十四歳の
非情な朝に目覚めを強要される度にぽろぽろと涙がこぼれるぐらいの狭い世界で、椿子は独りぼっちの抵抗を続けていた。
椿子が世界の広さに触れる手段。それは薄っぺらい液晶画面を通すと全部が椿子にとってはアニメやゲームの世界と同じになってしまうテレビやパソコンを除いてしまえば、本しか残っていなかった。
図書館や本屋さんに行けないときは、父親の書斎に入れば本だけはある。
父親は椿子が読書をする習慣を持つことを好ましいと思っているようで、椿子が書斎に出入りするのを許していた。
小学校の教師で数年前には教頭になったらしい父親は活字中毒で、書斎の壁は一面が本棚になっていた。
みっしり並んだ本は古い全集もあれば真新しい専門書もあった。江戸川乱歩や谷崎潤一郎、三島由紀夫に夢野久作といった有名どころから澁澤龍彦や沼正三なども平然と並ぶ本棚が、十一歳の頃から椿子にとっては身近な本棚だった。
ラインナップの傾向を理解した十三歳の椿子は、どうして父親が「小学校の先生」を選んだのか知りたくないと思った。
その日も、椿子は父親の外出を待って書斎に入った。
父親の臭いは気持ち悪かったけど書斎の匂いは好きだった。
椿子は赤い折りたたみの携帯電話で時間を確認した。待ち受け画面には日付と時刻が表示されている。
午前十時六分。
土曜日でも仕事だと言って出掛けた父親は夕方まで戻らない。本を読む時間はたっぷりとある。
二〇一四年四月十二日という日付を見て、椿子はため息を漏らした。
椿子にとっては十四歳になった誕生日。
特別な日だなんて感覚はない。祝ってくれる友人も今はいない。誕生日なんかサッサと過ぎればいいとだけ思った。
書斎の小さな窓に面した焦げ茶色の机の上に赤い携帯電話を置く。
黒縁の眼鏡を右手の中指でくいっと上げ、本棚を眺める。ふと一冊の本に目が行った。椿子は惹かれるままに、その本を手に取った。
赤みがかった肌色のハードカバーにしては薄い本だった。タイトルは『ホツマツタヱ』変わった響きだと椿子は感じた。
表紙をめくると、冒頭に「日本古代の史書であり叙事詩である」と書いてある。古事記に関する本は何冊か読んで、日本神話も少し頭に入っている椿子は、古史古伝と呼ばれる偽書が意外といっぱいあることを思い出した。
神話っぽい物語が好きな椿子は、本棚の前に立ったままページをめくった。
序とされるコトノベのアヤは、読み飛ばした。正直言ってちんぷんかんぷん。ハズレを引いたと思いながらページをめくり、天の巻という本文の一話目に当たる『
古事記だと「イザナキとイザナミの間に産まれた最初の子なのに不具って理由で捨てられた」しか書かれていないヒルコ。そのヒルコのアナザーストーリーっぽい。しかもラブストーリーみたい。
途中の回文歌で、椿子の目が留まった。
『
なんか妙に綺麗な響きだと思った椿子は、何の気なしに五七五七七の歌を口にした。
「きしいこそ、つまをみぎわに、ことのねの、とこにわぎみを、まつそこいしき……」
椿子がヒルコの回文歌を読み終えた刹那、椿子の全身が青白い光を発した。
淡いけど異様に強い威圧感がある光を発する椿子の肉体。
「え!? えっ、なに……!?」
椿子は事態を把握できなかった。
カラダが光ってる? は?
動転した椿子の手から肌色の本が落ちる。本が床に落ちたのと同時に奇妙な発光が止まった。
「なん、だったの……?」
北海道の内陸にある旭川の四月はまだまだ寒い。暖房を入れていない書斎は冷え冷えとしていた。
なのに、椿子の両手はじっとりと汗ばんでいた。
異様にうるさい動悸を感じながら、椿子は白昼夢を見ちゃったんだと自分に言い聞かせた。
翌朝。肩まで伸びた黒髪の寝癖も直さないまま、食卓でトーストにかじりつきながら朝のニュースを何の気なしに眺めていた椿子にとって、そのニュースは意外すぎて、理解するまでに時間がかかった。
日曜の朝に相応しくないそのニュースは、悲痛な面持ちを上手に作った地方局の若い女性アナウンサーが伝えていた。
「本日未明、旭川市一条通八丁目の路上で、制服を着た女子中学生三人が倒れているのを新聞配達員の男性が発見し、一一〇番通報しました。道警によると、三人は市内の公立中学校に通う女子生徒とみられ、署は現場の状況から、集団自殺の可能性が高いとみて、死因や身元の確認を進めています。三人が飛び降りたとみられる大型複合施設は旭川駅からほど近い買物公園とよばれる繁華街の中心地にあり……」
やっとニュースの内容を理解した椿子は目を見開いていた。なぜかは分からない。けど、自分には関係ない液晶画面を通した世界のことだとは、どうしても思えなかった。