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ルヴリエイトだからこそ

「それで、マスター・ブロント。お話というのは?」


 10人掛けのガラステーブルに、売店の紙コップのコーヒーを置くと同時に、ルヴリエイトは尋ねていた。

 対して、近しい肌の色を持つ大男――ハルゲイサ・ブロント副枝部長は、目の前に置かれた熱湯に等しい黒い液体を、軽く香りを嗅いだだけで、一口に呷った。


(……うそでしょ? この人、どういう舌をしているのよ)


 嫌がらせのつもりで、顔なじみの店員に煮沸してもらった、激熱のコーヒー。それを、白湯のように平然と平らげられ、危うく『怯える顔』の絵文字を乳白色の筐体表面に浮かべそうになった。


「フンッ、儂好みのブレンドか。賄賂のつもりなら、無駄だ。何を積まれたところで、儂は儂の仕事をする」

「……失礼したわ。つい、癖が出てしまったようね。アナタは、客人じゃなかったものね」


 咄嗟に皮肉で返し、ルヴリエイトは、テーブルを挟んでブロントの向かいの宙空に陣取った。

 この位置なら、廊下の様子がよく見える。

 書き置きを残してきたとは言え、鋭いリエリーのことだ。この会議室の場所を探し当てる可能性は、充分にあった。


(エリーちゃんが見えたら、壁をモザイクに切り替えなくちゃね)


 現在、廊下に面したガラス壁は、中央部を除いて透過モードに設定してある。自分のコントロール一つで、完全な不透明にも切り替え可能だ。

 見られて困る会談ではないが、かと言って、わざわざ人目を憚る必要もなかった。


「儂が知りたい事項は、一つだ。未報告の高度脅威存在――通称“H.O.T.”を秘匿しているか?」

「いいえ」

「結構。監査は以上だ」


 言い終えるなり、立ち上がった枝部のナンバーツー。

 あまりの淡白さに、つい、ルヴリエイトは制止の言葉を掛けていた。


「ちょっと待って! たったそれだけなの?」

「他に報告を怠っている事項がなければな」

「ないわよ。だけど、捜査令状まで請求して、あれだけ大騒ぎした結果が、これで以上? アナタがそういうヒトだとは思ってないけど、なにかの冗談なら、笑えないわよ」

「令状に則り、儂は貴様らの船内を捜索し、乗員クルー2名および支援機から聞き取りをおこなった。もっとも、責任者リーダーは人事不省だったがな。だが、昏睡状態であると医師の診断が下りている以上、そう報告せざるを得まい。予備の聞き取り調査が必要になれば、追って連絡する」

「……それでも納得するのかしらね」

「現場でクラスII相当以上のスペクターが複数、確認されている。それらが共鳴した結果、一時的な反転感情上昇を惹起したと考えるのが筋だ。元より、『凶悪なスペクターがいる』などという曖昧な匿名の通報を真に受けるような、想像力が逞しい上層部だ。これを機に、悪意のある通報対策にも予算を回してくればいいがな。そも、本物のクラスIVフォーが出現しておれば、儂も貴様も、ここにはいない」


 ルヴリエイトの探りに対し、長広舌を振るうブロント。その言葉は相変わらず刺々しかったが、不審な部分は一つも感じられなかった。

 ブロントは、自身が今言った通りの報告をするつもりなのだろう。

 彼が言った“上層部”とは、いわゆる政を生業とする人間たちのことだ。枝部長に限らず、ブロントもまた、現場を知らない権力者たちに手を焼いてきたに違いない。同情はしないが、苦労を理解することはできる。

 だからこそ、ブロントが言葉に散らした重要情報を、ルヴリエイトは聞き逃さなかった。


(匿名の通報ですって? ロカの救命活動中は、現場が封鎖されていた。なのに、どうやって……)


 高速で回転する思考が、幾つもの可能性を弾き出してきていた。そのどれもが、憶測の範疇を出ず、人間で言うところのもどかしさが、筐体の隅々に不快感に似た信号を流していた。

 が、これだけは確かだった。

 

 そして、その人物は間違いなく、目の前の大男ではない。


(……疑心暗鬼にさせるって魂胆なわけね。イヤな手を使うですこと)


 マロカの“能力”を知る人間は、ごく少数だ。

 当然、全員が信頼の置ける相手であり、ルヴリエイトにとってみれば家族も同然の人々だ。


(ま、ブロントは家族じゃないわね。……だからこその安心なんだけど)


 今なら、マロカがブロントに秘密を打ち明けた理由が、わかるような気がした。

 ブロントには、実力ももある。

 もし、マロカの秘密を公にするつもりなら、とっくにやっているはずだ。それに、彼がこんな権謀術数を使うとも思えない。

 そうせず、今もこうして秘密を守っている以上、この副枝部長は味方であると断言できた。


「……感謝します、マスター・ブロント」

「監査を喜ぶとは、やはり回路が壊れているな、支援機」

「そうかもしれないわね。だけど、それくらいの肝っ玉がないと、家族は守れないわ」

「フンッ。会話が通じん機械と、これ以上話すことはない」

「ええ、ワタシもこれ以上アナタといたら、ハグかビンタ、あるいは両方しちゃいそうだから、助かるわ」


 それは本心から出た言葉だった。が、当然、ブロントに伝わるはずもなく、広い背がこちらを向いた。

 そうして顔を見せないまま、ブロントが言う。


「貴様の責任者リーダーに伝えておけ。後継者レジデントを甘やしすぎだ。レンジャーとしての覚悟が欠けている」

「それってつまり、『レンジャーライセンスをパスする』って前提よね。リエリーの実力を認めてくれて嬉しいわ。でもちょっと、同意しかねるわね。根拠はあるのかしら?」

「あれは、?」

「っ……?!」

「フンッ、やはりな。貴様らのレジデントは、レンジャーこそ天職であると思い込んでいるようだが、そうではない。あれは、、救命活動に打ち込んでいるだけだ」

「……だとして、なにか問題はあるのかしら。レンジャーを志す動機は、ヒトそれぞれよ」

は問題ない。むしろ、平均以上のパフォーマンスを発揮できるだろう。だが、は、どうだろうな。儂には、あれが意欲を保てるとは思えん」

「……アナタには関係のない話だわ」

「否、ある。現状でレンジャーの人員が足りんのだ。2も減るのは、ネクサスにとって大きな痛手になる――」

「――いい加減にしてちょうだい。勝手な憶測は迷惑よ。言ったはずです。家族のことには口出ししないで。もし、今言ったことを他の誰かに言うつもりなら……」

「こちらも言ったはずだ、リーダーに伝えろと。他に伝えるべき人間はいない」

「そうしてちょうだい。ジョンの仕事を増やしたくたいのは、アナタも同じでしょう」

「同感だ。……だが、あれは自ら手間を増やしたいらしい」

「どういう意味?」

「ネクサスマスターから通達だ。今晩のリーダー・ミーティング、として貴様らのレジデントを出席させろ。これは、命令だ」

「……なんですって?」


 ブロントの言葉を裏付けるように、ルヴリエイトの受信ボックスへ、同じ内容を示したメッセージが届けられていた。

 そうして、ルヴリエイトがカメラにリソースを戻すと、褐色の肌を持つ大男は姿を消した後で、未だ熱の冷めていない紙コップだけが、その余韻を残すだけだった。

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