「ここが研究所の地上階か……」
ハリーの働く第一研究室を目指して廊下を歩きながら、ナオシは忙しなくあちこちを見回す。
デイジーが苦笑して言った。
「地下とそんなに変わんないでしょ」
「変わるさ。研究所にこんな沢山人がいるなんて知らなかった」
「はいはい。あ、ここだよ」
デイジーは軽く扉をノックして、第一研究室の扉を開ける。
研究所の中でも最大の規模を持つ部屋の中では、ハリーを含めて十数人の研究員が職務に没頭していた。
「パパ!」
デイジーの呼びかけに、白衣を着たハリーが振り向く。
父の仏頂面を見上げて、デイジーは口を開いた。
「……話したいことがあるの」
「分かった。もう少しで実験が終わるから、外で待っていてくれ」
ハリーにそう言われて、デイジーは露骨に顔を顰める。
ナオシがひそひそと耳打ちした。
「何故そんな顔をするんだい? 悪い返事には聞こえなかったけど」
「パパのもう少しはね、もう少しじゃないの。ああ言っていつも仕事ばっかりなんだから」
「ハリーは情深い人だよ。僕にとても多くの時間を割いてくれる」
『それはあんたが研究対象だからだよ』という言葉を飲み下し、デイジーは大きな溜め息を吐く。
見かねた研究員の一人が、仕事に戻ろうとするハリーに言った。
「後の作業は僕の方で引き継ぎますから、所長は早く帰ってあげてください」
「しかし……」
「家族の時間を作るのも大事なことですよ」
研究員はハリーを説得し、半ば強引に彼を部屋から追い出す。
一人の父親に戻ったハリーに、デイジーが意を決して告げた。
「……パパ。実はあたし、隠れてナオシと会ってたんだ」
「それが話したいことか」
抑揚のないハリーの問いかけに、デイジーはこくりと頷く。
秘密を白状した娘に、父は淡々と言葉を返した。
「その件なら既に把握している。ナオシを別室に移したのも、お前の動きに勘づいてのことだ」
全ての行動が見透かされていたと知り、デイジーはがっくりと項垂れる。
しかしすぐに立ち直り、反撃に転じた。
「じゃあさ、何でわざわざナオシを学校に行かせたの?」
「乱れた数値を正常に戻すための措置だ。用が済めばすぐに退学させる」
「……なら、数値を乱し続ければいいんだ」
「何?」
デイジーの言葉で、ハリーの眉が僅かに動く。
ナオシの両肩を後ろから鷲掴みにして、デイジーが強気に言い放った。
「あたし決めた。ナオシと沢山の思い出を作って、とびきり刺激的な毎日を送る! そしたら、いつまでも一緒にいられるでしょ!」
「それはいい。明日から楽しみだね」
デイジーの突飛な提案に驚きつつ、ナオシも乗り気になって微笑む。
若い二人に厳しい眼を向けて、ハリーは静かに呟いた。
「……好きにしろ」
「言われなくても、好きにするよ」
今の社会を作り上げた父と、その社会の中で小さな変革を成し遂げようとする娘。
火花の中に宿る親子の情を感じて、ナオシは思わず微笑した。
「……はあ」
その頃、イミテイシア邸。
旧時代の面影を色濃く残したその豪邸の門前で、パルフェは大きな溜め息を吐いた。
空は既に暗くなり、星なき夜の仮想映像がアンドロノイドたちを家の中へと追い立てている。
長い懊悩の末、彼女は自宅の門を潜った。
「ただいま、帰りましたわ……」
翌朝。
生徒たちの波に紛れて、パルフェが校門を潜る。
自分の教室に入ると、先に登校していたデイジーとナオシが駆け寄ってきた。
「ねえ、映画撮らない?」
「何ですの? 藪から棒に」
突然の誘いに、パルフェは目を丸くする。
ナオシが事情を説明した。
「昨日、二人で話し合ったんだ。折角友達になれたのだから、何か思い出作りがしたいとね。それで映画作りというわけさ」
「それで、というのはよく分かりませんけど……面白そうですわね!」
未体験の出来事に、パルフェは胸を躍らせる。
彼女はデイジーの手を取って、満面の笑みを浮かべた。
「わたくしでよければ、是非参加させていただきますわ!」
