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第2話 日曜日

 よく晴れた青い空の下を、デイジーは早足で歩いていく。

 学校に向かう途中、彼女は内蔵された気象予報アプリを起動した。


「今日は一日中酸性雨が降り続きます。シェルター圏外で作業する方は、くれぐれもご注意ください」


 澄み切った青空は、街を包むドーム状のシェルターに投影された映像にすぎない。

 昼夜を問わず黄土色の雲に覆われたシェルターの外には、荒涼とした大地がどこまでも続いていた。

 子供の頃に父と見たニュースの映像が、今でも彼女の脳裏に焼きついている。

 かつての記憶を振り切るように、デイジーは校門を潜った。


「流石に誰もいない……か」


 無人の教室は何だか非日常的で、デイジーの心を無性に高揚させる。

 照明をつけないまま読みかけの電子書籍のページを捲っていると、突然部屋が明るくなった。


「誰ですの? 電気もつけずに本を読んでいる不良生徒は」


 西洋貴族のような服に身を包んだ金髪の女性アンドロノイドは、ハイヒールを鳴らしてデイジーの前に立ち塞がる。

 彼女の読書を強制的に中断させて、女性アンドロノイドは甲高い声を発した。


「ちょっと! 無視をしないでくださる!?」


「ごめん。で、あなた誰?」


「だ……だだだ、誰!? このわたくしに対して、誰!?」


 露骨に狼狽する女性アンドロノイドに、デイジーはうんうんと頷く。

 女性アンドロノイドは咳払いをすると、よく響く声で名乗りを上げた。


「わたくしの名は『パルフェ・イミテイシア』! かつては洋菓子作りで名を馳せた高貴なる一族・イミテイシア家の令嬢ですわ! さ〜て、あなたはどこのボロ屋の生まれですの〜?」


「パルフェね。あたしはデイジー・ベル、よろしく」


 デイジーの本名を聞いた途端、パルフェの顔が青褪める。

 呆れるデイジーに、彼女は恐る恐る尋ねた。


「ベルって、もしかして、ハリー・ベルの」


「娘だけど」


 イミテイシア家が過去の栄光ならば、ベル家は現代社会の基盤を作った文字通りの礎。

 プライドを打ち砕かれて放心するパルフェに、デイジーは溜め息を吐いて言った。


「やっぱりあなたもそうなんだ」


 デイジーが自分の苗字を名乗ると、多くの者は彼女を畏れ敬うようになる。

 彼らの媚びへつらいや嫉妬の情もまた、デイジーが他者との交流を遮断してきた理由の一つだった。


「み、苗字が何だってんですの!? 大事なのは家柄じゃなくて中身ですわ! な・か・み!」


「立派な考え方だけど、先に家柄でマウント取ろうとしたのそっちだからね?」


 デイジーに正論をぶつけられ、パルフェは仮にも自意識が名家出身である人がしてはいけない顔をする。

 どうにか平常心を取り戻すと、彼女は一転悪辣な笑みを浮かべて言った。


「しかしまあ、あなたのお父様も可哀想ですわね。たった一人の娘がこんな不良生徒だなんて」


「不良生徒?」


「ええ。だってそうでしょう? まともに登校もしないし、たまに来たとしても授業は碌に受けない。これを不良と言わず何と呼べばいいのかしら」


「テストは満点なんだからいいでしょ」


「それが気に食わないのよ! わたくしが朝から晩まで必ッッッ死こいて勉強してようやく取れる点数を不良生徒のあなたが取っている……あなたを嫌う理由なんて、それで充分ですわ!」


