「よーい、アクション!」
デイジーがカチンコを鳴らす。
映画鑑賞会から一ヶ月後、彼女たちの撮影は順調に進行していた。
「お前さん誰だい? ここじゃあ見ない顔だね」
撮影機材に囲まれた中で、着流し姿のパルフェが台詞を言う。
デイジーが再びカチンコを鳴らした。
「カット! 今のいい感じだったよ!」
「当然ですわ。わたくし、演技には自信がありますもの」
役から素に戻り、パルフェは自慢げに胸を張る。
脳内で台本を確認して、デイジーがパルフェにカチンコを手渡した。
「次はあたしとナオシのシーンだから、パルフェ監督お願い」
少人数であるが故、監督はそのシーンに出演していない者が持ち回りで担当している。
数カットの撮影を終えて、デイジーたちは休憩に入った。
「こうしてると、何だか充電の減りが早いよね」
「それだけ充実してるということですわ。……ねえ、ナオシは本当に充電しなくてよろしいんですの?」
「問題ない。新型アンドロノイドはバッテリー効率がいいんだ」
ナオシはそう言って立ち上がり、撮影場所から少し離れた建物の陰に身を隠す。
周囲に人がいないことを確認すると、彼は鞄から弁当箱を取り出した。
「いただきます」
ハリーが作ったおにぎり二つだけの弁当に感謝を捧げ、一つ目のおにぎりを頬張る。
程よく塩気の効いた白米に包まれた梅干しが、鮮やかな紅色を覗かせた。
「……あまり味わっている暇はないな。ハリーには悪いけれど」
身を隠しながら詰め込むように物を食べる時、ナオシは決まって寂しくなる。
人間とアンドロノイドの間にある見えない壁が、この時だけははっきりと実体を持つからだった。
「ご馳走様」
食事を終えると、壁は再び透過する。
弁当箱を鞄の奥に仕舞って、ナオシは仲間の元に戻った。
「ちょうどいい所に。ナオシに聞きたいことがありましたのよ」
「何だいパルフェ、藪から棒に」
パルフェは台本の立体映像を映し出し、ナオシに見せながらページを捲る。
自分の役の台詞を指差して、彼女は疑問を口にした。
「ここの台詞は、一体どういうニュアンスで言ったらいいんですの?」
「うーん……僕にも分からない」
ナオシの抜けた返答に、パルフェが勢いよくずっこける。
パルフェは丸めた台本をハリセン代わりにすると、彼にツッコミを入れた。
「自分で台本書いといてそりゃないですわよ!」
「すまない。そのシーンを書いた時は何というか、ゾーンに入っていたんだ」
「ゾーン!? 新型の機能恐るべしですわ!」
恐れ慄くパルフェに、ナオシは苦笑する。
デイジーが言った。
「にしてもいい台本だよね。ナオシ、脚本家の才能あるかも」
実験中の事故で人間の時代に転移したアンドロノイドの青年が、様々な人間たちと触れ合いながら成長していく物語。
ナオシが書いた台本の中で、三人はそれぞれの役を演じていた。
「ナオシが主人公のアンドロノイドで、パルフェが彼を拾った人間の女ギャング。そしてあたしは……ふふっ、ヒロイン!」
「元いた時代の幼馴染と、彼女によく似た容姿を持つ人間。二役は難しいと思うけど、君を見込んでの抜擢だ。しっかり頼むよ」
「任しといてっ!」
頼もしげに胸を叩くデイジーに、パルフェとナオシが頷く。
三人が撮影を再開しようとしたその時、遠くから少女が駆けてきた。
「面白そうなことやってるじゃん!」
肩まで伸びた薄桃色の髪にカチューシャをつけ、丈の短い黒シャツからは色白な腹部が露わになっている。
少女の姿を見るなり、パルフェの表情が強張った。
「何か用ですの?」
「アタシも仲間に入れて欲しいなー、なんて」
「よく言いますわ。どうせまた、下らない探偵ごっこでしょう」
パルフェは先月の出来事を思い出す。
デイジーを突き飛ばしてナオシにあらぬ疑いをかけた女子生徒こそ、この薄桃髪の少女なのだ。
軽くあしらって終わりにしたつもりが、相手はまだ諦めていなかったらしい。
拒絶するパルフェを擦り抜けて、少女はナオシに自分を売り込み始めた。
「アタシの名前は『レネ・フーミィ』。趣味は古物収集と人間……、いや、アンドロノイド観察。よろしくね、ナオシくん!」
「あ、ああ」
「ちょっとあたしは!?」
華麗に無視されたデイジーが文句を言う。
レネはまたしても彼女を無視して続けた。
「アタシの家には古いがらくたがいっぱいあるんだ。仲間にしてくれたら、小道具として使ってもいいよ。それに人手が増えたら楽だよ〜? カメラマンに照明、バミリに編集。少人数でやるのはしんどくない? アタシがいた方が絶対いいよね、ね!」
「……む。一理あるな」
人数が増えればそれだけ作業も効率的になり、撮り方の幅も広がる。
ナオシは暫く考えた末、レネに手を差し伸べた。
「分かった。一緒にやろう」
「やったぁ! ナオシくん大好き!」
レネは大袈裟に感激し、勢いよくナオシに抱きつく。
密かに笑う彼女の思惑に気づかないまま、四人での撮影が始まった。
「こういう方法もあるのか。なるほど、今までにない視点だ」
レネが撮影した映像を観察しながら、ナオシは興味深そうに呟く。
軽薄な態度に反して、彼女は実に有能な仕事ぶりを見せていた。
