翌朝は早々に屋敷を出て、また荷馬車に揺られる長旅が始まる。ノクティアまでの五日間はハードだったが、カレンは寝て起きれば元気を取り戻していた。
(これが聖女様の加護ってやつなのかな?)
次の屋敷、次の屋敷と移動し、一行は順調に目的地へ向かっていた。
ブラッドは常に聖女セリーナを守るようにそばにいた。セリーナは屋敷に到着すると、外に出ることもなくずっと中にいるのだが、時々ブラッドを伴って屋敷の周囲を散歩することがあった。
セリーナの横に立つブラッドの表情はとても穏やかで、セリーナを愛おしそうに見つめる彼の笑顔を見るとカレンの心は少し重くなった。
(……見ちゃ駄目駄目! 気にしない気にしない……)
カレンは首を振り、二人が仲良さげに歩く姿から目を逸らした。
♢♢♢
アウリス領を出てから五日目。荷馬車に揺られていたカレンは、荷馬車の幌の隙間を覗きながらエマに尋ねた。
「エマ、遠くに見えるあれは何……?」
遠くに煙が一本、筋のように立ち昇っているのが見える。エマもカレンと同じように隙間から外を眺めた。
「ああ、あれは狼煙よ。先にノクティア騎士団が向かって野営地を作ってるはずだから、彼らが場所を知らせているんだと思う」
「なるほど、ああやって私達に知らせているんだね」
考えてみれば電話もネットもなく、連絡手段は郵便か「使い鳥」と呼ばれる伝書鳩のようなものしかないこの国で、効率的に居場所を知らせる最もいい手段が狼煙なのだろう。
一行は広くて整備された街道を外れ、ガタガタと揺れる細い道を狼煙に向かって進み始めた。
「もうすぐ着くわよ。揺れるから転ばないように何かに掴まっておいてね」
そう話すエマは既に荷馬車のふちをしっかり掴んでいた。
アウリス騎士団一行は、ようやくノクティア騎士団と合流した。
野営地と言っても、そこはまるで砦のような場所だった。周囲を石の塀で囲み、中央に背の高い建物が建っている。敷地内には多くのテントが建てられ、中央には大きなたき火があった。塀には等間隔で小さなかがり火も設置されている。魔物は明るさを嫌う為、この火は昼夜問わず野営地を明るく照らすのだという。
恰幅が良く、身なりのいい中年の男がエリックと笑顔で抱き合う。
「エリック、立派になったな」
「ダリオン叔父さん、会えて嬉しいよ。三年ぶりかな?」
「もうそんなに経ったか? 前に会った時は、お前はまだあどけない若者だったな」
ノクティア領主ダリオンは、エリックから体を離すと可愛い甥を慈しむように見ている。
「叔父さんは変わらないね」
「ははは、そう簡単に老け込んでたまるか」
楽しそうに話し込む二人に割り込むように、ノクティア騎士団らしき中年の男が口を開く。
「俺が危険だと申し上げたのに、ダリオン様はどうしてもエリック殿下に会いたいとおっしゃるのでね」
エリックの隣に立つブラッドが中年の男に敬礼のポーズを取る。男はブラッドに敬礼を返した。
「アウリス騎士団、副団長のブラッドです」
男はブラッドをジロジロと頭からつま先まで見た。
「随分若いな。サイラス団長はノクティアに若造を送って寄越したのか……まあいい。俺はノクティア騎士団長のグレゴールだ」
ブラッドは眉をぴくりと動かした。
「アウリス騎士団はサイラス団長を筆頭に、若造ばかりですので。ノクティア騎士団にご迷惑をかけぬよう努めますよ」
嫌味に怯まず冷静に言い返すブラッドを、グレゴールは睨むように見る。
「グレゴール団長も久しぶりだね」
慌てて取り繕うようにエリックが笑顔でグレゴールに声をかけると、グレゴールはブラッドに見せる硬い表情から打って変わって、満面の笑みを浮かべた。