「八つ当たりもいい所だ……」


 だが、ここまで明け透けに感情をぶつけてくる姿は逆に清々しくもある。

 もしかしたら、パルフェの中にも『未知』が眠っているかもしれない。

 その可能性に賭けて、デイジーはある提案をした。


「そんなに言うならさ、勝負しようよ」


「勝負?」


「そう。この際白黒ハッキリつけた方がいいでしょ。……それとも、負けるのが怖い?」


 デイジーの挑発で、パルフェの闘争心は極限まで燃え盛る。

 両掌で机をばんと叩き、彼女は甲高い声で叫んだ。


「やってやりますわ! 身も心もズタズタにして差し上げるから、覚悟なさい!!」


 二人は激しい火花を散らし、雌雄を決する戦いへと身を投じる。

 その種目は––。


「……」


「……」


 喋ったら負けゲーム。

 声を出してはならないという緊張の中、かえって際立つ互いの存在感にデイジーとパルフェは名状し難いむず痒さを覚える。

 どうにか気を紛らわせようと、デイジーが読書アプリを起動した。


「っ!」


 パルフェがすかさずアプリを切断し、『本読むの禁止!』と両腕で大きなバツを作って訴える。

 顔を顰めるデイジーに、彼女は勝ち誇った態度で変顔をしてみせた。


「っ!」


 デイジーはパルフェの額を指で弾き、『変顔禁止』と同じようにバツを作る。

 長い沈黙の末、パルフェがおずおずと手を挙げた。

 行動の意図する所を察し、デイジーは彼女と掌を合わせる。

 不本意にも繋がった通話の中で、パルフェが音なき声を上げた。


『不毛ですわ、やめませんこと?』


『分かった』


 そして二人はゲームから解放され、脱力感に満ちた溜め息を吐く。

 パルフェが先に立ち直って言った。


「一回戦は引き分けのようですわね」


「先に音を上げたのそっちなのに……ってか、まだやるの?」


「当然ですわ! 白黒ハッキリさせるまでこの決闘ディアハは終わりませんもの!」


「こいつあくまで引き分けに持ち込む気だ……」


 デイジーは呆れ果てるが、確かにあのような形で決着がつくのも釈然としない。

 彼女は椅子から立ち上がり、教室の扉を開けた。


「案内してあげる。セカンドゲームの舞台に」


「……何キャラですの? それ」


 二人は無人の廊下を歩き、グラウンドまで移動する。

 風が砂埃を巻き上げるグラウンドの中心で、デイジーが勝負のためのアプリケーションを起動した。


「サッカーボール?」


 デイジーの足元に出現したボールを見て、パルフェが首を傾げる。

 デイジーは頷き、パルフェの背中側に鎮座するゴールネットを指差した。


「一対一でボールを奪い合って、先に向こうのゴールにシュートを決めた方が勝ち。面白そうでしょ」


「受けて立ちますわ! わたくし、スポーツには自信がありますの!」


「その自信、あたしの蹴りで粉砕されないといいけど」


 パルフェもサッカーアプリを起動し、二人はユニフォームを身に纏う。

 勝負開始を告げる笛の音が響くと同時に、デイジーが力強くボールを蹴り抜いた。


「バッチこいですわー!」


 ボールの軌道を予測演算し、パルフェが先回りして待ち構える。

 しかしボールはパルフェの髪を掠め、錆びた鉄柱に激突した。

 跳ね返ったボールを胸で受け止め、デイジーがシュートの体勢に入る。

 がら空きのゴール目掛けてボールを打ち込もうとした刹那、パルフェのスライディングが炸裂した。


「ふーん、やるじゃん」


「やるじゃんじゃないですわよ! 何なんですの、さっきの技!」


「さあね。それよりボールの心配したらっ!?」


 デイジーはすぐさま守備に意識を切り替え、パルフェのボールを奪わんと襲いかかる。

 息も吐かせぬ競り合いの中、デイジーがボールを奪取して抜け出した。


「させませんわッ!」


 しかしパルフェも粘り強く抵抗し、デイジーにシュートの機会を与えない。

 それでも強引に放ったシュートはゴールポストに弾かれ、ボールが宙に舞い上がった。


「ッ!!」


 あのボールを取った方が勝つ。

 二人はそう確信し、最後の作戦に打って出た。

 ボールから距離を取ったデイジーに対し、パルフェはあくまで正攻法を貫く。

 争奪戦を制したパルフェが、渾身のシュートを繰り出した。


「これでおしまいですわ! どっせぇーい!!」


 ボールはグラウンドの砂埃を巻き込み、一直線にゴールへと突き進む。

 ペナルティエリアに突入する刹那、勝負を捨てたかに見えたデイジーが動いた。


