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妬み

「……ルーの言うとおりになったな、こりゃ」


 ヘリックス・メディカルセンターの中階に設置されている、トレーニングジム。

 適度な運動が健康を形作り、ひいてはそれが仕事のパフォーマンスを底上げすると、広く認知されたおかげで、多くの職場にジム施設が設置されるようになった。

 このカシーゴ屈指の大病院も例外でなく、世に出回っているトレーニング器具のほとんど全てから、マニアックなもの、果てはボクシングリングのようなプロが使う設備まで、完備されている。おかげで、トレーニングジムだけで丸々1フロアが埋まっているほどだ。

 トレーニングマニアの自覚があるマロカにとっては喜ばしい施設に違いなかったが、ジムのドアを開けた途端に響いてきた歓声を耳にしては、もはやトレーニング云々を考えている場合ではなかった。


「――何度言やあ、わかんだよ! レジデントが、レンジャーを語るんじゃねぇ!」

「――いちいち、うっさいって、ばッ!」


 聞き慣れた声同士のぶつかり合いと共に、ボクシンググローブの打ち合う鈍い音が、三角耳に伝わっていた。

 ジム特有の開けたフロアは疎らな人影しか見えず、大部分が奥のスポーツゾーンに集合しているのが見える。屋上からここへ至るまで、鼻の“ムズムズ”感が変わっていないところを見ると、心配していたほど加熱している状態ではなさそうなことだけが幸いだった。


「あ、セオークさん、今日もお疲れ様です」

「おう、カリーナ。調子はどうだ」

「おかげさまで。セオークさんに運動を勧めていただいてから、体が軽く感じます」

「そりゃあいい。体を動かすってのは、気持ちいいもんだからな。続けている努力の賜物だ」


 トレッドミルから降り、わざわざ声を掛けてきた赤いスポーツウェアの女性が、汗を拭きながらはにかむ。

 彼女はメディカルセンターに勤めている看護師で、救急にもいたことから古い顔馴染みということになる。人員不足から急遽、他科への異動が決まり、不安をこぼしていた彼女にジムトレーニングを提案した縁もあって、今ではマロカのジム仲間の一人となっていた。


「おやおや? 顔が赤いよー、カリーナちゃん」

「は、走ったからですよっ! スヴェン先輩のほうこそ、さっき『セオークさんに連絡すべきかな?』って言ってましたよね!」

「いやぁー、さすがにアレは、ね? いくらなんでも煽り過ぎっていうか、露骨っていうか。レンジャー・レスカって、もうちょい大人だと思ってたんだけどね」


 これまたジム仲間の、花柄ウェアに身を包んだスヴェンがチラッとこちらを見やって、リングのほうへ目を向ける。両者の対決がヒートアップするにつれ、周囲の野次ともつかない声援が、激しくなっていた。


(……それでか)


 その集団の中に、とある顔を見つけ、マロカは内心で納得を得ていた。通りで、ここまでアキラが挑発する訳だ。


「レスカ君は、じゅうぶんに大人だよ。あの歳の頃の俺より、よっぽどな」

「て言いますけど、セオークさん、リエリーちゃん、結構ヤバくないです? そろそろ“爆発”するんじゃ……?」

「あれで冷静さを失うようじゃあ、レスカ君の言う通り、レンジャーにはほど遠いさ。……ま、行ってくる。二人とも、心配かけたな。次は、ランチでもおごらせてくれ」


 ジム仲間2人に礼を告げ、マロカはゆっくりとリングへ向かっていった。


†   †   †


「……なにが、最年少レジデント、だってんだ」


 漏れた本心は、周囲の声援に溶け込んで、自分の耳にも届かなかった。

 そうして睨め付けるようにリング上を見やっていた手が、固く握られ、爪が掌に食い込む痛みが心地良かった。

 初めてその話題を耳にしたとき、他の多くの威療士レンジャーと同じく、自分も『長続きしないだろう』と高をくくっていた。ご立派な親の威光で続けられるほど、この仕事はヤワではない。

 が、大方の予想を裏切り、何年経ってもその最年少レジデントが〈ユニフォーム〉を脱ぐことはなかった。

 それどころか、たちどころに成績を残し、いつしかご立派な親の後継者とまで噂されるようになっていた。

 あの親の評価は、仕方ない。“染まりかけ”というのは気に食わなかったが、救命活動の腕前は羨んでも仕方ないレベルにある。

 

 小さくて生意気でプライドが高くて協調性など以ての外。

 誇り高い威療士レンジャーの〈ユニフォーム〉を纏う資格など、あるはずがない。

 だから。


「……とっとと染まってしまえばいいんだ」


 幸い、この状況なら誰も気が付かない。

 同じくらい生意気なあのデカい威療士レンジャーが原因、にされるだろう。

 だからあとは、少し囁けば、いい。

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