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9-2

「ただいまー」

「ただいま……」

「おかえりー!」


 玄関へ入るなり、雅がリビングから出てきて、一星と風太を迎えてくれる。エプロンをしているところを見る限り、きっと、早くも焼肉パーティーの準備をしてくれていたのだろう。ちら、とリビングの中をのぞくと、庭先にはすでに、バーベキューセットがしっかり設置されていた。


「まだ早いけど、焼肉の用意してあるからね。何時から始める?」

「いつでもいける! あ、でも、先に風呂入りてえ」

「じゃあ、ふたりがシャワー浴び終わったら開始しようか。その頃には、太郎さんも帰ってくるだろうし」


 雅の言葉に、一星は「えっ」と声を上げ、玄関の壁にかけられたカレンダーを確認する。今はゴールデンウイーク中。日曜、祝日は、みなもと接骨院は休診になるはずだ。


「父さん、今日、仕事行ったんですか?」

「うん。いつものおばあちゃんから、お昼ごろに電話あったみたいでね。急患だって」

「そっか……」

「そういやさー、母ちゃん。合宿の余りもん、もらってきたから。今日使って」

「はーい、了解。キッチンの上に出しといて。先に使っちゃうからね」

「へーい」


 一星は、ふたりの慣れたやり取りを見ながら、頬をゆるめた。これが毎年、風太の家では当然の流れだったのだろう。一星は洗濯物をカゴに出すと、自室へ行って体をベッドの上に投げる。そうして、天井を眺めながら、深いため息をいた。


 風太のああいうとこ……、ほんといいよな……。


 一星は風太を、ひとりの人間として、最高にカッコいいと思った。剣道部員は、合宿が終われば「早く家に帰りたい」くらいのことしか思わないし、差し入れでパンパンの荷物を背負って帰るのがやっとだ。中には、自力で帰宅するのも億劫になって、保護者に車で迎えにきてもらう部員も、ちらほらいた。誰も、使いかけの余った野菜のことなど、気にしないし、そんな余裕もないわけだ。


 風太は普段、猪突猛進な熱血漢で、永遠の小学三年生のようなイメージがあるが、ふとしたときに、信じられないくらい真っ当なことを言ったりもする。どちらも、一星は風太らしさだと思うし、そういうギャップも、たまらなくカッコいいと思っていた。ただし、本人にそれを伝えられるはずもないので、いつも一星は、ひとりでこっそり、悶絶していた。


「はぁー……、やっぱ好きだ……!」

「一星ー、あのさぁ――」

「うわっ」


 不意に好きだと声に出してしまった瞬間、部屋のドアが勢いよく開いて、風太が顔を出す。一星は慌ててベッドから飛び起きた。


「なんだよ、急に入ってきて……。ビックリするだろ……」

「わりィ。おれさぁ、先にシャワー浴びてくるけど……」

「……なに」

「お前、焼肉する前に寝るなよ」

「は……?」

「パーティーすんのに……、ひとり欠席っつうのは、テンション下がるだろーが」


 風太はそう言って、一星を指差してから、部屋を出て行った。どたどたと階段を駆け下りる足音とともに聞こえてくるのは、奇妙な鼻歌だ。それを聞けば、彼が今晩の焼肉パーティーをどれほど楽しみにしているかわかる。一星は、くくっと笑みをこぼし、またベッドに寝転がった。


 アイツ……。また、変な歌、唄ってる……。


 好きな男のゴキゲンな歌声と足音が、こんなにも耳に心地いい。疲れも吹っ飛ぶほどの癒し効果だ。しかし、その時。ふと、脳裏には白河の言葉がよぎった。


 ――その願望が叶ったとして、一星は、風太が幸せになれると思う?


 白河の表情を思い出し、一星は思う。彼は、ただ一星にマウントを取るために、あんなことを言ったわけではない。――いや、マウントを取る目的もあったのかもしれないが、なにも考えなしにそんなことを言うはずがない。おそらく、白河は確かめたのだ。一星にどれほどの覚悟があって、風太に想いを寄せているのか。そして、どれほど一星が手強てごわいかを。


「ほんとに鬱陶うっとうしいな、あの人……。でも……」


 ――一星は、ちゃんと先のこととか考えてんのかなって思っただけ。同性同士で好き合うのって、けっこう大変だと思うからさ。


 実際、白河の言うことは正しい。世間でLGBTQとか、多様性の時代がどうのと言われていても、同性カップルはどうしたって少数派だ。そう生きやすくはないだろう。SNSやテレビを見ていても、世間の目はまだまだ冷ややかだったり、逆に過剰に肯定的だったり、ムカつくほどに身勝手で、様々で、そこに「フツウ」はない。同性愛者であることをカミングアウトをすれば、それなりに苦労をしそうなのは、容易に想像できる。そもそも、同性同士で穏やかで幸せな日常を送っているカップルを、一星は見たことがない。