「なっ!?」


 素早く駆け出して脚を伸ばし、ボールを捕らえる。

 その瞬間ボールの所有者はデイジーに移り、そして––。


『GOAL!!』


 アプリの音声が、デイジーの勝利を高らかに伝える。

 パルフェは思い切り悔しがった末、勝負の結果を潔く受け止めた。


「わたくしの、完敗ですわ……ガクッ」


 彼女はユニフォームから元の服装に戻ると、真っ白になって崩れ落ちる。

 高貴な装いが汚れてしまう刹那、デイジーがパルフェを抱き留めた。


「あ、ありがとう……」


「何だ、結構素直なとこあんじゃん」


 揶揄い混じりに笑って、デイジーも元の姿に戻る。

 二人のわだかまりが氷解したところで、遠くから正午を告げる鐘の音が響いた。


「……そういや、何でまだ誰も来ないんだろ」


「今日が日曜日だからに決まってますわ」


「えっ、日曜?」


 デイジーは慌ててカレンダー機能を使い、今日の日付を確認する。

 今日を現す数字は、日曜日を示す真っ赤に染まっていた。


「まさか、知らずに来ましたの?」


「や……やらかしたぁああ〜!!」


 デイジーは羞恥に顔を染め、頭を抱えて絶叫する。

 彼女はナオシとの話題作りに夢中になるあまり、日曜日の存在をすっかり失念してしまったのだ。

 なまじ今週が土曜授業で意識の切り替えがし辛かったとはいえ、自信家のデイジーには耐え難い失敗である。

 彼女はパルフェの肩を掴み、縋りつくように言った。


「で、でもさ! じゃあ何であんたは学校来てんの!?」


「教室のお掃除ですわ。毎週日曜日は欠かさずやるようにと、お父様とお母様から厳命されていますの」


「できてないじゃん」


「えっ?」


「だから、できてないじゃん。掃除」


 パルフェはデイジーとの勝負に熱中するあまり、掃除という本来の目的を完全に忘却してしまっていたのだ。

 両親に怒られる自分の姿を想像し、パルフェは先程のデイジーと同じように頭を抱えた。


「しまったですわァーッ!!」


 慌てて教室に戻ろうとするが、パルフェのバッテリーは既に半分を下回っている。

 息を切らしたパルフェの肩に、デイジーがそっと手を添えた。


「取り敢えず……充電しよっか」


「……そうですわね」


 デイジーとパルフェは疲労感たっぷりの足取りで校舎に戻り、充電室に向かう。

 かつて食堂室であった頃の名残りを色濃く残す充電室の隅で、二人は備え付けの充電機を自分たちの体に接続した。


「生き返りますわ〜……」


「ふふっ、リアクションおっさんくさ」


「うるせえですわよ」


 内側からじんわりと活力が漲っていく感覚を味わいながら、二人は他愛のない話に花を咲かせる。

 充電が八割ほどまで溜まった頃、デイジーが不意に言った。


「掃除さ、あたしも手伝っていいかな?」


「あなたがそんなことする義理はありませんわ」


「やらせてよ。二人でやれば今からでも終わるし、それに何より、今日のお礼がしたいんだ」


「お礼?」


 戸惑うパルフェに、デイジーは大きく頷く。

 パルフェの目を見つめて、彼女は屈託なく微笑んだ。


「今日は一日楽しかったから、そのお礼」


「わたくしも、楽しかったですわ」


 パルフェも頬を紅潮させながら応じる。

 『因縁つけた手前言い辛いのですけど』と前置きして、彼女はデイジーに手を差し伸べた。


「わたくしと、お友達になってくださる?」


「勿論!」


 デイジーはパルフェの手を取り、新たな友人関係の誕生を喜ぶ。

 そして二人は充電を終え、教室の掃除に向かっていった。


「結構楽しいもんだね、掃除って」


「ええ。二人でやると、効率もやる気も段違いですわ」


 埃一つない教室を見渡して、デイジーとパルフェは額の汗を拭う。

 掃除に使った用具を片付けると、二人の間にも別れの時が訪れた。


「じゃあ、あたしそろそろ行くね」


「ええ。また明日!」


 大きく手を振るパルフェに見送られ、デイジーは学校を後にする。

 そして彼女はいつものように研究所へと潜入し、ナオシの部屋の扉を開けた。


「……あれ?」


 しかし、室内にナオシの姿はない。

 昨日まで部屋を照らしていた黄緑色の光も、すっかり消えている。

 妙な胸騒ぎに衝き動かされて、デイジーは研究所を飛び出した。

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