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第19話 鍛冶場

 大麦コーヒーを作った後、後片づけをしていたカレンにエマが声をかけた。


「私、今からレオンの所に差し入れを持って行くんだけど、良かったらカレンも一緒に行く? 鍛冶場を見たことないでしょ?」

「鍛冶場? 行ってみたい!」


 カレンは目を輝かせた。レオンはエマの恋人で、鍛冶職人をしている。カレンとは挨拶程度の付き合いだ。


「レオン、今日は朝からずっと作業だって言ってたから、お昼を食べる暇もないんじゃないかと思って用意したの」

 エマは手提げの籠を持っていた。その中にはハムとチーズとレタスが挟まれた大きなバゲットが二本入っている。

「それなら、早く行った方がいいね。今頃彼氏、お腹を空かせてるんじゃない?」


 エマとカレンは連れ立って調理場の裏口から外に出る。騎士団の館の裏手には畑や家畜小屋があり、敷地の奥には木々に囲まれるように鍛冶場と工房が並んで建っている。

 鍛冶場の方には用がないので、カレンは向こうに行ったことがない。職人達が騎士の剣や装備品などを作っている所なので、どこか近寄りがたい雰囲気がある。


「そう言えば、ノクティアに魔物討伐に行くって話だけど、私も行くことに決まったのよ」

「エマも行くんだ! 良かった……ちょっと心細かったんだ」

 カレンはエマが同行することに喜ぶ。初めての長旅で、慣れない使用人の仕事をこなせるか心配だったのだ。


「カレンが行くっていうから、私も入れてもらえるように頼んだの。ノクティアへは少人数で行くみたいだから、使用人の負担も大きいと思って」

「本当にありがとう……! エマがいてくれて心強いよ」

「気にしないで。実は私も、ノクティアに一度も行ったことがないから行ってみたかったの」

 エマは笑顔を浮かべる。


(きっと、私が心配だから同行してくれるんだよね)


 カレンはエマの心遣いが嬉しかった。




 鍛冶場は工房の隣に建っている。扉は開け放たれていて、中の様子が良く見える。


「ここが鍛冶場……」

 中はそれほど広くない。奥に大きな炉のようなものが見え、鍛冶場の外にいるだけで暑さを感じる。鍛冶場の中では職人達がそれぞれ作業をしていて、みんな忙しそうだ。

鍛冶場の隅で剣の手入れをしていたエマの恋人レオンは、エマに気づくと作業を辞め、こちらに走って来た。


「エマ! それにカレンも。どうした?」

 レオンはシャツを腕まくりしていて、逞しい腕がのぞく。少し伸びた髪と無精髭が騎士とは違う色気がある。

「こんにちは、レオン」


(こういう男が実は一番モテるんだよね)


 そんなことを考えながらカレンはレオンに挨拶する。


「ほら、差し入れ持ってきたのよ。朝から何も食べてないんじゃない?」

「あー、もうそんな時間? そう言えば食ってなかったな。ありがとう」

 レオンは目を輝かせながら、エマの差し入れを受け取る。


「そういや、カレンはここに来るのは初めてか?」

「そうなの。みんな忙しそうだね……」

 カレンは鍛冶場に目をやりながら呟く。

「ノクティアに急遽行くことになっただろ? 余分に剣を作らなきゃいけなくなってさ」

「そうか……大変だね」


「カレンもノクティアに行くんだろ? エマをよろしくな」

 レオンは隣のエマを見つめながら言った。

「どちらかというと、私がエマに世話になる方だと思うけど……でも、分かった」

 カレンは笑いながら答える。レオンの隣にいるエマはなんだか恥ずかしそうだ。レオンは恋人として、エマが長旅に出ることが心配なのだろう。




 その後レオンは食事をすると言って、エマと一緒に鍛冶場の外にあるテーブルに向かった。カレンは二人と別れ、館に戻ろうと歩き出した。

 工房の前を通り過ぎた所で、後ろから「カレン!」と声がした。


 振り返るとブラッドがカレンを見て駆け寄って来た。そのままカレンの隣に立ち、一緒に歩き始める。

「カレン、鍛冶場に用でもあったのか?」

「エマについて来たんです。彼氏のレオンに差し入れを届けるからって」

「へえ、あの二人は恋人だったのか」

 ブラッドは二人の関係を知らなかったようで、意外そうな顔で呟いた。


「そう言えば、ノクティアに行く件なんだが……突然こんなことになって悪いな」

「いえ、大丈夫です。私も外に出てみたかったですし、それに魔物討伐がどういうものなのか、知りたかったので」

「そうか、それなら良かった……」

 ブラッドは前を向き、何かを考えていた。カレンはその横顔を思わず見る。


「……ああ、何でもない。ところでその……コーヒー……と言ったか? お前の国の飲み物」

「はい、コーヒーです」

「……やっぱり、自分の国に帰りたいか?」

「え?」


 思わず立ち止まり、カレンはブラッドに向き直る。ブラッドも立ち止まり、カレンと向き合う形になった。

「そりゃ、帰りたいよな。だから、自分の国の飲み物を再現したんだろう?」


 何と返すべきかカレンは戸惑い、少し考えた。

「帰りたいか……うーん……最初はもう帰れないと知って悲しかった。それからはここの生活に慣れるために無我夢中で……でも慣れてきたら、結構快適なんですよ。ここの生活」

「本当か? 無理してないか?」

 ブラッドは疑うような顔でカレンを見る。


「私、元の国であまり居場所がなかったんです。人生も上手くいかなくて、ずっとこんな人生なのかなって思うことも多かった。でもアウリスに来てから、毎日大変だけどなんだか楽しくて……それで思ったんです。私、日本だろうがアウリスだろうが、楽しく生きられればどこでもいいんだって」


 ブラッドは黙ってカレンの話を聞いていた。

「……そうか。ならいいんだ。俺はお前が、ニホンに帰りたくて苦しんでいるんじゃないかと心配だったんだ」


「私、そこまで弱くないから平気です。でも、心配してくれてありがとうございます」

 ブラッドはなんだか驚いたような顔で、微笑んでいるカレンをじっと見た。


「……そうだ、カレン。お前の生まれた所の話を聞かせてくれ」

「生まれた所? うーん……何もない田舎町ですよ。ああ、でも一つ好きな所があって」

「どんな所だ?」

 ブラッドは穏やかな笑みを浮かべながら、カレンの話に耳を傾ける。

「とても大きくて、綺麗な山があるんですよ。富士山って言うんですけど」

「フジサン?」

「そうです。フジの山。えーと……」

 カレンは突然辺りをキョロキョロすると、小枝を見つけて拾い上げ、その場にしゃがみ込むと地面にガリガリと絵を描き始めた。


「こんな感じで……綺麗な形してるでしょ? 私の育った町は、富士山が良く見えるんです。大人になって町を出て、富士山が見えない所に引っ越しちゃったから寂しかったな」

 カレンが地面に描いた絵は、三角形の富士山の絵だった。じっとそれを見ていたブラッドは、突然ハッとしたように顔を上げた。


「カレン、お前に見せたいものがあるんだ。ちょっと来てくれ」

「え?」

 ブラッドは目を輝かせ、戸惑うカレンを連れて騎士団の館に戻った。

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