「そうこなくっちゃ」
「ああ。三人で頑張ろう!」
デイジーは強気に微笑み、ナオシも二人の手に自分の手を添える。
小さなプロジェクトの旗上げを、昨夜パルフェを唆そうとした女子生徒が気配もなく見つめていた。
「はー、授業終わったっ!」
「今日はかなりハードだったね」
放課後を迎え、デイジーとナオシは思い思いに凝りを解す。
帰ろうとする二人に、パルフェが忠告した。
「二人とも、宿題ちゃんとやるんですのよ。特にデイジーは出席日数が怪しいんですから」
「分かってるよ。ったくママじゃないんだから」
「話はデイジーから聞いていたけど、本当に真面目なんだね」
ナオシに感心され、パルフェは得意げに胸を張る。
デイジーが唐突に切り出した。
「あっそうだ。映画作りの件で、いい提案があるんだけど」
「いい提案?」
「優れたアウトプットには、優れたインプットが不可欠。というわけで……みんなで映画を観に行かない!?」
デイジーが目から光を放ち、建物の画像を映し出す。
古き良き映画館を模した建物を指差して、彼女は続けた。
「ここで色んな映画を観まくるの! 予約すれば貸し切りにもできるし!」
「映画ならサブスクアプリで見放題ですわ。見識を深めるのは賛成ですけど、わざわざ映画館に行く必要は」
「ある! 映画は大スクリーンで見てこそ映画!」
デイジーの強弁に圧倒され、パルフェとナオシは目を白黒させる。
そして一時間後、デイジーたちは件の映画館へと到着した。
「結局来ちまいましたわ……」
「まあいいじゃないか。それに、スクリーンで観る映画というのにも興味がある。何事も経験だよ」
「ナオシの言う通り! 明日はお休みだし、パパに連絡もした! さあ行くよっ!」
デイジーは腕組みをして頷き、二人の背中を押して映画館の中に入る。
デイジーが代表して手続きを済ませると、スタッフが三人を七番スクリーンへと案内した。
「では、ごゆっくりどうぞ」
スタッフは丁寧に頭を下げ、部屋の扉を閉める。
初めてスクリーンを目の当たりにして、パルフェが呟いた。
「お、思った以上に大きいですわね」
「でしょ? こんなデカい画面で映画を観られちゃうんだから、昔の人間って贅沢だよねえ」
「その分、一回ごとにチケットを買わないといけなかったみたいだけどね」
「ねえ、それより早く観ましょうよ! わたくしはアクション映画がいいですわ!」
劇場の空気に当てられてか、パルフェはすっかり乗り気になっている。
そして三人は時間も忘れて、様々なジャンルの映画を見続けた。
「凄い伏線の張り方だ。やはりプロは違う……」
「そんなにいっぱい爆発しますの!? まだ娘の居場所も分かっていませんのに!」
「ひっ、お化け!」
「怖いですわー!」
「ぼ、僕の腕を左右から引っ張らないでくれ! もげる!」
サスペンス、アクション、ホラー。
それら全てに違った演出方法があり、魅力がある。
何より三人全員が違った感想を抱いていることが、映画への興味をより強く駆り立てた。
「創りたい……!」
これこそが自分の求める『未知』なのだと、デイジーは確信する。
映画館を出た後も、彼女の胸には夢のような高揚感が鮮明に焼きついていた。
「凄かったでしょ、スクリーンで観る映画」
「ええ。想像以上でしたわ!」
「僕も魂を揺さぶられたよ。あれを僕らで創ると思うと、ワクワクする」
パルフェとナオシの反応に、デイジーは力強くガッツポーズをする。
映画製作の発案者として、彼女は堂々と呼びかけた。
「脚本作りに衣装や小道具の用意、他にも仕事は山ほどあるよ。みんなで頑張ろう!」
デイジーが二人の肩を抱き、小さな円陣を作る。
緊張と期待に心を昂らせて、三人は同時に叫んだ。
「おうっ!!」
早速作業に取り掛かるべく、デイジーとナオシは走り出す。
二人の後を追いかけながら、パルフェは静かに願うのだった。
「いつまでも、こんな時間が続きますように」