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第5話 四人目

「よーい、アクション!」


 デイジーがカチンコを鳴らす。

 映画鑑賞会から一ヶ月後、彼女たちの撮影は順調に進行していた。


「お前さん誰だい? ここじゃあ見ない顔だね」


 撮影機材に囲まれた中で、着流し姿のパルフェが台詞を言う。

 デイジーが再びカチンコを鳴らした。


「カット! 今のいい感じだったよ!」


「当然ですわ。わたくし、演技には自信がありますもの」


 役から素に戻り、パルフェは自慢げに胸を張る。

 脳内で台本を確認して、デイジーがパルフェにカチンコを手渡した。


「次はあたしとナオシのシーンだから、パルフェ監督お願い」


 少人数であるが故、監督はそのシーンに出演していない者が持ち回りで担当している。

 数カットの撮影を終えて、デイジーたちは休憩に入った。


「こうしてると、何だか充電の減りが早いよね」


「それだけ充実してるということですわ。……ねえ、ナオシは本当に充電しなくてよろしいんですの?」


「問題ない。新型アンドロノイドはバッテリー効率がいいんだ」


 ナオシはそう言って立ち上がり、撮影場所から少し離れた建物の陰に身を隠す。

 周囲に人がいないことを確認すると、彼は鞄から弁当箱を取り出した。


「いただきます」


 ハリーが作ったおにぎり二つだけの弁当に感謝を捧げ、一つ目のおにぎりを頬張る。

 程よく塩気の効いた白米に包まれた梅干しが、鮮やかな紅色を覗かせた。


「……あまり味わっている暇はないな。ハリーには悪いけれど」


 身を隠しながら詰め込むように物を食べる時、ナオシは決まって寂しくなる。

 人間とアンドロノイドの間にある見えない壁が、この時だけははっきりと実体を持つからだった。


「ご馳走様」


 食事を終えると、壁は再び透過する。

 弁当箱を鞄の奥に仕舞って、ナオシは仲間の元に戻った。


「ちょうどいい所に。ナオシに聞きたいことがありましたのよ」


「何だいパルフェ、藪から棒に」


 パルフェは台本の立体映像を映し出し、ナオシに見せながらページを捲る。

 自分の役の台詞を指差して、彼女は疑問を口にした。


「ここの台詞は、一体どういうニュアンスで言ったらいいんですの?」


「うーん……僕にも分からない」


 ナオシの抜けた返答に、パルフェが勢いよくずっこける。

 パルフェは丸めた台本をハリセン代わりにすると、彼にツッコミを入れた。


「自分で台本書いといてそりゃないですわよ!」


「すまない。そのシーンを書いた時は何というか、ゾーンに入っていたんだ」


「ゾーン!? 新型の機能恐るべしですわ!」


 恐れ慄くパルフェに、ナオシは苦笑する。

 デイジーが言った。


「にしてもいい台本だよね。ナオシ、脚本家の才能あるかも」


 実験中の事故で人間の時代に転移したアンドロノイドの青年が、様々な人間たちと触れ合いながら成長していく物語。

 ナオシが書いた台本の中で、三人はそれぞれの役を演じていた。


「ナオシが主人公のアンドロノイドで、パルフェが彼を拾った人間の女ギャング。そしてあたしは……ふふっ、ヒロイン!」


「元いた時代の幼馴染と、彼女によく似た容姿を持つ人間。二役は難しいと思うけど、君を見込んでの抜擢だ。しっかり頼むよ」


「任しといてっ!」


 頼もしげに胸を叩くデイジーに、パルフェとナオシが頷く。

 三人が撮影を再開しようとしたその時、遠くから少女が駆けてきた。


「面白そうなことやってるじゃん!」


 肩まで伸びた薄桃色の髪にカチューシャをつけ、丈の短い黒シャツからは色白な腹部が露わになっている。

 少女の姿を見るなり、パルフェの表情が強張った。


「何か用ですの?」


「アタシも仲間に入れて欲しいなー、なんて」


「よく言いますわ。どうせまた、下らない探偵ごっこでしょう」


 パルフェは先月の出来事を思い出す。

 デイジーを突き飛ばしてナオシにあらぬ疑いをかけた女子生徒こそ、この薄桃髪の少女なのだ。

 軽くあしらって終わりにしたつもりが、相手はまだ諦めていなかったらしい。

 拒絶するパルフェを擦り抜けて、少女はナオシに自分を売り込み始めた。


「アタシの名前は『レネ・フーミィ』。趣味は古物収集と人間……、いや、アンドロノイド観察。よろしくね、ナオシくん!」


「あ、ああ」


「ちょっとあたしは!?」


 華麗に無視されたデイジーが文句を言う。

 レネはまたしても彼女を無視して続けた。


「アタシの家には古いがらくたがいっぱいあるんだ。仲間にしてくれたら、小道具として使ってもいいよ。それに人手が増えたら楽だよ〜? カメラマンに照明、バミリに編集。少人数でやるのはしんどくない? アタシがいた方が絶対いいよね、ね!」


