目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

機母の苦労は終わらない

 ――あれは、自分を偽っているな?


 枝部内の廊下を漂いながら、思考では、先刻のブロントの言葉が繰り返し、再生されていた。


「……っ」


 自分に、人間で言うところの“歯”があったなら、ギシギシと音を立てているところだ。

 それほどまでに、ブロントの言葉は、激しくルヴリエイトの思考を乱すものだった。


(エリーちゃんはそんなこと……)


 ない、と断言できれば、どれほど楽だっただろう。

 支援機としての演算能力を発揮せずとも、16年近く、傍で見てきた身には、あの言葉がデタラメではないことくらい、痛いほどわかる。

 それは、長い間、触れまいとしてきた考えだった。

 

 当然、本人は真っ向から否定するだろう。それこそ、怒り狂って数日は家に帰らないかもしれない。

 リエリーのその反応が容易に思い描けるからこそ、ルヴリエイトは苦しかった。

 それはすなわち、ブロントの言葉が正しいと証しを立てるようなものだからだ。そういう反応をするとき、決まってリエリーの本心は、真反対を示している。


(ロカがいてくれたら……)


 苦楽を共にしてきた彼になら、自分の葛藤を打ち明けられた。彼ならきっと、穏やかなあの深海の色を宿した目でこちらを見つめ、話を真剣に聞いてくれただろう。

 たとえ、彼にとっても苦しい話題であってもだ。

 ズルい、という自覚はあった。自分が楽になりたいがために、話を聞いてもらう。ひいき目に見たところで、良きパートナーとしての振る舞いとは言えない。

 それでも、彼が聞いてくれたなら、何かしら変わるかもしれない。

 そんな根拠のない望みもまた、思考を満たしていた。


(タフな一日ね)


 普段通りの、騒がしく明るい一日のはずだった。

 それが、想定外の来客に始まり、同僚たちの痛ましい事件に枝部長の通達。

 微笑ましい出来事もあったが、その後は、マロカが倒れ、リエリーは疲労困憊でダウン。

 そこに追い打ちをかけるような、ブロントとのやり取りが続いた。

 救命活動のハシゴより、よっぽど神経をすり減らす内容ばかりだった。

 期待していたカーラからの連絡もないということは、まだマロカは目を覚ましていないのだろう。今すぐにでも彼の元へ駆けて行きたかったが、自分が行ったところでできることは、ない。


(しゃんとしなきゃ。帰って、エリーちゃんにごちそうを作りましょう)


 カーラに言われた通り、ルヴリエイトの家族はマロカだけではない。救命活動の腕は確かでも、まだまだ未熟な娘が、家で待っている。

 それに、マロカ不在の今、自分がやらなければならないことは、山のようにある。


「……まずは、エリーちゃんに休業申請をしてもらわなきゃね」


 西日が差す、人影がまばらな枝部の渡り廊下で、やるべきことを音声に出す。そうでもしないと、思考がパンクしてしまいそうだった。

 枝部長には悪いが、今のリエリーにはリーダー代理が務まるとは思えなかった。

 ハリスに腹案があるにしろ、救命活動に関わる業務は、しばらく中止する。同僚たちには迷惑を掛けるが、家族をこれ以上、危険にはさらせない。

 それが、ここまでの道中でルヴリエイトが導き出した結論だった。


「さあて、エリーちゃん、そろそろ起きた頃かしら……ね?!」


 自宅にして、仕事道具である救助艇〈ハレーラ〉を駐めてある屋上駐機場に出、ルヴリエイトは完全に固まってしまった。

 


「……もしもしエリーちゃん?」


 辛うじて思考を再開し、まずは娘の通信機へコールする。

 予想に反し、ワンコールで目当ての声が返った。――が。


『――やっほ、ルー』

「やっほ、じゃないわねよっ!! アナタいったい、どこにいるの! どうして位置情報まで切ってあるわけ? ちゃんとお水は飲んだ?」

『うわっ、激おこルーだし。聞いた? エン、これがほんとのルーだよ』

「……ちょっと待って。今、なんて言ったの――」

『――ルーさん……? ぼく、おとうさんのこと思いだして、それで、師姉ねえさまに、そのことを言ったら……』

「エ、エンちゃん?! そ、それはよかったわねー。それで、エンちゃん、どうしてお船に乗っているのかしらー? 怒らないから、教えてくれるー?」

『――すまん、気付いたときにゃ、もう飛んどっての』

「飛んどって、じゃないっ……。ふぅー。いいから、行き先を教えて」

『だいじょうぶ。すぐ帰るから。じゃ』

「待ちなさい――!」


 制止も虚しく、一方的に通信が切られていた。幸い、レイモンドが時間を稼いでくれたおかげで、おおよその位置は逆探知できたが。


「……長い一日になりそうだこと」


 ため息も、叫びたい衝動も堪え、ルヴリエイトは無の境地を目指して独りごちる。

 そうして、自機の状態を素早くチェックすると、全てのマニピュレータを筐体に仕舞い、代わって、普段は使わない推進装置のノズルを露出させる。


「待ってなさい、エリーちゃん。帰ったらたっぷり、お説教ですからね……ッ!」


 筐体の全面に、『笑顔の悪魔の顔』の絵文字を浮かび上がらせると、ルヴリエイトは夕陽へ向かって、一直線に突っ込んでいった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?