寝ているライリーを軽く撫でながら、ため息をついた。
♢♢♢
アルドと別れた後、カレンは屋根裏部屋の掃除にやってきた。部屋の奥に積まれた荷物の中から、小さな丸テーブルと椅子を一脚見つけたので、それを取り出して綺麗に水拭きした。
テーブルと椅子は窓際に置くことにした。これで椅子に腰かけながらアイラース山を見ることができる。
他に何か使えるものはないかと、カレンは荷物をよけながら探っていた。
「あれ? 何だろう」
カレンは荷物の奥に隠すように置かれた、布に包まれた四角い板のようなものを見つけた。それは三つあり、並べて壁に立てかけてあった。
手前にあった木箱をなんとか動かし、カレンは手を伸ばしてその板のようなものを引きずり出すように取り出した。それらは一つずつ丁寧に布でくるまれている。
カレンはその中の一つを開いてみた。
「これ……絵だ」
それは騎士団の館を描いた風景画だった。上手な絵だが、プロの画家が描いたにしては少し平凡な絵に見えた。
続けて二枚目の絵も見てみる。今度はアイラース山の絵だった。テイストが似ているので同じ人物が描いたと思われる。
その絵を見た後、カレンは窓から見える景色と絵を見比べた。アングルから見て、山の絵はこの部屋で描かれたもののようだ。
そして三枚目の絵に巻かれていた布を外し、その中身を見たカレンは思わず「えっ」と声を上げた。
「何で……何で私がここにいるの……!?」
その絵は人物を描いたものだった。女性が柔らかに微笑むその顔は、カレンそっくりだったのだ。
カレンがこの世界に来たのは最近のことだ。この絵はそれより前に描かれたものであるのは間違いない。顔はカレンだが服装は見たことのないものだ。三つの絵を包んだ布には、どれも埃がびっしりと積もっていた。
「どういうこと……?」
カレンはしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
♢♢♢
ブラッドは屋根裏部屋で、カレンそっくりな女が描かれた絵を前にして呆然としていた。
「驚いたな……この顔はカレンそのものじゃないか」
「すみません、忙しいのに呼び出したりして……」
カレンはブラッドの横に立っている。
「気にするな。それよりも何故ここにこんな絵があるんだ……? 一体誰が描いたものなんだ」
ブラッドは絵を手に取り、裏返してみたり表側を隅々まで観察したりしていた。
「……駄目だな、描いた人間のサインがない。これは画家が描いたものじゃない。いつ描かれたものかも分からないな……最近描かれたものじゃないのは確かなようだが」
「ブラッド様、絵のことも詳しいんですね」
「詳しいわけじゃないが、幼い頃、絵を習ったからな」
「ブラッド様、絵を描けるんですか?」
思わずカレンはそう返した。背が高く筋肉質な彼が、ちまちまと絵を描く姿というのがどうもカレンには想像できない。
「なんだその顔。騎士は剣術だけじゃなく、絵画や音楽も学ぶんだ。まあ俺はそっちの方はあまり向いてなかったが、エリックの絵はなかなかのものだぞ」
「へえ……」
さすが王子様、と感心していると、ブラッドは女性の絵を軽々と持ち上げた。
「カレン、この絵は俺が預かってもいいか?」
「いいですけど、どうするんですか?」
「この絵に描かれてる女性が誰なのか調べたい。服装から見て使用人ではないようだし、聖女の服に似ている気がするから、ひょっとすると聖女様かもしれない。教会で誰かこの女性のことを知っている者がいないか、オズウィン司教に尋ねてみるよ」
なるほど、とカレンは思ったが、同時に疑問も湧いた。
「でもオズウィン司教は私の顔を見ても無反応でしたよね……オズウィン司教が知らないなら、他の人達も知らないんじゃないですか?」
ブラッドは上を向き、うーんと唸った。
「オズウィン司教は元々アウリスの町の教会にいた人なんだ。彼がこっちに来たのはいつだったかな……とにかく、昔からここにいたわけじゃないのは確かだ。オズウィン司教が知らなくても、他に誰か知っている者がいればいいんだが」
「分かりました……何か分かったら私にも教えてもらえますか?」
「当然だ、すぐに知らせる」
ブラッドは先に屋根裏部屋を出ようとして、ふと立ち止まり振り返った。
「今夜の夕食は騎士の食堂に来るんだろう?」
「あ、はい」
カレンは慌てて頷く。
「お前の席は用意してある。遠慮せずに来い」
ブラッドはホッとしたような顔で言い残すと、先に部屋を出て行った。