「エリック殿下! いやあ、久しいですな。年を重ねてますます陛下に似てきましたな。その見た目、女達が放っておかないでしょう」
「殿下なんて、ここではやめてよ。僕は騎士エリックなんだから」
エリックとグレゴールは声を上げて笑う。ようやく和やかな雰囲気に戻ったところで、グレゴールは後ろに立つ従騎士を呼んだ。
「うちの筆頭聖女を紹介しよう。おい、イソルデを連れてきてくれ」
グレゴールは自分の従騎士に命じる。従騎士は急ぎ足で聖女を迎えに向かった。ブラッドも従騎士アルドにセリーナを呼ぶように頼んだ。
ブラッド達の前にやってきたノクティアの聖女、イソルデはまだ若く、どこか気の弱そうな女だった。
「イソルデと申します。アウリスの皆様、ノクティアまで来ていただきありがとうございます」
グレゴールはイソルデの肩に馴れ馴れしく手を置いた。
「イソルデはまだ若いが、ノクティア教会の筆頭聖女を務めてもう半年になる」
ブラッドとエリックは思わず顔を見合わせる。彼女はどう見てもまだ十代で、おどおどした自信なさげな態度は、筆頭聖女としては相応しくないように見えた。
一方のアウリス教会筆頭聖女セリーナは、堂々と挨拶をする。
「アウリス・ルミエール教会のセリーナと申します。ノクティアの穢れは大きいと聞いております。今回の討伐で、穢れを完全に取り除けるよう力を尽くします」
イソルデもグレゴール団長も、領主ダリオンですらセリーナの凛とした美しさに息を飲んだ。
「……そ、それではダリオン様。我々は明日の討伐の準備があります。長居をすると危険ですから、すぐに屋敷に戻られた方がよろしいかと」
グレゴール団長が促すと、ダリオンは「分かっている。エリックと少し話したら、すぐに屋敷に戻る」と苦々しい顔で答えた。
アウリス騎士団とノクティア騎士団の挨拶の様子を、カレンは遠巻きに眺めていた。
「……うわー、遠くからでも分かるバチバチ感」
「カレン、ほら、サボってないで早く荷物を運んで」
エマは大きな荷物をいくつも抱えながらカレンに怒る。カレンは「ごめんごめん」と謝りながらエマの所に小走りで駆け寄り、荷物を抱えた。
「……アウリス騎士団とノクティア騎士団って、仲悪いの?」
荷物を運びながら、カレンが小声でエマに尋ねる。共通の敵と戦うというのに、騎士達はお互いなんとなくよそよそしい雰囲気があった。
「さあ……私もそこまでは知らないわ。でもこの後王都からも騎士団が応援に来ると聞いているし、同じ目的で集まっているんだから仲がいいとか悪いとか、ないと思うわよ」
「まあ、それもそうだよね……」
アウリス騎士団の騎士達は、ブラッドとエリック以外は外のテントで雑魚寝をする。使用人達も近くにテントを建て、そこで寝泊まりすることになっている。人数が少ないのでこじんまりとしたものだ。
聖女達は建物の中で過ごすので、セリーナとジョアンナの為に、教会の使用人や侍女達がせっせと荷物を運んでいた。
野営地の中には騎士以外にも傭兵達がウロウロしていた。彼らは騎士とは着ているものが違う他、雰囲気もどことなく違う。ゲラゲラと下品な笑い声を上げながら歩いたり、カレンやエマを無遠慮にジロジロ見ながらニヤニヤしたりと、どこか粗野な印象があった。
傭兵達は普段国境警備に就いているが、ノクティア騎士団が今回の魔物討伐の為に呼んだという。彼らは魔物討伐には参加せず、野営地の警備をする為にここに来ている。
ノクティアでの魔物討伐は、近頃魔物の力が増していて苦戦続きだ。騎士と聖女の手が足りないので、王都とアウリス騎士団に応援を要請し、野営地の警備に傭兵まで呼んだ。
ノクティアでは、騎士の犠牲も出たという。聖女がついていながら騎士が亡くなるというのは、魔物討伐が危機的な状況に陥っていることを表していた。