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第32話 帰還の旅路・1

 翌朝、カレン達は次の屋敷に向けて出発の時を迎えていた。

 カレンは荷馬車ではなく、聖女用の馬車に乗ることになった。カレンが眠っていた時は荷馬車に寝かされ、使用人達がカレンを見守っていたらしい。目が覚めた後は、さすがにカレンを荷馬車に乗せるわけにはいかないとのことで、屋敷にある予備の馬車を借りることになった。


 カレンの馬車は飾り気のないこじんまりとしたものだが、一人で乗るだけなら十分過ぎる広さである。庭に出て自分が乗る馬車を見たカレンは目を輝かせた。


「ほんとにこれ、一人で乗っていいんですか……?」

 カレンを案内したブラッドは「当然だ」と笑う。


「でもなんだか申し訳ないような……あ、乗り切らない荷物とか、良かったら乗せましょうか?」

「いいから気にするな。お前の馬車は俺が後ろについて守るから、安心してくれ」

「え? ブラッド様が守ってくれるんですか? セリーナ様は?」

「セリーナ様は他の騎士に任せる。お前を守るのが最優先なんだから当然だろ? お前が眠ってる間もそうしてたんだ」

「そういうことなら……えーと、じゃあ、よろしくお願いします! ブラッド様」

 カレンはふざけて片手を頭の横に上げ、警官のようなポーズを取った。


「……何だ? その敬礼は」

「あ、すいません。私、日本で女優を目指してて、警官の役をやったことがあるんですよ。セリフは一言だけでしたけどね」

「お前が女優を目指していた話は初めて聞いたな」

「昔の話ですよ。ちなみに全然売れなかったんで、これ以上聞かないでくださいね」

「何故だ? もっと聞かせてくれ。どんな役をやっていたんだ?」

 ブラッドは笑いながらカレンの顔を覗き込む。


「もういいですって……やっぱり言わなきゃよかった」

「ハハハ。芝居に興味があるならカレン、この国にも劇団はあるぞ」

「いや、もう女優はいいです……でもこの国のお芝居、観てみたいなあ」

 目を輝かせるカレンに、ブラッドは気まずそうな顔をした。


「……ああ、でもお前は聖女だからな。劇場は市街地にあるから、観劇に行くのは少し、厳しいかもしれないな……」

「そうなんですか」

 聖女の警備はかなり厳重なので簡単に外には出られない。カレンは少しがっかりしたが、仕方がないのだろう。


「お前が使用人だった時に、芝居に連れて行けば良かったな」

「ほんとに気にしなくていいですよ!」

 ふと独り言のように呟くブラッドの顔を見て、なんだか胸が暖かくなるカレンである。


 昨夜の出来事があってから、カレンは二人の間にあった壁のようなものがなくなっているのを感じていた。


 以前屋根裏部屋でブラッドに不意に抱きしめられてから、二人の間にはなんとなく気まずい空気があった。ブラッドはあれ以来そのことに全く触れようとしないし、カレンもあのことはブラッドの気の迷いだろうと思うことにしていた。


 ブラッドがセリーナに恋をしているという噂は、今もカレンの気持ちに鍵をかけることになっていた。実際にカレンから見たブラッドとセリーナは、お互いに強い絆で結ばれているように見える。


 勘違いしてはいけない、とカレンは自分を戒めている。それでもこうしてブラッドと楽しく話せることに、つい彼女の心は喜んでしまうのだった。



 そんな二人が笑顔で楽しそうに話している姿を、遠くからじっと見つめている者がいた。侍女と一緒に外に現れた聖女セリーナである。セリーナは何も言わず、表情を変えず、ただ二人の姿を目で追っていた。



「あ、そう言えばエリック様をずっと見かけないですけど」

 カレンはふと思い出し、ブラッドに尋ねた。

「エリックはノクティアに残って、領主様の屋敷を訪ねたんだ。すぐ後を追うと言ってたが、領主様との話が長引いたのかもな」

「そうだったんですか。確か、エリック様の叔父様なんですよね? 領主様は」

 ブラッドはそうだ、と頷く。


「ノクティアの討伐は無事に終わったんだが……あちらの聖女の力が足りないせいで、ノクティアの魔物の勢いを抑えられなくてな。今回はうちや王都の聖女のおかげでなんとかなったんだが、あの筆頭聖女をどうにかしないとまた同じことの繰り返しになる。だからエリックから領主様に話してもらうことにしたんだ」


「ああ……グレゴール団長の愛人とかいう?」

「知ってたのか」

 ブラッドは遠くを見ながらため息をつく。

「はい、エリック様に聞きました」

「……あの未熟な聖女が、今後魔物討伐に関わらないことを願うよ」

 ブラッドは眉間に皺を寄せた。




 カレン達は屋敷を出発し、街道を南に進む。カレンは初めて乗る馬車に興奮していた。揺れはあるものの、荷馬車とは比べ物にならない快適さである。


 後ろに小さな窓がついていて、そこを覗くと馬車の後ろに続くブラッドの馬が見える。


(ブラッド様に見守られて、馬車に乗って旅をするなんて、まるで本当に聖女様になったみたい)


 どこか浮かれた気持ちを抱えながら、カレンは馬車の旅を楽しんでいた。

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