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第3話 転校生ナオシ

 研究所の薄暗い地下通路に、二人分の足音が響く。

 隣を歩く男を横目に見て、ナオシが言った。


「どうしたんだいハリー、いきなり部屋を変えるなんて」


 ナオシと共にいるのは、デイジーの父にして研究所の所長・ハリー。

 娘とは逆に厳格な雰囲気を漂わせる彼は、白衣の胸ポケットからペン型の筆記装置を取り出して言った。


「お前、最近デイジー……私の娘と会っているだろう」


「何の話だい?」


「嘘を覚えたか。嘘は人間が作った物の中でアンドロノイドの次に便利なものだ」


「人の主張をいきなり嘘と決めつけるのは、どうかと思うけど」


 『実際嘘なのだが』という言葉を呑み込み、ナオシはハリーを非難する。

 ハリーは乾いた笑い声を上げると、父としての目線から娘を論じた。


「数字は正直だ。デイジーが私の研究に茶々を入れる時、その傾向には必ず規則性がある。ワンパターンなんだよ、あの子のやり方は」


「……それには同意しかねるな」


 ナオシは反射的に言い返す。

 先ほど吐いた嘘のことなど、彼の頭からはすっかり消えていた。


「彼女はいつも僕の知らないことを教えてくれる。ワンパターンなんかじゃない」


「認めるんだな。デイジーと会っていたことを」


「自分が吐いた嘘の真偽より、友人への侮辱を止める方が大事だっただけだよ」


「そうか」


 ハリーは僅かに表情を綻ばせ、辿り着いた扉の鍵を開ける。

 膨大な量の書物で埋め尽くされた広い部屋は、黄緑色の光で包まれていた––。


「……結局、あれから一度もナオシに会えてないな」


 通学路を歩きながら、デイジーは心の中で呟く。

 空は相変わらず嘘くさい青色で、ここ数ヶ月まるで変化が見られない。

 また彼と出会う前の日常に逆戻りかと肩を落としていると、背後から高い声が聞こえてきた。


「朝っぱらから、何を落ち込んでいますの?」


「パルフェ……」


「悩みがあるならわたくしに話してご覧なさい! わたくしとあなたの仲に、隠し事は不要ですわよ!」


「こないだ知り合ったばっかじゃないのよ……」


 とはいえ、話を聞いてくれる存在がいるのは有り難い。

 デイジーは慎重に言葉を選びつつ、ナオシのことについて話した。


「実は、前から友達と会えなくなってさ。元気にしてるのかとか、色々心配で」


「個体識別番号の交換はしておりませんの?」


「えっと、実はし忘れちゃって」


「あら。デイジーって意外とうっかり屋さんですのね」


 デイジーは苦笑しつつも、胸の内が少し軽くなったような感覚を覚える。

 しかし安堵も束の間、パルフェは思いがけない提案をしてきた。


「でもご安心なさい! わたくしがお父様とお母様に頼んで、捜索隊を派遣致しますわ!」


「いやそこまでは大丈夫だからっ!」


 騒がしいやり取りを繰り広げながら、二人は教室に入る。

 朝のホームルーム開始を告げる鐘が鳴ると、先生が生徒たちを見回して言った。


「今日からこのクラスに、新しい仲間が加わります」


 突然の告知に、生徒たちは俄かにざわつき始める。

 騒ぐ彼らを落ち着かせて、先生が転入生を呼んだ。


「嘘っ、あの子……」


 物静かな足取りで教室に入ってきた転入生の姿に、デイジーは思わず目を見開く。

 新品の制服に身を包んだ転入生の自己紹介を、彼女は身を乗り出して聞いた。


「僕の名前はナオシだ。よろしく」


「はい、よろしくお願いします。ではあなたの席はあそこの……」


「ナオシーっ!!」


 デイジーは堪らず駆け出し、ナオシの手を掴んで上下に振り回す。

 面食らうナオシに、彼女は心配と安堵の混在した口調で言った。


