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第7話 純粋

「ナオシくんは人間だったんだ! 決定的瞬間……撮っちゃったぁ! あはははっ!!」


 ナオシが血を流して倒れる瞬間を記録して、レネが邪悪な笑い声を上げる。

 慌ててナイフを引き抜こうとするパルフェを制して、デイジーが叫んだ。


「待って! 今引き抜いたら血が噴き出しちゃう!」


 デイジーは自分でも驚くほど冷静に思考し、常備していた包帯と消毒薬を取り出す。

 一心不乱に手当てをする彼女に、レネが茶々を入れた。


「備えがいいね。もしかして最初から知ってたの? ナオシくんが人間だって」


「レネ、あんたまさか」


 小道具のナイフも、元はレネが持参してきたものである。

 デイジーの視線に込められた疑いを、彼女はあっさり認めた。


「そう。アタシは最初からナオシくんの秘密が知りたかっただけなの。だってアタシを差し置いて人気者になるとか納得いかないじゃん? 弱みの一つくらい、握らせてくれたっていいよねえ!」


「レネっ!!」


 デイジーは激昂し、レネに掴みかかる。

 鬼気迫る怒りに晒されてなおニタリと笑い続けるレネを殴り飛ばして、彼女は低い声で言った。


「パルフェ、ナオシをお願い」


「……分かりましたわ」


 パルフェは頷き、ナオシの肩を抱いて広場を後にする。

 夕暮れの噴水広場に、乾いた風が吹き抜けた。


「お願い。その動画を消して」


「どうして? 自分の立場が危うくなるから?」


「違う! ナオシが危険に晒されるから!」


「そのリスクを承知で彼を連れ回してたのはどこの誰? 恨むんならナオシくんを一人にした自分を恨みなよ」


 痛い部分を攻撃され、デイジーは唇を噛む。

 薄気味悪く勝ち誇るレネに、彼女は深々と頭を下げた。


「お願いします。消してください」


 生来、デイジーはプライドが高い。

 目上の者にすら滅多に礼や謝罪を言わない彼女が、憎らしい存在相手に誠心誠意の懇願をしていた。

 ただ、友のために。


「土下座」


 しかしレネは眉一つ動かさず、デイジーに更なる要求をする。

 デイジーは心を無にして、固い地面に頭を擦りつけた。


「あのいけ好かない天才ちゃんが、アタシに土下座して頭踏んづけられてる。あー楽しいっ! あはははははッ!!」


 降り注ぐ哄笑の雨を、デイジーは歯を食いしばって耐える。

 一頻り彼女を足蹴にすると、レネは不気味なほど優しい口調で言った。


「でも、そろそろ満足かな。いいよ。動画を消してあげる」


「本当!?」


「本当だって。証拠見せてあげるから、顔上げて」


 レネは記録フォルダから例の証拠動画を削除する一部始終をデイジーに見せ、データがどこにも残っていないことを証明する。

 しかしデイジーが安堵の色を滲ませた瞬間、レネは再び口角を上げた。


「ま、『拡散しない』とは一言も言ってないんだけどね〜!!」


 彼女は元の動画を削除する直前、SNSにそれを投稿していたのだ。

 衝撃的な内容は瞬く間に人々の関心を集め、世界中へと広がっていく。

 打ちひしがれるデイジーに、レネはわざとらしく耳打ちした。


「そういえばナオシくんって、君のお父さんが作ったアンドロノイドって設定だったよね。様子、見に行った方がいいんじゃない?」


「……っ!」


 遣り場のない焦燥を抱えて、デイジーは父の研究所へと駆け戻る。

 研究所の正門には、既に多くの人々が押し寄せていた。


「ハリーさん! あなたが人間を作り出したというのは本当なんですか!?」


「何故アンドロノイドと偽ったのですか? 何かやましいことがあるからじゃないんですか!」


 デイジーは警備員と報道陣がぶつかり合う正門を避けて、使い慣れた裏口から研究所に侵入する。

 適当な小部屋に入るなり、彼女は研究所のデータベースに接続した。


「キーワードは『人間』、『ナオシ』」


 厳重なセキュリティを突破して、手当たり次第に資料を掻き集める。

 本の形で保管されたデータの中に父・ハリーの名前を見つけて、デイジーはそのページを捲った。


「この日付は、人類がアンドロノイドへの完全移行を果たした一週間後……!」


 とある超大国にてその国の大統領とハリーが交わした契約の議事録だと分かり、デイジーは思わず息を呑む。

 事態を打開する鍵が眠っていると信じ、彼女は議事録を読み進めた。


「ハリーくん、よくやってくれた。君は人類の救世主だ」


 初期型アンドロノイド特有のややぎこちない所作で、大統領がハリーの手を握る。

 機械の冷たさを感じながら、ハリーは暗い調子で言った。


「逆ですよ。私は人類の歴史を終わらせたんです」


「何を言う。君の技術がなければ今頃は」


「人類がもう少し早く問題解決に取り組んでいれば、こんな姿になることはなかった。時間が経つにつれアンドロノイドは人間であった名残りを失くし、人間性ヒューマニティを失う。私には、そんな光景がありありと目に浮かぶのですよ」