 ――オレはね、風太を幸せにしてやれる。その自信はあるよ。


 白河は自慢げにそう言っていたが、あれもハッタリだと思えない。理由はなんだか知らないが、一星は、それが少しだけ悔しかった。いくらポジティブに想像したとしても、今の一星には、彼のような自信は持てないからだ。


 風太を好きになっても、ただ、好きでいるだけだったら、なにも変わらない。一星が風太の人生に関わることはないし、風太はごく普通の人生を送れるだろう。突飛な家族と暮らしていても、いつかは寛容な恋人ができて、結婚して、家庭を築いたりもするのだろう。しかし、一星が風太に想いを告げて、たとえば、風太と恋人になったとしたら。一星は、風太の人生を大きく変えることになる。


「まだ自分の進路だって決まってないってのに……」


 深いため息をき、一星はぼんやりと天井を眺めた。いつか、想いが叶って、風太に好きになってもらえたとしたら、それは奇跡も同然だ。一星は彼を恋人として、誰よりも大切にしたいと思う。けれど、彼とうまくいかなければ、一星は風太に取り返しのつかない傷を残すことにもなるのだ。もっとも、それは男女であっても同じことではあるのだが、同性というだけで、そのハードルはうんと上がるのに、責任も比例して重くなる。一星はそう感じている。


「幸せにしたいのと、実際にできるかどうかってのは……、別なんだろうな」


 ひとりで悶々もんもんと考えても、答えは出ない。ほどなくして、一階からドライヤーの音が聞こえてくると、一星は考えごとをひとまず頭のすみに放り投げ、風呂場へ向かう。そうして、いつもよりちょっとだけ熱めのシャワーを浴びた。


***



 さて、一星がシャワーを浴びて風呂を出る頃。雅のあせったような声がして、一星はリビングをのぞいた。


「そうね……。タケくんが来るなら、お酒足りないかも。これから、買いに行こうか? ……えっ、大丈夫?」


 雅はスマホを片手にそう話しながら、冷蔵庫を開けてのぞいている。一方で、風太はソファでくつろぎながら、振り返り、キッチンで通話をする雅の様子を見つめていた。相手は、おそらく太郎だろう。一星は彼女の話し声だけで、何事かすっかりわかってしまった。


 猛さん、来るのか……。


 神崎かんざきたけるは、太郎の後輩で、みなもと接骨院の副院長だ。一星がまだ幼い頃、彼は、仕事と資格取得に忙しかった太郎と交代で、一星の面倒を見てくれていた。いわば、親戚のお兄ちゃん的な存在でもある。


 そんな彼は現在、柔道整復師の資格は持っていないものの、はり師、きゅう師の国家資格を持ち、これらを用いた治療を専門として行う、太郎の右腕整体師だった。ジャンルは異なるが、大きく見れば太郎と同じく、東洋医学を熟知している専門施術者だ。


 彼は見た目もよく、爽やかな印象があって物腰も柔らかいので、女性患者からの人気が特に高い。施術をしながら、東洋占術を交えたトークのサービスも、人気の理由のひとつだった。ただし、彼にはちょっとした難点があるのだ。


「わかった。じゃあ、太郎さん、気を付けて帰ってきてね」

「母ちゃーん、今日、猛さんも来るの?」


 雅の電話が終わるのを待っていたかのように、風太がく。すると、雅は頷きながら、冷蔵庫を開けて、準備した食材や、飲み物の確認をしながら答えた。


「うん。今日ね、太郎さんだけじゃなくって、タケくんも出勤してたんだって。お酒とお肉は、太郎さんたちが途中で買い足してきてくれるみたい」

「へえー。なんかほんとにパーティーみてえじゃん! 楽しみ!」


 風太は声をはずませるが、猛が参加する夕食や飲み会は、いつもちょっと大変なのを、一星は知っている。


「……それじゃ、俺、空き部屋の掃除してきますね」


 一星がそう言うと、雅は困り顔で笑みをこぼした。そうして、「合宿で疲れてるのに、ごめんね」と返す。風太はそのやり取りを見るなり、不思議そうな顔をした。


「なんで、空き部屋の掃除なんかすんの?」

「前に話さなかったっけ。猛さん、酔っ払うと寝ちゃって起きないから。家で飲んだときは、九割お泊まりコースなんだよ。今んとこ二階の空き部屋は、納戸としても使ってるけど、ほぼ、猛さんのお泊まり部屋になってるんだ」

「へえ……。猛さんって、そんなに呑兵衛なんだ?」


 風太が雅と一星の顔を交互に見て、く。雅と一星は同時に頷いた。そうなのである。あの爽やかで物腰柔らかなイケメンからは、想像もつかない話だが、猛は大の酒好きで、酔っ払うとたいていの場合、ぐっすり寝てしまう。そして、朝、太陽が高く上がるまでは絶対に起きない。昔から、彼はそうだった。

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