「もう、一体どこ行ってたの!? 心配したんだから!」


「す、すまない。事情は後で話すよ」


「全く! 大体ナオシは……」


 説教を始めようとするデイジーを、先生が咳払いで制止する。

 一旦彼女をナオシから引き離して、先生が言った。


「知り合いだったのね。なら、席はデイジーさんの隣にしようかしら」


「ありがとう。友人が近くにいると、心強い」


 ナオシは先生に頭を下げて、彼のために用意された新しい座席に座る。

 隣り合った級友と挨拶を交わすナオシを微笑ましく見守りつつ、デイジーも自分の席に戻った。


「ナオシくんは新型アンドロノイドの試作機で、現在は実生活でのデータ採取のために活動しているそうです。仲良くしてあげてくださいね!」


「えっ、あんたそんな設定なの?」


 先生の説明を聞き、デイジーが隣のナオシに耳打ちする。

 ナオシは何食わぬ顔で答えた。


「正体を晒すわけにもいかないからね」


 やがてホームルームが終わり、一限が始まるまで束の間の休憩時間が訪れる。

 先生が教室を後にするなり、生徒たちはナオシの元に押し寄せた。


「ナオシくんって制作会社どこ?」


「好きなアプリケーションは?」


個体識別番号シキバン交換しよー!」


 ナオシは眉一つ動かすことなく、生徒たちからの質問責めを捌く。

 真相を知らなければ本当に最新鋭機だと信じそうになるほどの手際に、デイジーは溜め息を吐いた。


「見事なもんね……」


「ちょっとそこどいて! ナオシくーん!」


 ミーハーな女子生徒に押し除けられ、デイジーは輪から弾き出されてしまう。

 よろめく彼女を抱き留めて、パルフェが質問した。


「もしかして、あの子がさっき言ってたお友達ですの?」


「そう。いい奴だから、よければ仲良くしてやって」


「勿論ですわ。しかし最新鋭機とお友達なんて、流石ですわね」


「まあねえ」


 デイジーは曖昧に誤魔化して、大勢の人に囲まれるナオシの姿を見つめる。

 何を言われても微笑で応じていた彼の瞳が、ほんの少しだけ曇ったような気がした。


「……では、本日の授業はここまで。ありがとうございました」


 午前中の授業が終わり、鐘の音が少し長い休み時間を知らせる。

 今朝デイジーを突き飛ばした女子生徒が、ナオシの机に小走りで駆けてきた。


「ねえ、ナオシくんは充電しないの?」


「充電?」


「充電室はあっちだよ。さ、行こ」


 人間であるナオシに充電機能はない。

 しかし事情を知らない彼女はナオシの手を引き、強引に充電室へと連れて行こうとする。

 女子生徒とナオシが廊下に出る刹那、デイジーが二人の間に割って入った。


「ちょっと待った! この子は新形モデルだから、学校の設備じゃ充電できないんだって」


「なら、どうやって充電するのよ」


「それは企業秘密ってことで!」


 デイジーはナオシの手を取り、迅速に彼を避難させる。

 早歩きの限界速度で移動する二人の背後で、女子生徒を足止めするパルフェの声が響いた。


「よし、ここなら見つからないよ」


 デイジーはそう言って、薄暗い空き教室にナオシを匿う。

 ナオシは安堵の溜め息を吐くと、窓際一番奥の席に腰掛けて言った。


「ありがとう。お陰で助かった」


「普段から授業サボりまくってるからね。隠れ場所には詳しいのよ」


「それは威張れることなのかい……?」


 騒ぐ生徒たちの声を遠くに聞きながら、二人は暫し黙り込む。

 デイジーが徐ろに口を開いた。


「ねえナオシ。今朝、あいつらに何か嫌なこと言われたりしなかった?」


「しなかったけど、どうしてそんなことを?」


「……みんなと話してる時、ナオシの表情が一瞬だけ暗くなった気がしてさ。それが気になっちゃって」


 『気のせいだよ』とナオシは笑う。

