――あれは、自分を偽っているな?
枝部内の廊下を漂いながら、思考では、先刻のブロントの言葉が繰り返し、再生されていた。
「……っ」
自分に、人間で言うところの“歯”があったなら、ギシギシと音を立てているところだ。
それほどまでに、ブロントの言葉は、激しくルヴリエイトの思考を乱すものだった。
(エリーちゃんはそんなこと……)
ない、と断言できれば、どれほど楽だっただろう。
支援機としての演算能力を発揮せずとも、16年近く、傍で見てきた身には、あの言葉がデタラメではないことくらい、痛いほどわかる。
それは、長い間、触れまいとしてきた考えだった。
当然、本人は真っ向から否定するだろう。それこそ、怒り狂って数日は家に帰らないかもしれない。
リエリーのその反応が容易に思い描けるからこそ、ルヴリエイトは苦しかった。
それはすなわち、ブロントの言葉が正しいと証しを立てるようなものだからだ。そういう反応をするとき、決まってリエリーの本心は、真反対を示している。
(ロカがいてくれたら……)
苦楽を共にしてきた彼になら、自分の葛藤を打ち明けられた。彼ならきっと、穏やかなあの深海の色を宿した目でこちらを見つめ、話を真剣に聞いてくれただろう。
たとえ、彼にとっても苦しい話題であってもだ。
ズルい、という自覚はあった。自分が楽になりたいがために、話を聞いてもらう。ひいき目に見たところで、良きパートナーとしての振る舞いとは言えない。
それでも、彼が聞いてくれたなら、何かしら変わるかもしれない。
そんな根拠のない望みもまた、思考を満たしていた。
(タフな一日ね)
普段通りの、騒がしく明るい一日のはずだった。
それが、想定外の来客に始まり、同僚たちの痛ましい事件に枝部長の通達。
微笑ましい出来事もあったが、その後は、マロカが倒れ、リエリーは疲労困憊でダウン。
そこに追い打ちをかけるような、ブロントとのやり取りが続いた。
救命活動のハシゴより、よっぽど神経をすり減らす内容ばかりだった。
期待していたカーラからの連絡もないということは、まだマロカは目を覚ましていないのだろう。今すぐにでも彼の元へ駆けて行きたかったが、自分が行ったところでできることは、ない。
(しゃんとしなきゃ。帰って、エリーちゃんにごちそうを作りましょう)
カーラに言われた通り、ルヴリエイトの家族はマロカだけではない。救命活動の腕は確かでも、まだまだ未熟な娘が、家で待っている。
それに、マロカ不在の今、自分がやらなければならないことは、山のようにある。
「……まずは、エリーちゃんに休業申請をしてもらわなきゃね」
西日が差す、人影がまばらな枝部の渡り廊下で、やるべきことを音声に出す。そうでもしないと、思考がパンクしてしまいそうだった。
枝部長には悪いが、今のリエリーにはリーダー代理が務まるとは思えなかった。
ハリスに腹案があるにしろ、救命活動に関わる業務は、しばらく中止する。同僚たちには迷惑を掛けるが、家族をこれ以上、危険にはさらせない。
それが、ここまでの道中でルヴリエイトが導き出した結論だった。
「さあて、エリーちゃん、そろそろ起きた頃かしら……ね?!」
自宅にして、仕事道具である救助艇〈ハレーラ〉を駐めてある屋上駐機場に出、ルヴリエイトは完全に固まってしまった。
「……もしもしエリーちゃん?」
辛うじて思考を再開し、まずは娘の通信機へコールする。
予想に反し、ワンコールで目当ての声が返った。――が。
『――やっほ、ルー』
「やっほ、じゃないわねよっ!! アナタいったい、どこにいるの! どうして位置情報まで切ってあるわけ? ちゃんとお水は飲んだ?」
『うわっ、激おこルーだし。聞いた? エン、これがほんとのルーだよ』
「……ちょっと待って。今、なんて言ったの――」
『――ルーさん……? ぼく、おとうさんのこと思いだして、それで、
「エ、エンちゃん?! そ、それはよかったわねー。それで、エンちゃん、どうしてお船に乗っているのかしらー? 怒らないから、教えてくれるー?」
『――すまん、気付いたときにゃ、もう飛んどっての』
「飛んどって、じゃないっ……。ふぅー。いいから、行き先を教えて」
『だいじょうぶ。すぐ帰るから。じゃ』
「待ちなさい――!」
制止も虚しく、一方的に通信が切られていた。幸い、レイモンドが時間を稼いでくれたおかげで、おおよその位置は逆探知できたが。
「……長い一日になりそうだこと」
ため息も、叫びたい衝動も堪え、ルヴリエイトは無の境地を目指して独りごちる。
そうして、自機の状態を素早くチェックすると、全ての
「待ってなさい、エリーちゃん。帰ったらたっぷり、お説教ですからね……ッ!」
筐体の全面に、『笑顔の悪魔の顔』の絵文字を浮かび上がらせると、ルヴリエイトは夕陽へ向かって、一直線に突っ込んでいった。