カレンがある日、調理場で野菜の下ごしらえを手伝っていた時のことだった。
首ホクロ女、アメリアが調理場にずかずかと入って来た。
「ねえあなた、お茶をお願いしていいかしら?」
声をかけられたエマは「お茶ね? ちょっと待ってて!」と言い、急いでお茶の用意に行く。
お茶を待つ間、暇そうに調理場の中を見回していたアメリアは、テーブルの上で芋の皮をむいていたカレンを見つけると、意地の悪い笑みを浮かべて近づいてきた。
「あらぁ、こんなに沢山の皮むきをするなんて、下働きって大変なのねぇ」
カレンは顔を上げ、アメリアの顔を見ると眉をひそめ、再び作業に戻った。アメリアがカレンに話しかけてきたのはこれが初めてだが、これまで何度もアメリアには嫌な思いをさせられている。
(無視しよ)
反応しないカレンにムッとしたのか、アメリアは腰に手を当て、更にカレンに絡んできた。
「ほら、私って針子だから、こういう下働きって経験がないのよね。一日中こんな仕事してるなんて、あなたも大変ねぇ。でも針子もとっても大変なのよ? 今日も騎士様が着る服の直しに行かないといけないし、騎士様のお話相手もしなきゃいけないの」
「そうですか」
カレンは仕方なく、芋の皮をむきながら面倒臭そうに返事をした。
「騎士様はみんな、私に服を繕って欲しいんですって! だからみんな私の順番待ちなの」
「それはすごい」
カレンは芋をぽいと籠に入れ、再び別の芋を手に取る。最初はなかなか上手く包丁を扱えずに苦労したが、ようやく皮むきも上手くなってきた。
アメリアは反応が悪いカレンに苛立ち、机の上にバンと音を立てて片手を置いた。そして顔をカレンにぐいっと近づけ、意味ありげな笑みを浮かべる。
「騎士様はみんな、私に夢中なの。エリック様だって私の身体を褒めてくれるのよ」
カレンは包丁を置き、アメリアをじろりと睨んだ。
「誰と寝た自慢って、一番ダサいと思うんですけど」
「な……!」
アメリアは顔を真っ赤にした。
「あと、私とエリック様は何の関係もないんで、変な八つ当たりはやめてください」
アメリアは眉を吊り上げると、それ以上何も言わずにカレンから離れていった。
(つい言い返しちゃった。喧嘩にならなくて良かったー……)
カレンはアメリアの後ろ姿を見ながらため息を漏らした。調理場で揉め事を起こしたら、最悪の場合騎士団の館から追い出される可能性もある。ここで問題を起こしてブラッドに迷惑をかけたくはない。
アメリアにお茶を渡した後、エマが心配そうな顔でカレンの元へやってきた。
「大丈夫だった? 何だか話しかけられてたみたいだけど」
「ああ……うん。大丈夫。あの女、何故か私に『騎士と寝た』自慢をして帰って行ったよ」
「そんなことをカレンに言ったの? 嫌な感じね」
エマは顔をしかめた後、辺りを見回して声を潜めた。
「……彼女、カレンが来る少し前に入ったばかりだけど、騎士とやけに仲がいいみたい。私が聞いただけで三人の騎士とその……男女の関係になったみたいよ……」
「三人!?」
驚いたカレンは思わず声が大きくなった。
「針子の友達に聞いたの。彼女、自分で自慢してるのよ。その中にはエリック様もいるんだって……」
「へええー! 凄いね! 私は誰とも寝てないっていうのに、あの女は最近入ったばかりで既に三人と寝てるってこと!?」
「もう、カレン! 大きい声で下品なことを言っちゃ駄目!」
焦るエマに、カレンはアハハと豪快に笑う。
「平気だよ、ここには騎士も来ないし聞かれたって……」
その時、エマが「あっ」と声を上げた。
カレンが振り返ると、そこには従騎士アルドが眉間に皺を寄せながら立っていた。
「……あら、こんにちはアルド」
ごまかすように笑うカレンに、アルドはますます眉間に皺を寄せた。
「ブラッド様が、少し小腹が空いたので何か欲しいとのことです」
エマが焦りながら「サンドイッチでいいかしら? すぐに用意するわね!」と言い、奥へ逃げるように行ってしまった。一人残されたカレンは、気まずそうにアルドに微笑むと、気を取り直して作業に戻った。
♢♢♢
従騎士アルドはチーズとハムが挟まれたサンドイッチをトレイに乗せ、ブラッドが待つ副団長室に入った。
「お待たせしました」
「ありがとう、アルド。そこに置いてくれ」
アルドはソファの前にあるテーブルに、サンドイッチを静かに置いた。
机でブラッドは手紙を読んでいた。読み終わった所で、ブラッドはため息をつきながら背もたれに背中を預ける。
「先日の討伐の後は、裂け目も綺麗に塞がっているし、土地も浄化されている。やはりセリーナ様の力は凄いな。アウリス領は王国で今、最も安全な土地と言えるかもしれん」
「さすがセリーナ様ですね」
離れた所に立つアルドは、ホッとしたように表情を緩めた。
「だがノクティア領の様子がな……近々、向こうに騎士と聖女を派遣することになるかもしれない」
「あちらの状況は良くないのでしょうか?」
心配そうに尋ねるアルドに頷きながら、ブラッドは椅子から立ち上がり、ソファに移動してサンドイッチを手に取った。
「良くないようだ。とりあえず、向こうの状況を確かめてからということにはなるが」
ブラッドはサンドイッチにかぶりついた。よほどお腹が減っていたのか、あっという間に全て平らげてしまった。
「そう言えば、カレンは元気にしているか? 調理場に行ったんだろう?」
手をハンカチで拭きながら、ふと思い出したようにブラッドはアルドに尋ねた。
「ええ、元気そうでした……」
アルドは答えたが、まだ何か言いたそうな顔をしている。ブラッドは首を傾げた。
「何だ? 何かあるのか?」
「……実は、カレンさんのことで一つ気になっていることが」
「何だ?」
「騎士達の噂です。カレンさんがその……手当たり次第に騎士と寝ていると」
ブラッドは表情を変え、身を乗り出した。
「誰がその話を?」
「……談話室で、数人が話しているのを聞きました。ですが妙なのです。先ほどカレンさんが調理場で『自分は誰とも寝てないのに、あの女は既に三人と寝てるのか』と話しているのを聞きました。噂とは全く逆なのです」
「あいつ、調理場で一体何の話をしてるんだ」
ブラッドが呆れた顔でため息をつく。
「騎士の噂が正しいとすると、彼女の話と合いません。どちらかの話が嘘だということになります」
ブラッドは顎に手を当て、その表情は厳しい。
「カレンがそんな女には見えないが。その騎士の噂の出どころを確かめたい。アルド、頼めるか?」
「かしこまりました。ブラッド様、僕もカレンさんが騎士の噂通りの女性とはどうしても思えません。調理場で本人が話していたのが真実だと思います」
ブラッドはアルドの言葉に意外そうな顔をした。
「なんだ、アルド。随分カレンを庇うんだな」
アルドはさっと視線を逸らした。
「……あの人は言葉は汚いし、振る舞いも下品ですが、嘘をつく人ではないと思います」
ブラッドはアルドの言葉を聞き、嬉しそうに微笑んだ。