 ようやくデイジーの憂いが晴れたのも束の間、彼は真面目な顔になって続けた。


「けれど気になることはあった。彼らの中の一人が言っていたことだ」


「えっ、何言われたの?」


「第三世代なのかと。……教えてくれ。君たちアンドロノイドには『世代』があるのか?」


 デイジーは頷く。

 興味津々のナオシに、彼女はより詳細な説明をした。


「アンドロノイドには、生身の人間が機械の体に意識を移した『第一世代』とその第一世代が自分たちの子供として作り出した『第二世代』があるの」


「人だった過去を持つ方と、純然たる機械の方ということかい」


「そ。んで、あたしは第一世代ってわけ」


「そうなのかい? てっきり第二世代だと思っていたよ」


「あたしがアンドロノイドになったのは、五歳くらいの時だったからね。限りなく第二世代こどもに近い第一世代おとな……それがあたしよ」


 世代区分の違う場所で集団生活を送る苦労は、並大抵のものではないだろう。

 こうしてナオシに世話を焼くのも、疎外感の辛さを身を以て知っているからかもしれない。

 そんなことを考えていると、不意にナオシの腹が鳴った。


「ところであんた、何か食べる物とかあるの?」


「問題ない。ハリーが持たせてくれたお弁当がある」


 ナオシは鞄から弁当箱を取り出し、開封する。

 少し冷めた弁当の中身を見て、デイジーが声を上げた。


「わあ……!」


「どうしたんだい?」


「白ご飯に唐揚げ、卵焼き、プチトマト! 全部あたしの好物だよ! 懐かしいなぁ……」


 デイジーがまだ人間の幼児だった頃、自然のままの食材は宝石より貴重なものとなっていた。

 材料も分からない合成食料が食卓の主役となり、デイジー自身もそのことに何の違和感も抱いてはいなかった。

 そんなある日、突然食卓に並んだのが、例の唐揚げ弁当だった。


「お前のために、八方手を尽くして集めたんだ。大切に食べるんだよ」


「うん!」


 幼き日のデイジーには、父の言葉の意味が分からなかった。

 しかしその日の食卓の暖かさだけは、今でも覚えている。

 想い出に浸る彼女を見つめながら、ナオシは白米と唐揚げを口に入れた。


「……美味しい」


「ふふっ、よかった!」


 空き教室で二人きり、和やかな時間が流れる。

 同じ頃、パルフェに足止めされていた女子生徒が不意に口を開いた。


「ナオシくん、何か変だと思わない?」


「変?」


「個体識別番号はないし、充電は渋るし。新型なんて、実は真っ赤な嘘なんじゃないの?」


 突飛な仮説を立てる女子生徒に、パルフェは心底呆れた顔をする。

 充電室に向かおうとする彼女に、女子生徒が囁いた。


「ねえ、あたしたちでナオシくんの正体を探ろうよ」


「お断りですわ。わたくし、詮索はしない主義ですもの」


 パルフェは強引に女子生徒との会話を打ち切り、充電室に向かう。

 そして数時間後、生徒たちは全ての授業を終えた。


「わたくしはパルフェ・イミテイシア。よろしくお願いしますわ、ナオシ」


「ああ。よろしく」


 仮初の夕焼け空の下で、パルフェとナオシは改めて自己紹介を交わす。

 他愛もないやり取りを楽しむのも束の間、三人は行きでは合流地点だった分かれ道に辿り着いた。


「では、わたくしはここで」


 パルフェは優雅な所作で一礼し、自分の家へと帰っていく。

 姿が見えなくなるまで彼女を見送って、二人はようやく歩き出した。


「あたし、帰ったら正直に話すよ。パパに隠れてあんたに会ってたこと」


「それがいいと思うよ」


 既にバレているということは伝えず、ナオシは彼女の背中を押す。

 二人はよく似た歩幅で、ハリー中央研究所の正門を潜った。

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