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場数を踏んでも

「ふたりめのハートランシングも完了、っと。ねえルー、まだ――?」

『――エリーちゃん! 後ろ!』


 通信機を通して伝わった、ルヴリエイトの強張った声。

 普段、救命活動の最中でさえ柔らかなその声が、今は余裕の欠けらもことに気付いて、リエリーは、事の重大さを直感する。

 と同時に、その知覚が猛烈な反転感情を伝えていた。

 全く、気が付かなかった。

 直心ハート穿通ランシングに全神経を集中させていた、と言えば聞こえはいいが、そうだったとしても、これだけを自分が無視していたことが、リエリーには信じがたかった。

 加えて――。


「ロカ――!?」


 視界に映り込んだ、前のめりに崩れ落ちていく茶黒い背中。

 その巨体から溢れた反転感情は、一秒に満たない刹那だったにしろ、物理的な圧を伴うほどに濃く、慣れない者が当てられれば卒倒しかねない規模だ。


「――――」


 そのマロカの反転感情に比べれば、巨体の向こう、馴染みの咆哮を轟かす涙幽者の反転感情など、漣に等しい。


聳えろウィンド風の楯ディフレクター!」


 が、漣とは言え、強力な個有能力ユニーカには変わりない。

 倒れ伏したマロカの元へ駆けながら、リエリーは自らのユニーカを行使し、迫る土の“波”を不可視の風の楯で受け止める。


「起きて、ロカ! ねえ! どうしたの!?」


 せめぎ合うユニーカの眼前で、リエリーは〈ユニフォーム〉のアシストを借り、やっとの思いでぐったりした養父を仰向けることに成功する。

 黒々とした体毛を狼貌ウルフフェイス中に生やしたマロカの意識はなく、だが、苦しげな呼吸と呻り声が、容態の深刻さを告げていた。


「どうしよ……! ロカが……ロカが……っ!」


 頭が真っ白になっていた。こんなことは初めてだった。

 涙幽者とどんな激戦を繰り広げようと、決してマロカが膝を折ることはなかった。

 壮年の終わりに差し掛かる年齢だというのに、鍛錬トレーニングでは、いつもリエリーのほうが先に音を上げる。当然、養父がいつまでも堅硬ではいられないことくらい、頭の片隅には置いてあった。

 何より、年齢のことだけではない。

 マロカの体は、

 そして、今、自分が目にしている光景は、その爆弾が引火したことを示していた。

 周囲の色も、音も、匂いも、遠い世界のように感じる。

 誰かが自分の名前を呼んでいるような気もしたが、それも定かではなく、マロカの巨大な頭を膝に抱えたまま、リエリーはただ、浅い呼吸を繰り返していた。


「――しっかりなさいっ、リエリー・セオーク!!」


 そんな頬を、固い平手打ちが容赦なく打って、ようやくリエリーは焦点の合わない目をそろそろと上げた。


「……ルー……?」

「ええ、そうよ。救命活動随行支援人工知性で、アナタの継母ままははで、レンジャー・マロカのパートナー、ルヴリエイトよ。レジデント・リエリー・セオーク、彼のバイタルを確認しましたか?」


 見慣れた乳白色の正十二面体キューブが、ほとんど見せたことのない顔文字を筐体に浮かび上がらせて、救命活動中の言葉遣いで尋ねてくる。

 そうして、マロカの体を支えているほうとは別の片手マニピュレータで、リエリーが放り捨てていた〈ギア〉を差し出してきていた。

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