「――ナイスファイトだったぜ、レジデント!」
「……どっちも勝ってないけど」
「ははっ、まあな。勝ち負けもだいじだが、プロセスもそれ以上に重要だぞ」
トレーニングジムを出、アキラに肩を叩かれながら、横でマロカが快活に笑う。
が、リエリーの胸のモヤモヤは消えていかず、運動後の清々しさはどこにも感じられなかった。それは引き分けに終わったアキラとの勝負よりも、もう一方の“事件”の影響のほうが大きい。
結局、マロカを侮辱したあの
必殺の一撃を叩き込む寸前、見計らったように割って入った
沸き立つ周囲の人混みの中、逃げるように去っていった件の威療士の〈ユニフォーム〉が見えて、リエリーはそこからでも追いかけていってケリを付けてやりたかった。
『リーダーの気づかいをムダにすんじゃねぇよ』
観客を煽るように見せかけて、肩を組んできたアキラのその一言がなければ、自分はそうしていただろう。
「……あのさ」
「どうした、リエリー。早く帰ってメシにしよう。今夜は、おまえさんの好きな――」
「――なんで止めたの。ロカなら、聞いてたでしょ? あいつが言ったこと」
「……なあ、リエリー」
振り返り、三角耳をゴシゴシと掻いた茶黒い巨体の言葉を待たず、今度はアキラへ向き直る。
「アキラだってそうだよ。あんだけ嗾けといて、なんだったわけ。あたしに言いたいことあったから、タイマン張ったんでしょ。時間切れだとか言って、終わらせてさ。わけわかんないんだけど」
「アタシはイイ発散になったぜ? ま、自慢のアッパーがてめぇにシカトされたんは、悔しいけどな!」
「それだけ?」
「あのなぁ……。はぁー。んじゃ、ここで言うわ。あんまし養狼院のこと、口に出すな。特に、こういうとこじゃ、な」
「はぁ? なんで。養狼院とか、どこの病院にもあるじゃん。もしかしてアキラも“
「――ちげぇよ。いいか、二度とアタシらのこと、クソ差別主義者みてぇに言うんじゃねぇ。マジで怒るぞ」
「……ごめん。けど、なんで? アキラ、散々言ってたじゃん」
「そうだ。だからだよ。オマエも知ってんだろ。だいたいの人間はな、
「気にすることはない、レンジャー・レスカ。君の言うとおりだ。残念ながらな」
「だからなに。キライだから、黙れって? そんなこと、あたしには無理」
「ムダに感情を煽ったって、イイコトはねぇってことだよ。アタシらレンジャーは、養狼院を知ってる。スペクターの“最後の砦”だってな。それだけじゃねぇ。養狼院のクルーは、ある意味レンジャーよりタフだって、アタシは思ってるし、尊敬してる。けどな、知らねぇモンのほうが多いんだよ。養狼院は、スペクターを匿ってるヤベえとこ、ってな。そういうヤツらの前で言ってみろ。ぜってぇ、あとでクルーはネチネチ言われるぜ?」
「養狼院のスタッフに対する差別が禁止されたとはいえ、そう簡単に偏見がなくなるわけじゃないからな」
「……ん。わかった」
「お、案外、素直だな、おまえ」
「うっさい」
「へっ、照れてやんの! ついでにもう一つ、クレームだ、レジデント」
「まだあるわけ?」
「とーぜんだろ。おまえがレジデントやってる限り、アタシは何回だって言ってやる。――レンジャーへの口の利き方がなってねぇ! アタシに黙ってほしかったら、〈バッズ〉を咲かせてみせやがれ!」
「痛っ……。まて、逃げるなー!」
その逞しい腕が、リエリーの背を思いっきり叩いて、そそくさと走っていく。そうして距離を取ったところで振り返ったアキラは、自身の心臓に拳を二度、打ち付ける。隣でマロカが敬礼を返すと、ドレッドヘアはあっという間に視界から消えていった。
「なんだよ、アキラのやつ……。ロカも敬礼してないで、あたしの質問に……ロカ?」
養父を問いつめようとし、見上げたリエリーは思わず息を吞んでいた。
見下ろしてきた深海色の双眸、普段、静謐な穏やかさを湛えたそれが、燃えるような怒りに燃えていた。
「……いくぞ」
それだけ言い、茶黒い巨体が足早に先行する。
横に並ぶ度胸が持てず、リエリーはその背中を追うように、離れてついていった。