「……む。一理あるな」


 人数が増えればそれだけ作業も効率的になり、撮り方の幅も広がる。

 ナオシは暫く考えた末、レネに手を差し伸べた。


「分かった。一緒にやろう」


「やったぁ! ナオシくん大好き!」


 レネは大袈裟に感激し、勢いよくナオシに抱きつく。

 密かに笑う彼女の思惑に気づかないまま、四人での撮影が始まった。


「こういう方法もあるのか。なるほど、今までにない視点だ」


 レネが撮影した映像を観察しながら、ナオシは興味深そうに呟く。

 軽薄な態度に反して、彼女は実に有能な仕事ぶりを見せていた。

 風景や比喩的表現を活かした演出で役者の演技を魅せ、物語全体の厚みも増加させる。

 未だ疑念の晴れないデイジーとパルフェをよそに、ナオシはレネの映像作家としての才覚に惹かれていった。


「今日はここまでにしよう。レネ、明日からもきてくれるかい?」


「勿論!」


 コミュニケーション時の癖なのか、レネはまたしてもナオシに抱きつく。

 無遠慮なレネも抵抗しないナオシも、デイジーは無性に気に食わなかった。


「ナオシ、帰るよ」


「あ、ああ。……また明日!」


 デイジーに引き摺られながら、ナオシは残るパルフェたちに手を振る。

 やがて二人の姿が見えなくなると、レネの目に仄暗い光が灯った。


「ねえ、考えてくれた? この間の話」


「……何のことですの」


「だからぁ、ナオシくんの秘密を探ろうって話だよ」


 友人を詮索する言葉に、パルフェは眉を吊り上げる。

 レネの黒猫のような目を睨んで、彼女は叫んだ。


「ナオシに秘密なんかありませんわ! あの子は最新モデルの試作機で、わたくしたちのお友達! それで充分ですわよ!」


「そうかな? アンドロノイドにしては柔らかくて、誰も充電してる所を見てない。立体映像やアプリの類も、今日の様子だと使えなさそう。そんなのが最新モデルだなんて、本当に信じられる?」


「それは……」


「一緒にやろうよ。別に何もなかったらそれでいいんだし」


「でも、わたくしは」


 懸命に拒もうとするパルフェの心に、レネの言葉が絡みつく。

 彼女の耳元に唇を寄せて、レネが囁いた。


「現状を変えようよ」


「……少し、考えさせて貰いますわ」


 パルフェはやっとの思いで言い、レネに背を向けて走り去る。

 紫紺に染まり出した空の下、パルフェが自宅の門を潜った。


「ただいま帰りましたわ」


 玄関に入った途端、蝋燭を模した照明器具に橙色の淡い光が灯る。

 光に誘われるようにしてリビングルームに踏み入れると、父・『ビスト・イミテイシア』が大きく両腕を広げて彼女を出迎えた。


「ああ、おかえり!」


 ビストは短く刈り上げた金髪を持つ大柄な体格で、豪奢な服装の左胸には古びた勲章を身につけている。

 遠慮がちな笑顔で立ち尽くすパルフェに、ビストが呼びかけた。


「ほら、早くパパの胸に飛び込んでおいで。『クレア』」


 ビストの声は穏やかだが、その目は虚ろに澱んでいる。

 パルフェは積もった苛立ちに動かされ、低い声で言い放った。


「いい加減にしてくださいまし」


 愛娘の反抗に、ビストの表情が強張る。

 現実を突きつけるように、パルフェは壁に飾られた一枚の写真を指差した。


「本物のクレアさんは、もう……!」


 豪奢な枠に飾られた写真の中では、パルフェによく似た少女が満面の笑みを浮かべている。

 しかしその少女『クレア・イミテイシア』は、十数年前に命を落としていた。


「辛い気持ちは分かりますわ。でも、わたくしだってお父様の娘ですわ! クレアさんの代わりでなく、わたくしを……パルフェを見てくださいまし!」


 ビストは唇を噛み締め、パルフェに歩み寄る。

 想いが通じたと安堵したのも束の間、彼は娘の頬を打ち据えた。


「『気持ちは分かる』だと? 機械人形が理解者ぶるな!」


「お父様、わたくしは」


「クレアとして生きろ! お前はクレアだ、愛するクレアなんだ……!!」


 パルフェの首を締め上げて、ビストは呪詛のようにクレアの名を呟く。

 神経回路が捩じ切られる刹那、パルフェはとうとう彼の脅しに屈した。


「分かり、ましたわ」


「クレアっ!」


 ビストが腕の力を緩め、パルフェは拘束から解放される。

 ぐったりと倒れ込む娘を抱き留めて、彼は労わりの言葉をかけた。


「ごめんよクレア。痛かったろう、辛かったろう? もう大丈夫だからな」


「パパ……」


 父の温もりに抱かれて、パルフェはゆっくりと瞳を閉じる。

 ビストはパルフェを寝室––クレアが生前使っていた––まで運ぶと、天幕つきのベッドに彼女の体を寝かせた。


「もう少しの辛抱だ。私は必ず現行の『アンドロノイド基本法』を改正し、死者を基にしたアンドロノイドの製作を可能にする。その時こそ、真にクレアが生き返る時だ……!」


 『アンドロノイド基本法』の条項には、製作者たるハリー・ベルの意向が強く反映されている。

 故に改正には彼を心変わりさせるか、或いは失脚させるしかない。

 歴史の授業で学んだ知識を思い出しながら、パルフェは考えを巡らせた。


「もし、失脚に繋がる不安要素があるとすれば……」


 脳裏に浮かんだナオシの姿を、パルフェは必死に掻き消す。

 苦悶する彼女の額に、ビストがそっと口付けをした。


「おやすみ。愛してるよ、クレア」


 ビストは音もなく退室し、部屋にはパルフェだけが残される。

 彼の唇が触れた箇所を掻きむしるように拭い、パルフェはレネの言葉を思い出した。


「現状を変えようよ」


 ナオシを疑うわけではない。

 父の思想に賛同したわけでもない。

 ただ、現状を変えたかった。


「お父様が『わたくし』を愛してくれるようになるなら、わたくしは……」


 パルフェは父に気づかれないよう特殊な回線を使い、レネに連絡を取る。

 回線の向こうでにやつく彼女に、パルフェはメッセージを送った。


「仕方ないから、あなたの探偵ごっこに付き合ってあげますわ」



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