翌日、普段通りに仕事に励んでいたカレンは、夕食後の後片づけをしに騎士の食堂に入った。
カレンはだいぶ仕事が早くなり、手際よくテーブルにある食器をワゴンの上に積んでいく。
夢中で仕事をしていたカレンの元に、騎士が二人近づいてきた。
「やあ、カレン。ちょっといい?」
顔を上げると、そこにはにやけた顔の騎士が二人。どちらも自分と同じくらいの年齢と思われる男達だ。
「何ですか?」
初めて話す男達なのに、名前を覚えられていることに戸惑いつつ、カレンは応じる。
「話すのは初めてだよね? 俺はラグナル」
「やあ、俺はソーンだよ」
二人は酒臭い息でカレンに軽く自己紹介をした後、ラグナルと名乗った男は話を続ける。
「悪いんだけどさ、イチゴがどうしても食べたくなっちゃったんだ。持ってきてくれない?」
「分かりました。でも私、他の仕事があるので他の人に頼みますね」
「そっちは後回しにしてよ。すぐに持ってきて」
ラグナルはにやけた顔のまま、強引に頼んできた。
「……そうですか。分かりました」
「ありがとう、俺の部屋は二階にあるから。部屋の扉に名前が書いてあるから、間違えないでね? それじゃ」
「え? 部屋……?」
驚いて聞き返すカレンに、もう一人の男、ソーンは「よろしくね」と言い残し、二人はさっさと食堂を出て行ってしまった。
カレンは仕方なく、調理場に戻ってイチゴを器に入れる。
(なんか、嫌な予感……)
カレンはじっとイチゴを見ながら考え込んでいた。
♢♢♢
カレンを呼び出したラグナルの部屋の中には、ラグナルとソーンが二人いた。彼らは酒を飲んでいて、既に二人とも相当酔っている。
上機嫌の二人に、ようやく待ちかねた人物がやってきた。扉をノックする音と「カレンです。イチゴをお持ちしました」と言う声が扉の向こうから聞こえ、ラグナルとソーンは目を合わせ、お互いにニヤリと笑った。
ラグナルが扉を開けると、そこにはカレンが器を乗せたトレイを手に持って立っていた。
「やあ、待ちかねたよ。さあカレン、中に入って」
「……ここでお渡しします。中へはちょっと……」
カレンは戸惑うような顔でトレイをラグナルに渡そうとした。ラグナルはカレンが困る顔を見て、ますます目尻を下げる。
「イチゴをそこに置いてよ」
ラグナルは部屋の中のテーブルを指した。カレンは一呼吸置くと「……分かりました」と答えて部屋の中に入った。
テーブルの上にトレイを置き、すぐに帰ろうとカレンは踵を返す。その時、ソーンが扉をバンと閉め、扉の前に立ちふさがった。
「……どいてもらえます?」
カレンの表情がこわばる。ソーンはにやけた顔でカレンに近寄って来た。
「もちろんどいてあげるよ? でも少し、俺達と話をしない?」
ラグナルもニヤニヤしながら、カレンに近寄る。
「構わないだろ? いつもこういうことをしているらしいじゃないか」
「何のことですか?」
カレンの表情が更に険しくなる。
「俺達に言わせないでよ。こういうのが好きなんでしょ? 俺達以外の奴らとも色々楽しんでるそうじゃないか」
ラグナルは手を伸ばすとカレンの顔を撫でた。
「触らないで」
反射的にカレンはラグナルの手を振り払った。
「何だよ、俺達じゃ不満だっての?」
抵抗されたことに苛立ったラグナルは、カレンの肩を強引に掴むと、酒臭い息を吐きながらカレンに顔を近づけてきた。
「私に触るな!!」
カレンが叫んだその時、突然部屋の扉が大きな音を立てて開き、中にブラッドが飛び込んできた。
「えっ?」
驚くソーンを突き飛ばし、カレンの肩を掴んでいたラグナルを引きはがし、ブラッドは勢いよくラグナルを壁に叩きつけるように押し付けた。
「ブ……ブラッド副団長!?」
驚愕しているラグナルをブラッドは睨みつける。
「お前、こんなことをしてただで済むと思うな!」
ブラッドが来たことに驚いたソーンはへたり込んだ。
「も……申し訳ありません!」
ブラッドに押し付けられているラグナルも顔面蒼白だ。
