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ここぞというときの


「――あ! 師姉ねえさま! あそこ! グレーのおうち!」


 ルヴリエイトからの通信を一方的に切った直後、〈ハレーラ〉のコックピット、その補助席でエンが嬉しそうに叫んだ。

 現在、機体はカシーゴ・シティ南部の住宅街上空を低空飛行しているところで、眼下には似た形の家屋が緩やかな扇形に建ち並んでいた。

 全天型立位操縦席スタンディング・コックピットのため、四方がほとんど透過されているコックピットにあっては、幼いエンでも容易に足元に広がる光景が視認できる。

 その曖昧な合図でも、目的地を確信したリエリーは、普段から寄りがちな眉根をさらに寄せていた。


「……あっこって、たしか」

「来たことがあるのか?」

「あー、うん。で一回」

「なるほどのう」


 含みがちに言った意図を理解してくれたらしく、副操縦士席のレイモンドは強面をいっそう険しくしていた。

 リエリーの仕事――つまりは、救命活動を指している。

 訪れた現場を全て記憶している自分には、場所はもちろんのこと、その救命活動の結果もたちどころに思い浮かんでいた。


(けど、あんとき、子どもなんていなかった)


 そこが、腑に落ちないところだった。

 エンが示した家屋――屋根に大穴が空いている住宅では、1名の涙幽者だけしかいなかった。

 その涙幽者も、発見が遅れたためか、飢餓係数が限界値に達していて、自分たちが到着した時には手の施しようがない状態だった。

 そして数ヶ月が経った今でも住宅が修繕されていない理由も、リエリーは鮮明に覚えている。


「あの“腹ぺこレベネス”ん家、遺体がめっちゃあってさ。そんでレベネスは……」

「わかったからもういいわい。それ以上は言わんでも察しがつく。おまえさんも空気を読まんか、リエリー」

「あー……」


 レイモンドの言わんとすることを理解し、リエリーはおそるおそる補助席を振り返る。が、あったのは上機嫌なエンのあどけない表情だけで、「師姉さま! ぼく、はやくかえりたいです」と無邪気な希望が胸の奥をズキリとさせてくる。


「エンさ。ほんとになんも覚えてないの?」

「おぼえてます! ぼくは、おとうさんとあのおうちに住んでいました!」

「そ。エンのパパはさ――」

「――すまんがエン。ここじゃあ降りられんのじゃよ」

「……お師匠、さま?」

「ほれ、この船は大怪我しとるじゃろ? ここで着陸するとな、もう飛べんようになる。戻って、儂らの工場こうばでそぅっと降ろしてやらんといかんのじゃ。じゃから、ここから見るだけにしとくれんか? のう、リエリー」


 レイモンドの説明は、出任せではなかった。

 実際、出発にあたっては一悶着どころではない騒ぎがあった。エンジンの簡易チェックを済ませ、無傷であると判明したにもかかわらず、レイモンドは頑なに飛行を許可しなかったのだ。念入りに点検するまで、安全性が確保できないと言うレイモンドに対し、リエリーはこの一言を叩きつけた。


 ――あたしだったら? ロカに会える最後のチャンスかもしれなかったら?


 結局、『レイモンドが同行し、着陸させず直ちに引き返す』という条件付きで、かろうじてリエリーは愛機を飛ばすことが叶った。

 だから、穏やかな声の奥で、こちらへガンを飛ばしているレイモンドの言葉に、リエリーは「あー、まー、そういうこと」と、歯切れの悪い返答しかできなかった。

 レイモンドの顔と交互に目を移し、エンが下を向く。


「また今度じゃな。ほれ、リエリー。帰るぞい。もたもたしとると、おまえさんの母親が――」

「――いくもん!」

「まってエンッ!」


 シートベルトに邪魔され、補助席から飛び降りたエンの阻止に失敗。

 そうして、いつの間に覚えたのか、灰毛グレイスカーの小柄な背は、ピョンと飛び上がるとコックピットから直に屋外へ出るハッチの開閉ボタンを叩いていた。

 救命活動用に設計されたハッチが瞬く間に開け放たれ、エンの姿が夕空に消えていき――。


「――まぁ、こんなに急いでどこに行くのかしら、エンちゃん」

「ルー!?」


 4本のマニピュレータでエンを抱きかかえた乳白色の正十二面体が、ゆっくりと浮き上がってきたのだった。

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