 ハリーの懸念が的中しつつあることを感じ、デイジーは顔を曇らせる。

 大統領が徐ろに口を開いた。


「ハリーくん。何か欲しいものはないかね」


「欲しいもの、ですか?」


「ああ。歴史に残る偉人には、それ相応の報酬が必要だろう。何でも言ってくれ。必ず用意する」


 大統領にそう言われ、ハリーは顎に手を当てて考え込む。

 長い沈黙を破って、彼は大統領に自らの要望を伝えた。


「『純粋なヒトゲノム』を下さい。誰のものでもなくしかし誰のものでもある、真っ新な遺伝子を」


 大統領は無言で頷く。

 そしてハリーが彼の手から『純粋なヒトゲノム』を受け取る場面を最後に、議事録は終わってしまった。


「キーワードを追加。『純粋なヒトゲノム』」


 デイジーが単語を絞り込むと、本の数は一気に少なくなる。

 一冊の本を取ろうとしたその時、彼女の手の甲を何者かの掌が包んだ。


「パパ!」


「仕事で遠くにいたんだが、知らせを聞いてな。お前ならここに来ると思っていた」


「……ごめんなさい! あたし、ナオシのことを」


「謝罪はいい。それより、この本が読みたいのだろう」


 ハリーは本にかかった鍵を開け、中の文章を読み上げる。

 それは彼が純粋なヒトゲノムを研究する過程で記した、研究レポートとも日記ともつかないものだった。


「X月Y日。早速、大統領から頂いた純粋なヒトゲノムを使って研究を開始する。鉄の星と化した地球に、再び人間を蘇らせる研究だ。今はまだ賛同者も少ないが、必ず成果を挙げてみせる」


「人間を蘇らせる研究……。それで、どうなったの?」


「焦るな」


 逸るデイジーを制して、ハリーは本のページを捲る。

 文章を読み込む彼の目に、僅かな影が射し込んだ。


「D月P日。研究は想像以上に難航した。純粋なヒトゲノムは不安定で、すぐに形が保てなくなってしまう。既に失敗の数は703回。これまでに得たデータやノウハウを総動員し、次こそは成功させたい。704度目の正直だ」


「704度目……って、まさか」


 ナオシと初めて出会った時のことを思い出し、デイジーはハッと目を見開く。

 黄緑色の光に満ちた部屋の中で、彼はこう名乗っていた。


『僕は実験体704。人名らしく捩るのならナオシと言ったところか。ナオシ、ナオシ……うん、いいぞ。僕のことはナオシと呼んでくれ』


 純粋なヒトゲノム。

 703度の実験。

 そして実験体704《ナオシ》。

 これが意味するものは––。


「ナオシは、純粋なヒトゲノム……!」


「そうだ。ナオシは私の研究の初めての成功例だ。もう少し数字が安定したら、例の超大国に移送するつもりだった。だが……」


 ナオシの無垢な言動は、研究に明け暮れるハリーにとって大きな救いだった。

 ナオシもまた、唯一の身寄りであるハリーに全幅の信頼を置いていた。

 拳を固く握りしめて、ハリーは罪を懺悔するように言った。


「やがて私は、彼を本当の子供のように思い始めた。あの子は人類みなの子供であるというのに! 私は、父親としての情に負けたのだ……!」


 ハリーはナオシへの思い入れを無理やりにでも断ち切ろうと、彼を個室へと閉じ込めた。

 デイジーがナオシと邂逅を果たしたのは、そんなある日のことだった。


「ナオシは、ナオシはどうなるの」


 デイジーはか細い声で尋ねる。

 ハリーは余命を伝える医者のような面持ちで、首を横に振った。


「分からない。ただ一つ言えるのは、ナオシとは別れなければならなくなるということだけだ」


 映画の続きも出かける予定も、永遠に叶わなくなってしまう。

 下らない喧嘩をしたせいで。

 デイジーは涙を拭い、父の目を見据えて告げた。


「……あたし行ってくる。ナオシを探して連れ戻す!」


「当てはあるのか?」


「ある! 行く!!」


 デイジーの決意は、荒削りだが強い。

 走り出す娘の背中を、父は何も言わずに見送った。


「パルフェ! ナオシの様子は……パルフェ! 返事して!!」


 研究所を飛び出して全力疾走しながら、デイジーはパルフェに呼びかける。

 しかし、反応はおろか既読すらつかない。

 デイジーはとうとう業を煮やし、イミテイシア邸へと殴り込みをかけた。


「たまには正門からってのも、悪くないよね」


 荘厳な門から距離を取り、目標をしっかりと見定める。

 そしてデイジーは思い切り助走をつけ、閉ざされた正門を飛び越えた。


「待ってて、ナオシ!!」

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