後で恨まれそうだったからお袋を見送った翌日。
俺はライベルとの約束通り町へ繰り出し、スイーツ巡りを敢行していた。
俺とライベルの他、ゼーカ。
流石に小さい子供も居るのに俺達だけで食いに行くのも気が引けて、連れて来る事となった。
「よかったねゼーカちゃん、今日は屋敷でも食べたことないもの一杯食べられるよ」
「楽しみだ、ライベル」
「ぼ、ぼくとしてはそろそろお兄ちゃんって呼んで欲しいんだけど……」
「あ? 厚かましいんじゃねぇか? お前なんて付きまとってるだけだろ」
「なんて事を言うんですか! ぼくはお世話係を買って出てるんですよ。右も左も分からないゼーカちゃんを立派なレディーにするのがぼくの目標なんです! だからちょっとくらいはそう呼んでもいいんじゃないかと……」
「そんなのお前の勝手な夢じゃねえか。……お、早速見えて来たぜ。こんな馬鹿ほっといて中入るぞゼーカ」
「わかった」
「ああそんな!? ひどぃ……」
背後で泣き言をほざくライベルを余所に、俺達はそのスイーツショップへと足を踏み入れた。
◇◇◇
「ここに来るのも久しぶりね……」
侯爵が現在訪れているのは、曰く『親戚の家』である。
夕方に王都についた侯爵は、その日を別邸で過ごし、翌日の現在になって訪れたのだ。
その豪華絢爛の廊下を通ってしみじみと過去を振り返る侯爵。
領地での仕事の関係上、訪れる機会は年に数度程度な為だ。
が、今はそれほど懐かしんでいる時間はない。
正装のパンツドレスが、彼女の鮮やかな朱色を髪を相まって使用人達の目を見惚れさながらも、彼女がその様子に目を止める事はない。
階段を上がり、廊下のさらに奥を通ってとある部屋の前に立つ。
「では、こちらでお待ちくださいませ」
「案内ご苦労様。もう行っていいわ」
「はい。それでは私はお呼びに参りますので、これで」
案内の男性を目線で見送り、その部屋の扉を潜る。
中へ入れば、流石のゲストルームといった装いで。
所々に上質な装飾の施された家具が並べられ、その中央にはソファとテーブルが置かれている。
この部屋は、数あるゲストルームの中でもとりわけ主と親しい間柄の人間のみが入る事を許される場所。
「さて……。まだ時間があるわね」
腕時計を確認すると共に、壁に掛かった時計も確認する。
もしかしたら、自分の時計に狂いがある可能性も無いとは言えない為見比べるが、数秒の狂いのみで問題は無かった。
「ま、そうよね。遅れてたらもっと急かされたはずでしょうし」
やがて部屋にメイドが訪れ、テーブルの上に紅茶を用意した後、壁を背に待機する。
入れられた紅茶に口をつけて一息つく侯爵であったが、内心はそれほど落ち着いてもいなかった。
(ここまで来てなんだけど、やっぱりあまり会いたくないのよね。小言の二、三で済めば御の字。……それで終わりな訳ないんでしょうけど)
これから会う人物。以前からとある事情で呼ばれてこそ居たものの、領地での仕事が忙しいと理由をつけて先伸ばしにしていた。
時間が作れない訳でも無かったが、個人的な理由であまり顔を合わせたくなかったのが大きい。
そのくせ、一昨日急に会いに行くと連絡を入れたのだから……何を言われるのかあまり想像したくないのが彼女の心情であった。
腕時計を見ると、入ってまだ三分。
壁の時計を見れば、やはりまだ三分であった。
◇◇◇
「いやあ、やっぱり来てよかったです! 見てくださいよこのカタラーナ、表面のキャラメリゼの香ばしい焼き具合。それでいてスプーンを入れた際のなめらかな感触! そして当然……う~んおいひいですぅ!」
「顔が溶けてんぞお前。……どうだゼーカ、気に入ったか?」
「美味しいぞ。ボッチャマも早く食べた方がいい」
「そうだな。……ん、いや確かにこりゃイケるな」
テーブルに並べられたスイーツの数々。
しっかり楽しみたいというライベルの要望に応えて、メニュー表を次々に指さして注文した品々。
その第一品を口に運べば、現在進行形で顔がとろけているライベルの表現が大げさだと思わないレベルで美味い。
ほのかに香るオレンジの風味もたまんないね。カスタードが甘すぎなくて、後味もさっぱりしてるし。
ゼーカの口周りはクリームがべったりだ。
それをナプキンで拭きながら、また一口と食べていく様子は実に微笑ましい。
しかしライベルの奴、自分の世界に浸ってやがるな。いや美味いのはわかるが……。
「そんなペースじゃ時間がいくらあっても足りんぜおい。見ろよ、テーブルにゃまだまだスイーツがあるんだから」
「……は! あ、そうですね。ちょ~っと勿体ないですけど、今日は一杯食べる為に来たんですからこのくらいにして食べきらないと。……ああでもおいひぃ~」
「はぁ……。こいつも成長しねぇな」
相変わらずのライベルを見て、それでもそんな変わらなさにどっか落ち着くものを感じるのも事実。
(思えばこの……)
首のペンダントに触れる。これを貰ってからそれなりに時間が経ったんだよな。
別に何年も経ってる訳じゃないが……ちょっと感慨深くなっちまった。こっちでの生活に慣れたせいか?
