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命より大事なもの


「――エン! エン!!」


 床へ崩れ落ちる前に、小さな体を受け止められたのは、些細な幸運だった。

 が、その幸運も、長続きはしなかった。

 両腕にズシッと、のし掛かった重み。灰毛グレイスカーを生やした頭はぐったり動かず、あどけなさが残る狼貌ウルフフェイスは真っ青で、否が応でも最悪の事態がリエリーの思考をよぎっていた。

 すぐさまコックピットの床へ静かに横たえ、首元と突き出た鼻の先へ指を置く。


(脈はある!)


 今にも消え入りそうな弱々しさだが、ドクドクと脈打つ生命の証が感じられる。呼吸も浅いが、しっかりと息が指先に伝わって、リエリーは小さく息を吐き出していた。

 習慣から自分の頭を触わるが、いつもなら返る〈ギア〉の質感が、今はない。部屋に置いてきたことを思い出し、舌打ちしそうになる。


「……おとう、さん……ごめんな、さい……」

「エン!? レイ爺ちゃん! こういうこと、まえもあった?」


 血の気が失せた顔が苦痛に歪み、口元から絶え絶えな声が漏れ出る。

 明らかに、尋常でない反応だった。

 考えられる可能性が瞬間的に複数思い浮かび、リエリーは弾けるように操縦席を見上げた。


「ぬぅ……。いんや、あんな悲鳴は初めてじゃわい。いったい、どうしたんじゃ?」

「あたしがボトルを落として割れたんだ。そしたら、エンが急に苦しみだして……。エン、デッカい音が苦手だったりする?」

「ないじゃろうな。工場で過ごしとったんじゃ。破砕器クラッシャーを見たときゃあ、手を叩いて喜んどったぞい」

「なら聴覚じゃない……。レイ爺ちゃん、どっか駐めて。船は置いてっていいから。センターに連れてくかも」

「無茶を言わんどくれ。おまえさんたちの“家”を吊っとるんじゃぞ? 無傷ならまだしも、いつなんどき臨界点を越えるか知らん状態で、こんな街中に置いとられるかい!」


 また自分の額を叩きそうだった。

 馬鹿な失敗のせいで、今度はエンの命を危険にさらしていた。


(反省はあと。いまは……)


 レイモンドが言った通り、足元には〈ハレーラ〉――救助艇が牽引されている。幾多の命を見送り、同時に救ってきた愛機だ。


「……じゃ飛ばして。着いたら呼んで」

「待てリエリー! どうするつもりじゃ?」

「エンを〈ハレーラ〉に連れてく。あそこなら診察できる」

「じゃが――!」


 レイモンドの言葉を待たず、リエリーはエンの首と膝の裏に腕を差し込むと、踵を返した。

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