カレンはその後お風呂に入ってさっぱりした後、ずっと部屋の中で過ごしていた。
風呂の時、傷痕がどうなっているか確かめたが、あの時確かに刺された傷痕は綺麗さっぱり消えていた。まるで何もなかったように、体は綺麗なままだ。不思議に思ったが、これが「聖女の癒しの力」というやつなのだろうか。
使用人の仕事はしなくていいと言われているので、特にやることもない。部屋の中には小さな暖炉があり、ひたすら暖炉の火を眺めながら濡れた髪が乾くのを待つ。
「暇すぎる!」
この状態がアウリスに戻るまで続くと思うと、カレンはげんなりした。既に夜になっていたが、三日も寝ていたせいかすっかり元気で眠気もない。
カレンに渡された寝間着は、聖女が身に着けるものだ。生地は恐らくシルクか何かで、さらさらと肌触りのいい生地のロングワンピースのようなものだ。これまでカレンが使用人をしていた頃に着ていた服とは素材もデザインも違う。使用人用の服はとにかく簡単な作りと頑丈さが売りだ。聖女が着る服は柔らかな素材で、着心地が良く形も美しい。
「全然違うんだなあ、聖女様と使用人って……」
改めて立場の違いを実感するカレンだった。
退屈なのでベッドに横になり、ごろごろしているうちに、カレンはいつの間にか眠っていた。夜も更け、わずかに見張りが起きているだけである。
カレンの部屋の扉がキイっと動く音がして、扉に背を向けて寝ていたカレンはパッと目を開けた。
コツ、コツ……と靴音が近づいてくる。カレンは目を閉じて息を飲み、いつ振り返ろうか考えた。靴音はカレンの前で止まり、そのまま近づいてきた人物は動かない。
(……?)
その人物はしばらく動く気配がない。思い切ってカレンは振り返った。
「……!? ブラッド様!?」
カレンの前にいたのは、寝間着らしきラフな服を着たブラッドだった。
ブラッドは驚いた顔で立ち尽くしていた。
「……すまない、起きていたのか」
「あの……何か……?」
戸惑いながら起き上がるカレンを見て、ブラッドは慌てた。
「驚かせるつもりはなかった。お前が本当に寝ているのか、心配で見に来ていたんだ」
「……ひょっとして、毎晩?」
「ああ……お前が目覚める前は、時々様子を見に来ていた」
「……もしかして、寝顔見ました?」
「そりゃ、見るだろう。寝てるかどうか見に来たんだから」
ブラッドは当然、と言った顔でベッドの脇に置いていた椅子を引っ張り、腰かけた。
「あんまり寝顔見られたくないんですよね」
「どうしてだ? 別におかしな顔じゃなかったぞ」
カレンは眉をひそめてブラッドを睨む。
「なんていうか、自分の無防備な姿を見られるのが恥ずかしいっていうか」
「そんなことを気にしてるのか? 変な奴だな」
ブラッドは笑みを浮かべる。
「私はもう大丈夫ですから、明日からは寝てるところに来ないでくださいね。その……びっくりしちゃうんで……」
「……悪かった。どうしても心配で……また、お前が動かなくなったらどうしようかと」
ブラッドが目を伏せるのを見て、カレンはハッとした。
「お前があんな目に遭ったのは、俺の責任だ……。俺は怒りに任せてあの二人をノクティア騎士団に送った。二人はアウリス騎士団に相応しくないと思ったんだ。それは間違いだったとは思わない。だが……それが原因であいつらはカレンに恨みを募らせた。野営地で偶然お前を見かけて、恨みを晴らすチャンスだと思ったそうだ」
ブラッドの話を、カレンはじっと聞いていた。
「俺の軽率な判断が、お前の命を奪う所だったんだ……聖女として目覚めたから助かったが、そうでなければお前はあの場で死んでいた。それを考えると、眠れなくなる」
カレンは、目覚めた時にブラッドの顔が疲れているように見えた理由が分かった。
「ブラッド様。今夜も、眠れないですか?」
ブラッドは顔を上げ、そして静かに頷く。
「……ああ、そうだな」
カレンは体を少し動かし、ブラッドに近づいた。そしてブラッドを包み込むように、そっと彼の体に腕を回した。
「聖女の力、っていうのがどういうものかよく分からないですけど……ブラッド様が今夜から、良く眠れますように」
ブラッドは目を見開き、次に目を閉じて俯いた。
「大丈夫です。あなたのせいじゃない」
ブラッドの体を包みながら、カレンはそっと呟き、彼の背中を優しく撫でた。彼の表情はカレンには見えない。ブラッドはただ、静かに体を震わせていた。
きっと彼は今泣いているだろう。彼のぬくもりから、彼の感情が流れ込んでくるような感覚を覚えた。
カレンはブラッドが落ち着くまで、しばらくそうしていた。
翌日から、ブラッドがカレンの寝顔を見に来ることはなくなった。