(お袋も向こうで美味いもん食ってんのかねぇ)
そんな事考えながら、俺はカステラに手を伸ばした。
◇◇◇
部屋の近づく気配を感じて、侯爵は席から立ち、扉の方へと体を向ける。
やがてその扉は開かれ――この”家”の主が顔を見せる。
「王国の太陽へ、ご挨拶を申し上げます」
その人物が姿を現した時、その威光が室内を支配した。少なくとも待機中のメイド達はそう思いながら頭を下げた。
侯爵は首を垂れ、最上級に着飾った挨拶をその人物へと向けた。
「ええ。侯爵もまた、相変わらずお元気そうで何よりです。……貴方達、二人でお話をするから下がっていなさい」
待機するメイド達へ声を掛け、その人物は部屋の中に自分達だけを残した。
公的な場ではない故に過剰な装飾は施されていないとはいえ、それでもその人物が纏う衣装はこの国の豊かさを象徴とする絢爛さが伺いしれる。
テーブルを間に挟むように、互いに顔を向き合う形で座る二人。
「……まずはそちらから、本日来訪した理由を伺いたいのですが? 何せここ数ヶ月、随分と忙しい様子でしたので。それが急に会いたいなどと余程の理由があるようですね」
「……ええ。我が侯爵領で起こった事件に関しては、もう既にある程度お耳に入っていらっしゃるかと思いますが。その件についての事件調査の報告をしたいと思い、約束を取り付けさせて頂いた次第です」
「わざわざ貴女が出向くのでしょうから、この件は私共にも深く関わりがある。そう考えてもよろしいのでしょうか?」
「少なくとも、私はそう考えております。無論、これが単なる取り越し苦労であればよろしいのですが……。とにかく、先ずはお話を聞いて頂けますでしょうか?」
「拝聴致しましょう」
侯爵は目の前の大人物へ向けて、これまで領地で起こった不可解な出来事を、自分の私見も交えて話し始めた。
◇◇◇
「そういえば坊ちゃま? ……あむ」
「聞くのか食べるのか、どっちだよお前」
「あっす、すいません。だってこのガトーショコラが美味しくて。ねえ美味しいよねゼーカちゃん?」
「ん、美味しいぞ。ラナタタにも食べさせたい」
「ラナタタくんは犬だから食べさせちゃダメだよ。あ、ほらまた口元が汚れてるよ」
持っていたハンカチでゼーカの口元をふき取る仕草には、手慣れたものを感じるな。
って、そうじゃない。
「で、何の用だ?」
「よし綺麗になった。……あ、ごめんなさい。それで聞きたい事があったんですが……」
「あん? ここの支払いはゼーカと俺の分しか出さねえぞ」
「いや自分の分はちゃんと出しますよ! そうじゃなくてですね……侯爵様って結局何処に行かれたんですか? 何日もお留守にするなんて珍しいなぁって思って気になってたんですよね」
「ああ、そういやあの時お前別件で居なかったんだっけか? ……確か親戚の家に行くって言ってたな」
「へぇ~ご親戚のい――っええ!?」
一体何にそんなに驚いたのか、急に叫んだライベル。
ゼーカがビックリして目をパチクリさせてるじゃねぇかよ、おい。
「急にデケぇ声出すんじゃねえよタコ」
「ご、ごめんなさいぃ。で、でもご親戚の元へ向かわれたって本当なんですか?」
「本人が言ってたんだから間違いねえだろ。とにかくそういう事だ。で、それの何が驚くってんだよ?」
「いや驚きますよ。侯爵家の親類方は多岐に渡りますけど、侯爵様が呼ばれてわざわざ足を運ばれる家門といえば一つしかないんです! という事は今王都にいらっしゃるんですね」
「……そんな大物なのかよ?」
お袋は何のけなしに親戚の家とだけ言ったから、てっきり遊びに行くぐらいの感覚で向かったんだと思ってたんだが。
こいつが慌てるって事は、俺の思ってる親戚付き合いとは違うみたいだな。
「大物も大物ですよ! ここではあまり声に出して言えませんけど。侯爵様が向かわれたのは恐らく――」
◇◇◇
「なるほど。侯爵家は昔から敵の作りやすい家門ではありますが……、聞いただけでも根の深い問題に巻き込まれた。そう考えてもよろしいですね」
侯爵領で起こった一連の事件について聞き終わった人物は、テーブルの紅茶のカップに手を付ける。それから口元へと運ぶ様には、優雅を体現していると言ってもよい程の優れた所作が垣間見える。
「いずれにしても、我が領だけで済む問題では無くなる。その可能性が高いと考えております。その際には……」
「当然、こちらとしても力を入れない訳にはいかないでしょう。……さて」
雰囲気が変わった。より空気が締まる感覚を侯爵は感じ取った。
実の所、これから話さなければならない事の方が、目の前の女性個人には重要な事だからだ。
「驚きました。まさか”彼”がそれ程の活躍をする事となるとは……。一体この数ヶ月の内に私の”甥”に何があったのか、きちんと聞かせて頂けますね? ――アイゼレンお義姉様」
「……ルーベス」
二人の居るこの家。
いや、家と表現するにはあまりに巨大なその場所は、王都をその威光で包み込む雄大さを誇る巨城『アーゼルガ城』。
相対する二人の女性。
煌びやかな長い金の髪は貴く、渡世を目通すが如き切れ長の瞳を持つアーゼルガ王家の現国王、ルーベス。
波のある朱色の髪は猛々しく、世の魔物を震え上がらせるが如き垂れた睨みを持つグランブリュセティ侯爵家、現当主アイゼレン。
二人は義理の姉妹であった。