「っ――」
小揺るぎもしない黒瞳が紡いだ、決意の言葉。
あまりにも自然と、それでいて血を吐くような決心を前に、人生経験も
そんなカーラの動揺を、おそらく目の前のこの威療助手の少女は、気付いていない。故意でも、ましてや鈍感でもなく、単にその双眸がカーラを捉えていない。瞳こそ向けているが、その思念はここではない場所へ――必ず訪れると、そう彼女が信じている未来へと、向けられている。
「……聞いて、リエリー」
かろうじて口を衝いた名前は乾ききっていて、自分でも情けないほどに震えていた。それでも今、名前を呼ばなければ、少女は戻ってこないのではないか。
そんな根も葉もない焦燥感だけに駆られて、名前を呼んだおかげか、
「……なに」
と、黒瞳の焦点が、今度はカーラへと合わさった。
「前にも言ったと思うけど、彼の状態は極めて特殊よ。私も初めて見た例だし、あれから似た他の症例も見たことがない。だから、将来がどうなるかなんて、誰にもわからないわ。確かにその日は来るかもしれない。明日かもしれないし、一生、今のままかもしれない。でもだからって、今からアンタが背負う必要は、ないわ」
「かもね。でもそれしか、あたしにはできないから。……それしか、あたしを助けるためにすべて失ったロカには、償えないから」
(頑固なところは、ほんと、そっくりよね)
償うものなどないと、少女の養父なら間違いなく口にするだろう。あるいは、ただ無言のまま、カギ爪を生やした温かいその大きな掌で、ポニーテールをくしゃくしゃにするかもしれない。マロカ・セオークという人間は、そういう人だった。
何せ、この家族と自分の付き合いは、それこそ血のつながった実家族よりも長い。仕事上は威療士と救急医の関係だが、その関係性が11年も続けば、もはや赤の他人と切り捨てることは不可能だ。
おまけに、マロカはカーラの患者である以前に、命の恩人でもある。
そして、乳歯の抜歯から、親には言えない思春期ならではの相談まで持ちかけてくるリエリーは、カーラから見れば子とまでは言えなくても、姪のような存在に近い。考えていることくらい、博士号がなくても予想はつく。
だからこそ、長くリエリーが抱えている“罪悪感”を取り除いてやれないことが、カーラは悔しくてならなかった。
(涙幽者専門医が、聞いて呆れるわ)
一言、『不要な心配だ』と言ってやれるなら、どれほど楽だろう、と考えた回数は数え切れない。
が、プロとして無責任な安請け合いはできないし、そもそも、涙幽者についてリエリーは、独学でかなりの知識を身につけている。易い言葉が通じるはずもなかった。
「そう。だったら――頑張んなさい。目標が見えているなら、あとは突っ走るだけよ。得意でしょ、そういうの」
「うわっ、鳥肌たったんだけど。きょう、変なもんでも食べた?」
「そうね。改良中の
「やめとく」
掌をこちらへ向け、威療助手の少女は露骨に「うげっ」と舌を出してみせる。その年相応な反応にカーラは頬が緩みそうになるが、ぐっと堪えた。
代わりに、シッシッと手を振り、
「用が済んだなら帰んなさい。こっちはこれから夜勤なんだから」
と、追い出しにかかる。実際、先刻から呼び出しの通知が立て続けに入っており、さすがにこれ以上は待たせられなかった。医師としての経験が、やることリストを自動的に脳内へ組み上げ終え、長い長い夜になりそうな予感が現実味を帯びていた。
「うん。患者を死なせないようにね」
「私を誰だと思ってんの」
「……サンキュ。ロカのこと、なんかわかったら教えて」
リエリーの言葉に、カーラは返事をしなかった。既に思考が切り替わっており、無関係な音は脳が捉える前に、三角耳が取捨選択していたからだ。
リエリーもまた、それを理解していて言ったのだろう。踵を返すと、そそくさと去っていくスニーカーの音が、静寂に包まれた廊下に響いていた。
(私は、私のやり方で命を救うわよ)
ルーティン化した決意を胸に刻み、ドクター・カーラ・ハフナイアは自身を待つ命たちの元へと、向かう。