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クリティカル・やらかし

「マジ、最悪」


 何度、吐いたかわからない愚痴を性懲りもなく繰り返し、リエリーは天井を仰いだ。

 自分の“やらかし”で、奇跡的に無傷だった部分の一つだ。屋外の光景をリアルタイムで映し出す透過天井ミラールーフには、橙色に色付き始めた空が、千切れた雲を浮かべている。


「はやく片づけないと……。ルーが見たら……」


 怒りの絵文字を筐体に浮かべた正十二面体キューブの姿を思い浮かべ、つい、身震いしてしまった。きっと、『リエリー・セオークっ! 自分が下敷きになるところですよ!』と延々、説教を垂れるはずだ。

 そういうとき、絶妙のタイミングでルヴリエイトに“用事”を頼むのが、マロカの得意技だった。早すぎても火に油を注ぐし、説教が長引くとリエリーの欠伸が止まらなくなって結局、火に油を注ぐ羽目になる。その見極めが、養父は大変に上手かった。


「ま、たまにミスってロカも怒られるけど。……だいじょうぶかな、ロカ」


 他人がいないからこそ、口に出せる心配だった。

 ここがヘリックス・メディカルセンターで、自分が寝付く前、ルヴリエイトはカーラ医師に連絡してあると言っていた。マロカの主治医であり、涙幽者の研究では世界的権威でもある彼女なら、安心できる。というよりは、マロカに関してはカーラだけしか、リエリーには安心できる相手がいなかった。

 今、あのときのマロカの姿を思い返しても、背筋がゾッとする。

 あのまま、ルヴリエイトが来なかったら、と想像しかけ、リエリーは千切れんばかりに首を横へ振っていた。

 悪い“もしもif”を考えたところで、良いことは一つもない。

 現実は、ルヴリエイトのおかげでマロカの応急処置ができ、カーラへ引き継げた。それだけで満足すべきだ。


「にしても、あの“クソ副マス”、なにしにきたわけ?」


 出力を抑えた個有能力ユニーカで、ゴミと化した自室の欠片を隅へ集めながら、リエリーは思いっきり眉をひそめた。家族に聞かれたら小言を言われること間違いなしの表現だが、幸い、ここには自分と半壊した部屋しかない。

“クソッタレ・副枝部長ネクサスマスター”こと、ブロントの仏頂顔を思い出しただけでムカムカし、リエリーは、掻き集めた瓦礫の小山に蹴りを入れることで八つ当たりを実行する。

 そのブロントが、何かを言っていたような記憶もあるのだが、思い出すとまた八つ当たりしそうで、リエリーは回顧を打ち切った。これ以上、片付けの手間を増やしては元も子もない。


「あ゛ー、腹へったー、眠いー、しんどいー、めんどいー!」


 現在進行形で感じているものを言葉で吐き出し、室内をダッシュする。が、直後にゴンッという鈍い音を伴い、右足の小指に鋭い痛みが走った。


「痛った――!?」


 文字通り、踏んだり蹴ったりな状況に陥った刹那、頭をある考えが過った。


「……イケる!」


 片足立ちで飛び跳ねつつ、アイディアの検討をこなし、ガッツポーズをしてみせる。痛みが人を成長させるというのは、真実らしい。

 そうして足を引きずりながら、引っくり返った作業机の元まで向かい、必要なものをまさぐると、目当てのもの――自作の小型通信機はすぐに見つかった。


「あー、もしもし? レイ? あたしだけどさ……」

『――はいっ、こちら〈マーサ&レイモンド・ガレージ&ロッジ〉ですっ! あっ、リエリー師姉ねえさまだ!』

「あれ? エン?」


 予想した嗄れ声ではなく、やや舌足らずな元気のある返答が返って、リエリーは目を瞬かせていた。


『はいっ! おしごと、終わったですか、師姉さま?』

「あー、まあ、そんなとこかな。なんでエンがレイの通信機もってんの?」

『お師匠さまが練習にって。……あの、もしかしてだめですか?』

「いやいやいや! ぜんっぜん、だいじょうぶ! だいじょうぶだから! さっすがレイだなって思っただけ」


 エンは、異常なほど叱られることを怖れている。そのことを思い出したリエリーは、全力でフォローの言葉を重ね、ゴクリと唾を飲み込んでいた。


『あっ、お師匠さま! はいっ、リエリー師姉さまです』


 そんな言葉が続くと、今度こそ、嗄れたぶっきらぼうな声が返った。


『リエリーか。どうした? これに掛けてくるとは珍しいこともあるもんじゃな』

「まあね。ねぇ、レイ。いまからそっち、行ってもいい?」

『来るのは構わんが、おまえさんたち、現場じゃなかったのか?』

「あ、うん、それは済んだから」

『……何を隠しとる。おまえさんがそう言うときは、何かあったときじゃろ?』

「え、いや、んなこと……」


 部屋を見回し、言葉が続かなくなった。これで“何もない”と噓を吐くのは、さすがに無理があるというものだった。

 それに、マロカのことはまだ話したくなかった。


『ルヴリエイトからじゃないっちゅうことは、さては、おまえさんがやらかしたな、リエリー』

「せいかーい。ちょっと〈ハレーラ〉のフレームが――」

『――何じゃと?! フレームじゃと? あれのフレームは、あやつの“癇癪”にも耐える超剛性マテリアルじゃぞ! おまえさん、いったいどこにぶつけおったんじゃ!?』

「あー、ぶつけてないよ? フレームも無事。ただちょっと、ユニーカをミスって、あたしの部屋が……吹っ飛んだっていうか?」

『ふ、吹っ飛んだぁっ?!』


 鼓膜を突き破りそうな裏声に、慌てて通信機を耳から遠ざける。

 言葉選びを間違えた、と反省する間もなく、レイモンドの銅鑼声がスピーカーを震わせた。


『今どこじゃ! タグボートですぐ行くから待っておれ! いいな、リエリー! 何があってもエンジンを入れるんじゃないぞ! あのエンジンが損傷しておれば、只事じゃ済まん』

「そんな大ごとじゃないってば! 機体は無事だって――」

『――このっ、馬鹿もん……いや、エン、わしは怒っとらんぞい。ああ、見てみ、この笑顔じゃぞ? そうじゃ、8番ガレージに行って、準備しとくれんか? ああ、そうじゃ。助かるぞい』

「忙しいね、レイ」

『誰のせいじゃと思うとる!!』

「……うっ」

『ふうー……。いいか、リエリー。あの船は、わしが部品を仕立てて組み立てたんじゃぞ。おまえさんの部屋から見えるフレームは、エンジンの支柱につながっとる。意味がわかるか?』

「……マジで?」

『マジじゃ!! じゃから現在地を早う言えい! わしからルヴリエイトに連絡してもいいんじゃぞ?』

「ヘリックス・メディカルセンター、南側屋上パーキング、B区画」

『よし。アイドリングしとらんな? センターを木っ端微塵にしたくなけりゃ、大人しくしとれよ!』

「わ、わぁった」


 荒々しく通信が切られ、静寂が耳に返る。

 改造に改造を重ねた〈ハレーラ〉が、“キワモノ”で、レイモンド以外には手が付けられないのは知っていたが、まさか、自分がその中核を破壊しかけるとは、思いもしなかった。

 先刻とは異なる意味でゆっくり、周囲を見回し、ゴクリと唾を飲みこむ。


「……あたしのバカ」


 今度は、限りなく小さい声でこぼしたのだった。

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