「こ……これは誤解なんです」
「話は後でゆっくりと聞く。それまで二人とも、部屋から一歩も出るな!」
ブラッドの迫力に、二人とも何も答えられなくなっていた。
カレンとブラッドは二人、廊下を歩いていた。やがて階段前の踊り場に着いた所で、ブラッドはカレンに振り返る。
ブラッドの顔には怒りが浮かんでいた。
「危険な賭けだったぞ。カレン」
カレンはブラッドに頭を下げた。
「来てくれてありがとうございました、ブラッド様」
「俺の救出が間に合わなかったらどうするつもりだったんだ? 無謀すぎるぞ」
ブラッドの怒りは大きい。腕組みをし、大きなため息をつき、カレンを睨んでいる。
──今から少し前。ラグナルとソーンに、部屋にイチゴを持ってくるよう言われたカレンは、嫌な予感がしていた。イチゴを持って行く前にカレンは副団長室を訪ね、扉をノックしてみるが、中から応答はない。
(いないか……)
諦めて戻ろうとしたカレンの目に、従騎士アルドが一人で歩いてくる姿が目に入った。
「アルド!」
「カレンさん、副団長室に用でしたか?」
アルドは焦ったような顔をしているカレンに、不思議そうな顔をした。
「ブラッド様は今どこに?」
「サイラス団長に呼ばれて団長室に……もう戻っている頃かと思いますが、いませんでしたか?」
「いなかったみたい。ねえアルド、急いでブラッド様に伝えて。宿舎の二階のラグナルの部屋に来て欲しいって」
「ラグナル? 彼が何か急用ですか?」
「私がラグナルに呼び出されてるの。中で揉めてる音が聞こえたら、すぐに部屋に入ってきて欲しいって」
「は……え?」
アルドは事態が飲み込めず、戸惑っている。
「お願い、必ず伝えて。じゃあ私行くから」
カレンはアルドを残して去って行った──
「アルドが急いで俺に伝えに来てくれたから良かったが。何故一人で部屋に行った?」
カレンは俯きながら口を開く。
「……あの二人を現行犯で捕まえたかったので……」
「お前は考えが甘すぎる。あの二人は酒好きで、普段は大人しいが酒に酔うとたちが悪いんだ。お前が無事だったのは運が良かっただけだ」
「……すみません……」
カレンは小さくなりながら謝る。ブラッドの怒りはもっともだ。どこかでカレンは、騎士団の宿舎の中だしそこまで危険はないのではと、甘く考えていたところがあった。
ブラッドはしょんぼりしているカレンを見て、少し困ったような顔をして頭をガシガシと掻いた。
「……お前の気持ちも分かるが、今度こういうことがあったら小細工せずに俺に言え」
「はい……分かりました」
ブラッドはようやくホッとしたのか、表情を緩めた。
「……お前は美人だから、遅かれ早かれこういう問題は起きるだろうと思っていた。だから俺は騎士達に『カレンは教会からお預かりした女だ』と言っておいたんだ。そう言っておけばあいつらは妙なことをしないだろうと思っていたんだが……」
ブラッドはカレンに背筋を伸ばした。
「俺の考えが甘かったようだ。俺のせいでカレンを危険な目に晒した。申し訳ない」
ブラッドの謝罪に、カレンは慌てた。
「いえ、ブラッド様のせいじゃありません。彼らが悪いんです」
「騎士の不始末は、副団長の俺に責任がある。あいつらの処分はきっちりと済ませるから、それで許してくれないか」
「わ……分かりました。ブラッド様にお任せします」
「ああ。それじゃ、気をつけて帰れよ」
ブラッドは再び廊下を戻って行った。恐らくこの後、あの二人の騎士と話すのだろう。カレンは使用人棟へ戻ろうと階段に足を進めた。だが足がガクガクとして歩けない。カレンはその場にへたり込んでしまった。
「……怖かった……」
ポツリと呟き、落ち着くまで呼吸を整えた。なんとか立てるくらいまで回復し、ようやく立ち上がったカレンは、ふとブラッドのある言葉を思い出した。
(……ブラッド様、私のこと美人って言った?)
カレンは後ろを振り返り、ブラッドが去った方向をじっと見ていた。