目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

9-3

「風太、あんたも一星くんのこと手伝ってあげて。アタシは、今ある食材で、追加準備しとくから」

「へーい」


 一星は風太と一緒に二階の空き部屋に向かった。普段、納戸で使っているといっても、最近は雅がマメに掃除してくれているおかげで、比較的きれいに保たれている。


 ただし、片付いてはいても、やはり、ここは納戸だ。ちょっとほこりっぽいし、布団も敷いて出しておく必要がある。そして、布団を敷くまでのアプローチをきちんと確保しておかなければいけない。おそらくは、ここに猛を運ぶようになるからだ。一星は窓を全開にして開けてから、窓枠のフックに掛けてある掃除用ワイパーを風太に渡す。


「ざっとでいいから。入り口付近から、窓に向かって、ほこり払っといてくれる?」

「オッケー!」


 風太に、はたき係をお願いして、一星はすみにあった掃除機を充電器から外し、スイッチを入れる。だが、その途端に風太が大声で一星を止めた。


「なぁ、おい! おーい、ちょっと!」

「……なに?」

「その掃除機ってさ……、ダイクンだよな?」


 この家には、掃除機が一階と二階に、それぞれ一台ずつある。どちらもダイクン製だ。ダイクンは、サイクロン式掃除機を先駆けて開発、商品化した、有名な海外電器メーカーである。

 昔は、高級家電のイメージが強かったが、現在は、昔よりも価格が安価になり、特段珍しいものではなくなっている。だが、風太はそれをはじめて見たようで、目をキラキラさせていた。


「あぁ、そうだけど……」

「かっけえ! な、おれにもやらして!」


 風太がそう言うので、一星は彼の手にある掃除用ワイパーと、ダイクンの掃除機を交換し、部屋の掃除に取り掛かった。


「すっげー、なにこれ! ヘッド光ってんじゃん! 最新式かよー!」

「いや……。それ、数年前買ったやつだから、もう最新ではないと思うけど……」

「ダイクンの最新式すげー! かっけえー!」


 掃除機の騒音で、一星の言葉はまったく風太に届いていない。だが、新しいおもちゃを買ってもらった子どものように、キラキラした顔で楽しそうに掃除機をかける風太を見て、一星は頬をゆるめる。その掃除機が最新式かどうかなんて、どうでもいい。今、一星が余計なことを言って、風太の笑顔が消えてしまうのが惜しいと思った。


 一星は、風太と部屋の掃除をさっさと終えたあと、クローゼットから布団を引っ張り出して、床の上に敷く。このまま、十分ほど窓を開けたままにして、空気を入れ替えたら、掃除は完了だ。


「猛さん、いい人だし、悪酔いすることもそんなにないんだけど、酒飲むと、ほんとにこんこんと眠っちゃうんだよな……」

「ふうん……。太郎さんと猛さんって、仲いいんだ?」

「仲いいっていうか……、父さんが甘いんだと思う」


 太郎と猛の付き合いは長い。一星と出会うよりもっと前、それこそ学生時代から、ふたりはつるんでいたと聞いている。そのせいもあるのか、太郎は猛に本当に甘かった。何度、猛がこの家で酔ってお泊まりコースになったとしても、絶対に文句を言わず、怒ることもない。無理やり起こしたりもしない。ただ、いつも「また寝ちゃったなぁ」と笑って、彼をおぶって、二階に連れて行き、布団に寝かせてやるわけだ。いくらなんでも、甘すぎる。だが、風太は言った。


「べつに、飲んで暴れるわけじゃなきゃ、いいじゃん。家に誰か泊まりに来るって、おれは太一くらいなもんだったから、すげえ楽しいけどなー」

「なら、よかったけど……。猛さん、運ぶとき大変だから、お前がいてくれると、助かるわ。よろしくな」

「え……」

「猛さん、身長183センチあるし、あの体格だから。寝ると重いんだよ、ほんとに」

「なるほど……」


 太郎ほどではないが、やはり仕事柄、猛も筋肉質だ。太郎は身長が一星よりも低いが、猛は一星と同じ183センチ。それで筋肉質なのだから、ぐっすり眠っている彼を運ぶのは、太郎と二人がかりでも容易ではなかった。彼の体重がいくつあるのかは知らないが、筋肉が重いということは、一星だって知っている。


「っしゃあ……! 猛さんを運ぶのはおれに任しとけ!」

「ひとりじゃ無理だって。重すぎて腰抜かすぞ」

「どんとこいだぜ!」


 風太はやけに張りきっている。合宿から帰ってきたばかりで、疲れているだろうに、彼はまだ体力があり余っているようだ。それには明日、剣道部の稽古が久しぶりにオフなのもあるだろうが、一星はなんとなく察している。風太は家に来客があってにぎやかになるのが、よほど嬉しいのだ。その気持ちは、片親家庭で育ってきた一星にも、理解できる。


