カレンが目を開けた時、まず最初に思ったのは(これは夢?)だった。
見慣れない部屋のベッドにカレンは寝かされていた。ふかふかの布団と柔らかな枕。部屋に置かれたテーブルやソファは豪華なもの。そして彼女のベッドの隣には、椅子に座り腕組みをしたまま、居眠りをしているブラッドの姿がある。
(まつ毛長ー……)
ぼんやりとしながら、カレンは眠っているブラッドの顔を見ていた。ダークブラウンの前髪から覗くブラッドの顔は、なんだか疲れているように見えた。
ふとブラッドは瞼を開けた。そしてカレンの顔を見ると、急に慌て出した。
「カレン! 目が覚めたのか!?」
ブラッドが身を乗り出し、カレンに詰め寄る。
「は……はい」
ブラッドの剣幕に驚きながら頷くと、ブラッドは大きな音を立てて椅子から立ち上がり、急いで部屋から出て行ってしまった。
「何なの?」
困惑していると、ブラッドがセリーナを連れて戻って来た。セリーナはカレンの顔を見るとホッとしたように微笑み、ブラッドが座っていた椅子に腰かける。
「カレン、目が覚めて良かったわ」
「あの……ここはどこですか?」
カレンは未だ状況が掴めていない。この部屋は使用人の部屋ではなく、騎士や聖女のようなちゃんとした立場の人が使う部屋なのは間違いない。なぜこんな部屋で自分が寝かされているのかと、カレンの頭の中は疑問でいっぱいである。
ブラッドがセリーナの代わりに質問に答える。
「ここはアウリスに戻る途中の屋敷だよ。お前はもう三日も寝たままだったんだ」
「三日……!?」
カレンは目を丸くする。
(覚えてるのは……野営地でラグナルに刺された所まで。あれからもう三日も経ったの……?)
「覚えてる? カレン。あなたは野営地で襲われ、命を落としかけた。そしてあなたに奇跡が起こったのよ」
「奇跡?」
セリーナは頷く。
「あなたの体を『聖なる青い炎』が包み、あなたの体についた傷は全て消えた。この意味が分かるかしら? あなたは『聖女』として目覚めたのです」
カレンは驚愕の表情を浮かべたまま、何も言えずにただセリーナとブラッドの顔を見ていた。
ブラッドはセリーナに続き、説明を始めた。
「お前は聖女として目覚めた後、気を失った。あの場にいた者達は、お前に起きた奇跡を目の当たりにしたんだ。我がアウリス騎士団はお前を聖女として守り、アウリスまで送り届ける。今後は部屋に留まり、屋敷の外には出ないでくれ」
カレンは慌てて体を起こし、すぐ近くの窓から外を見た。屋敷の外では騎士が訓練をしている姿が見えた。
「私が、聖女……?」
カレンは未だに現実が受け入れられず、混乱していた。
「カレンのような目覚め方をする聖女を見たことがない。全身が『聖なる炎』に包まれる聖女など……ありえない。聖なる炎は聖女に力を与えるものだ。聖女自身が炎を持つことはない」
セリーナは頷き、ブラッドに続く。
「私もカレンのような聖女を見たことがないけれど、これは現実に起こったこと……。カレン、ひょっとしてあなた、以前から何か兆候があったのではないかしら? 心当たりはない?」
カレンはふと思い出す。
「……あ、ひょっとして……ノクティアに出発する前に怪我をしたんですけど、治るのがやけに早いなとは……薬の効きがいいからだと思ってたんですけど、違うんですか……?」
セリーナとブラッドは顔を見合わせ「やはり」と頷く。
「あなた自身が気づいていなかっただけで、聖女としての力は既に現れていたのね……すぐに気づけなくて申し訳なかったわ。聖女は僅かな傷ならば、自己治癒力で治してしまうものなの」
「そうなんですか……」
どおりでどの聖女も肌が艶々で綺麗なはずだ、などとカレンは思っていた。
セリーナはブラッドを見上げてため息をつく。
「カレンのような珍しい聖女は、他の教会が放っておかないでしょうね」
「実際に、俺達の後をつけている馬があるとの報告を受けています。ノクティアか、王都か……両方かもしれませんが」
ブラッドは一呼吸置き、カレンに向き直った。
「カレン、お前の存在はノクティアと王都に知られている。今は他の教会に余計な詮索をされたくない。だからアウリスに戻るまで、俺達の目の届くところにいてくれ」
「……わ、分かりました」
「心配しないで。あなたのことは『アウリス・ルミエール教会』が必ず守るわ」
ブラッドとセリーナに言われ、カレンは頷くしかなかった。
「それとカレン、もう一つお前に伝えておくことがある」
ブラッドはすっと背筋を伸ばし、真剣な表情でカレンを見つめた。
「は、はい」
カレンも思わずベッドの上で背筋を伸ばす。
「お前を刺した犯人、騎士ラグナルはあの後すぐに捕らえられ、ノクティア騎士団によって処刑された。俺とエリックがその場に立ち会った。騎士ソーンは騎士団から永久に追放された」
「……処刑、ですか?」
カレンは意外そうな顔をした。
「聖女様を殺そうとしたんだ。騎士ラグナルのしたことは重罪に当たる。当然のことだ」
使用人を殺そうとしただけなら、彼が処刑されることはなかったかもしれない。ラグナルのことは許せないが、処刑という言葉の強さにカレンは戸惑っていた。
「仕方のないことよ。聖女を傷つけることは、この国の存亡に関わることですから」
セリーナはそっとカレンの手に触れた。
「でも……あの時、私はまだ、ただの使用人でした。聖女じゃない」
首を振りながら呟くカレンに、ブラッドとセリーナは困ったように目を合わせた。
「……ブラッド。彼女はまだ混乱しているのよ。この話を伝えるのは早すぎたわ」
「そうですね。少し急ぎ過ぎました」
カレンは顔を上げ、慌てて手を振った。
「あ、いえ! 大丈夫です。ちょっと色々あり過ぎてびっくりして……」
「カレン、何か少し食べた方がいいわ。それとお風呂に入って、ゆっくりくつろいでまずは心を休めて。私達は失礼するわね」
セリーナはゆっくりと椅子から立ち上がった。
「すぐに食事を持ってこさせよう。さあ、セリーナ様。行きましょう」
ブラッドはセリーナと一緒に部屋を出て行った。
カレンに食事を持ってきたのは、エマだった。
「エマ!」
カレンはエマの顔を見て嬉しそうに笑う。
「カレン、目が覚めたって聞いて……本当に良かったわ」
エマは既に泣きそうになっていた。食事が乗ったトレイをベッドサイドテーブルに乗せ、器に入った大麦のおかゆをカレンに渡す。
「心配かけてごめんね、エマ」
「とんでもない! 謝りたいのは私の方よ。ラグナル達がいることを知ってたのに、カレンを一人にさせちゃったんだもの。あの時、私が一緒にいればカレンは……」
「エマのせいじゃないよ。私も油断してたし。それにこうして助かったんだから」
エマは目を真っ赤にさせ、袖で涙を拭った後ようやく笑顔に戻った。
「……それにしても、まさかカレンが聖女様になるなんて! 私、あんなの見たの初めてで……みんな『奇跡が起きた』って大騒ぎだったのよ」
「私、その時のこと全然覚えてないんだよね。見たかったなあ、自分のことだけど」
エマはアハハと声を上げて笑った。エマと話して落ち着いたカレンはその後、味のしない大麦粥を食べながら、しばらくエマとおしゃべりしていた。