風景や比喩的表現を活かした演出で役者の演技を魅せ、物語全体の厚みも増加させる。
未だ疑念の晴れないデイジーとパルフェをよそに、ナオシはレネの映像作家としての才覚に惹かれていった。
「今日はここまでにしよう。レネ、明日からもきてくれるかい?」
「勿論!」
コミュニケーション時の癖なのか、レネはまたしてもナオシに抱きつく。
無遠慮なレネも抵抗しないナオシも、デイジーは無性に気に食わなかった。
「ナオシ、帰るよ」
「あ、ああ。……また明日!」
デイジーに引き摺られながら、ナオシは残るパルフェたちに手を振る。
やがて二人の姿が見えなくなると、レネの目に仄暗い光が灯った。
「ねえ、考えてくれた? この間の話」
「……何のことですの」
「だからぁ、ナオシくんの秘密を探ろうって話だよ」
友人を詮索する言葉に、パルフェは眉を吊り上げる。
レネの黒猫のような目を睨んで、彼女は叫んだ。
「ナオシに秘密なんかありませんわ! あの子は最新モデルの試作機で、わたくしたちのお友達! それで充分ですわよ!」
「そうかな? アンドロノイドにしては柔らかくて、誰も充電してる所を見てない。立体映像やアプリの類も、今日の様子だと使えなさそう。そんなのが最新モデルだなんて、本当に信じられる?」
「それは……」
「一緒にやろうよ。別に何もなかったらそれでいいんだし」
「でも、わたくしは」
懸命に拒もうとするパルフェの心に、レネの言葉が絡みつく。
彼女の耳元に唇を寄せて、レネが囁いた。
「現状を変えようよ」
「……少し、考えさせて貰いますわ」
パルフェはやっとの思いで言い、レネに背を向けて走り去る。
紫紺に染まり出した空の下、パルフェが自宅の門を潜った。
「ただいま帰りましたわ」
玄関に入った途端、蝋燭を模した照明器具に橙色の淡い光が灯る。
光に誘われるようにしてリビングルームに踏み入れると、父・『ビスト・イミテイシア』が大きく両腕を広げて彼女を出迎えた。
「ああ、おかえり!」
ビストは短く刈り上げた金髪を持つ大柄な体格で、豪奢な服装の左胸には古びた勲章を身につけている。
遠慮がちな笑顔で立ち尽くすパルフェに、ビストが呼びかけた。
「ほら、早くパパの胸に飛び込んでおいで。『クレア』」
ビストの声は穏やかだが、その目は虚ろに澱んでいる。
パルフェは積もった苛立ちに動かされ、低い声で言い放った。
「いい加減にしてくださいまし」
愛娘の反抗に、ビストの表情が強張る。
現実を突きつけるように、パルフェは壁に飾られた一枚の写真を指差した。
「本物のクレアさんは、もう……!」
豪奢な枠に飾られた写真の中では、パルフェによく似た少女が満面の笑みを浮かべている。
しかしその少女『クレア・イミテイシア』は、十数年前に命を落としていた。
「辛い気持ちは分かりますわ。でも、わたくしだってお父様の娘ですわ! クレアさんの代わりでなく、わたくしを……パルフェを見てくださいまし!」
ビストは唇を噛み締め、パルフェに歩み寄る。
想いが通じたと安堵したのも束の間、彼は娘の頬を打ち据えた。
「『気持ちは分かる』だと? 機械人形が理解者ぶるな!」
「お父様、わたくしは」
「クレアとして生きろ! お前はクレアだ、愛するクレアなんだ……!!」
パルフェの首を締め上げて、ビストは呪詛のようにクレアの名を呟く。
神経回路が捩じ切られる刹那、パルフェはとうとう彼の脅しに屈した。
「分かり、ましたわ」
「クレアっ!」
ビストが腕の力を緩め、パルフェは拘束から解放される。
ぐったりと倒れ込む娘を抱き留めて、彼は労わりの言葉をかけた。
「ごめんよクレア。痛かったろう、辛かったろう? もう大丈夫だからな」
「パパ……」
父の温もりに抱かれて、パルフェはゆっくりと瞳を閉じる。
ビストはパルフェを寝室––クレアが生前使っていた––まで運ぶと、天幕つきのベッドに彼女の体を寝かせた。
「もう少しの辛抱だ。私は必ず現行の『アンドロノイド基本法』を改正し、死者を基にしたアンドロノイドの製作を可能にする。その時こそ、真にクレアが生き返る時だ……!」
『アンドロノイド基本法』の条項には、製作者たるハリー・ベルの意向が強く反映されている。
故に改正には彼を心変わりさせるか、或いは失脚させるしかない。
歴史の授業で学んだ知識を思い出しながら、パルフェは考えを巡らせた。
「もし、失脚に繋がる不安要素があるとすれば……」
脳裏に浮かんだナオシの姿を、パルフェは必死に掻き消す。
苦悶する彼女の額に、ビストがそっと口付けをした。
「おやすみ。愛してるよ、クレア」
ビストは音もなく退室し、部屋にはパルフェだけが残される。
彼の唇が触れた箇所を掻きむしるように拭い、パルフェはレネの言葉を思い出した。
「現状を変えようよ」
ナオシを疑うわけではない。
父の思想に賛同したわけでもない。
ただ、現状を変えたかった。
「お父様が『わたくし』を愛してくれるようになるなら、わたくしは……」
パルフェは父に気づかれないよう特殊な回線を使い、レネに連絡を取る。
回線の向こうでにやつく彼女に、パルフェはメッセージを送った。
「仕方ないから、あなたの探偵ごっこに付き合ってあげますわ」