 やがて窓の外から、太郎の車が戻ってくるのが見えた。一星は風太と部屋の窓を閉めて、一階へ下りる。そうして、帰宅した太郎と飛び入り参加の猛を迎えた。


***




「カンパーイ!」


 ビール缶と、ジュースの缶がぶつかりあって、にぶい音が響く。この家の歴史上、こんなに人間が集まったことはなかったかもしれない。いつも広く感じるテーブルの上や、ローテーブルの上には今、焼肉用食材やサラダ、取り皿、飲み物なんかがずらりと乗り、どちらもとても小さく、窮屈そうに見えた。


「さぁ、どんどん焼かなくっちゃな!」


 太郎は大張りきりで、庭先に設置した、バーベキューコンロで肉を焼きはじめ、雅はそれを取り皿に盛って、テーブルへ持ってきてくれた。一星も手伝おうとしたが、今日は一星と風太をねぎらう会なので、手伝いは不要だそうだ。もっとも太郎は、鍋奉行ならぬ、焼肉奉行になりがちなので、こういうときには手を出さないほうが平和だった。もちろん、猛もそれをよく知っているはずだ。


「いやー、それにしてもいいですねぇ。家族が増えるって」


 猛がにこやかにそう言って、太郎と雅が照れくさそうに顔を見合わせる。ひとつ屋根の下に住んで、もうひと月にもなるのに、彼らの雰囲気はいまだ初々ういういしかった。しかし、それでいて妙に熟年カップルのような一体感もあるから、このふたりは本当に不思議だ。


「最初はどうなることかと思いましたけどねー。先輩、急にひと目惚れしたなんて言い出すから」

「しょうがないだろ。運命感じちゃったんだから」


 肉を丁寧に焼きながら、太郎が言って、頬をいている。猛と雅はそれを聞くなり、思い出したように笑った。一星はあきれて言葉が出なかった。履歴書でひと目惚れをしたとは聞いていたが、それをわざわざ、猛にも話していたなんて。そんなこと、今どきラブコメの主人公でもやらない。息子としては、太郎のそういう一面は意外でしかなかった。


 感情的に突っ走るタイプじゃないと思ってたけどな……。


 元ヤンで、怒るととてつもなく怖い太郎だが、普段、彼はなかなか感情に任せて動くことはないし、基本的には冷静だった。怒るときには、仕方なく自らリミッターを外してしかる、といった感じで、怒りに任せて怒鳴ったり、不機嫌になったり、そういうことは絶対になかった。


 一星は、そんな彼の背を見て、追いかけるように育ってきた感覚がある。それなのに、雅に恋をした途端、感情のままに突っ走って、わずかふた月ほどで、こうなってしまうのだから、まったく驚かされる。


「それにしても、ですよ。先輩が雅さんに告白したの、いつだと思う?」


 猛はそう言って、一星と風太を交互に見た。一星は風太と顔を見合わせ、答える。


「さあ」

「いつだったんすか?」

「もうね、初日だから、初日! 雅さんの初出勤日! 雅さんも鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔で即答しちゃって、僕は何度、一星くんに相談しようと思ったことか!」


 猛はそう言って、ビールに口をつけてから、焼きたての肉を白飯と一緒に頬張ほおばった。それを聞いた途端、風太は目を丸くする。


「えッ、母ちゃん……! その場で即答したってことはさ、母ちゃんも太郎さんにひと目惚れしてたってこと?」


 風太がくと、雅は太郎と顔を見合わせて笑みをこぼし、かぶりを振った。


「ううん。正直な話、びっくりして、そのときは思わず『はい』って言っちゃったの。でも、そこから太郎さんにどんどんかれてさ、帰る頃にはもう好きになってたってわけ」


 一星は肩をすくめる。帰る頃――ということは、告白されて、わずか数時間で、雅もまた、太郎に恋をしていたということだ。


「へー。でも、太郎さーん、大丈夫っすかぁ?」

「え? 大丈夫って?」

「ほんとは今さら言えないけど、母ちゃん選んだこと、実は後悔してたりするんじゃ――……ってぇッ!」

「いやあねえ、もう。風太ったら、冗談きついんだから!」


 速い……!


 風太の冗談に、雅が素早く鉄槌てっついを下したらしい。テーブルの下の、風太の足が悲鳴を上げているのが伝わってくる。なんとか助けてやりたいが、相手が雅では一星にも勝ち目はない。一星は心の中で風太にエールを送りながら、イイ感じに焼けた肉を、取り皿の上で塩コショウを振り、口に運んだ。


 うまい……。これ、相当いい肉買って来たな……。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?