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戦錠の拠り所

 一秒に満たない逡巡の真っ最中で、マロカの思考が雷速に駆けていく。

 は、間違いなく涙幽者の個有能力ユニーカ――すなわち、〈警戒ヴィジランサ〉の〈コアエモ〉を持つ涙幽者だ。

 一方、その匂いに込められた激情は薄く、おそらくは遠距離型のユニーカだと推測できた。先に対象の動きを封じ、それから算段なのだろう。


(〈恍惚エクスタシア〉の派生、〈喜びジョイナー〉との混合タイプか?)


 経験から導き出した、ユニーカ――隆起した大地まで、約20メートル。手負いとは言え、自分の身体能力をもってすれば跳躍し、回避するのは造作もない。

 が、ここで躱せば、昏睡状態の涙幽者と、何より、リエリーにユニーカが直撃するのは避けられない。

 ならば、取るべき行動は、ただ一つだけだ。


「――汝の哀しみにLocking ひとときのyour 汀をsorrow.


 自身の中に眠る、

 ここまで控えてきたそれを、惜しみなく解放する。

 異名――“戦錠”の由来でもある、特殊型の精神感応ユニーカ。

 文字通り、対象とした相手の感情へ、あたかも“鍵”をかけるように固定し、一時的にその激情の波を押し止める一撃。激情をトリガーとして荒れ狂う涙幽者にとって、まさしく切り札となり得る絶技だ。

 が、当然、その代償も大きい。

 普段、瞬間的な行使に留めているそれを、今は可能な限り広範囲に広げていく。

 涙幽者の居所がつかめない以上、出し惜しみはできなかった。


(カッ……っ!?)


 途端、五感が、消え失せていた。

 奇跡と、気が遠くなるほどの時間を掛けて築き上げた、

 鉄壁の護りを誇るその境界線が、揺らぐ。

 かけがえのない記憶がカタチを取ったその城へ、感情の奔流が怒濤に押し寄せる。

 その河には、あらゆる感情が、溶け込んでいた。

 その中でも、ひときわ強い激情が、記憶の堤防を削る。

 この感情に吞み込まれたら、終わりだ。

 ヒトではなく、荒れ狂うケモノスペクターと成り果て、破壊と死を振り撒いていた、へ戻ってしまう。


(俺にハ……家族、が、いルんダ……)


 勢いを増す感情の濁流の中、マロカはただ、自分が一番大切にしているものを思い描いた。

 それは、温かい光だった。

 それは、楽しい光だった。

 それは、光たちの環だった。


 ――ロカ!


 自分を呼んでくれる声が、あった。

 その声を命綱に、マロカは手を伸ばす。

 そうして差し込んだ光の先に、声の主たちがいて――。


「ロカ!!」


 その声を最後に、マロカの意識は暗闇の中へと沈んでいった。

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