「ただいまー」
「ただいま……」
「おかえりー!」
玄関へ入るなり、雅がリビングから出てきて、一星と風太を迎えてくれる。エプロンをしているところを見る限り、きっと、早くも焼肉パーティーの準備をしてくれていたのだろう。ちら、とリビングの中を
「まだ早いけど、焼肉の用意してあるからね。何時から始める?」
「いつでもいける! あ、でも、先に風呂入りてえ」
「じゃあ、ふたりがシャワー浴び終わったら開始しようか。その頃には、太郎さんも帰ってくるだろうし」
雅の言葉に、一星は「えっ」と声を上げ、玄関の壁にかけられたカレンダーを確認する。今はゴールデンウイーク中。日曜、祝日は、みなもと接骨院は休診になるはずだ。
「父さん、今日、仕事行ったんですか?」
「うん。いつものおばあちゃんから、お昼ごろに電話あったみたいでね。急患だって」
「そっか……」
「そういやさー、母ちゃん。合宿の余りもん、もらってきたから。今日使って」
「はーい、了解。キッチンの上に出しといて。先に使っちゃうからね」
「へーい」
一星は、ふたりの慣れたやり取りを見ながら、頬を
風太のああいうとこ……、ほんといいよな……。
一星は風太を、ひとりの人間として、最高にカッコいいと思った。剣道部員は、合宿が終われば「早く家に帰りたい」くらいのことしか思わないし、差し入れでパンパンの荷物を背負って帰るのがやっとだ。中には、自力で帰宅するのも億劫になって、保護者に車で迎えにきてもらう部員も、ちらほらいた。誰も、使いかけの余った野菜のことなど、気にしないし、そんな余裕もないわけだ。
風太は普段、猪突猛進な熱血漢で、永遠の小学三年生のようなイメージがあるが、ふとしたときに、信じられないくらい真っ当なことを言ったりもする。どちらも、一星は風太らしさだと思うし、そういうギャップも、たまらなくカッコいいと思っていた。ただし、本人にそれを伝えられるはずもないので、いつも一星は、ひとりでこっそり、悶絶していた。
「はぁー……、やっぱ好きだ……!」
「一星ー、あのさぁ――」
「うわっ」
不意に好きだと声に出してしまった瞬間、部屋のドアが勢いよく開いて、風太が顔を出す。一星は慌ててベッドから飛び起きた。
「なんだよ、急に入ってきて……。ビックリするだろ……」
「わりィ。おれさぁ、先にシャワー浴びてくるけど……」
「……なに」
「お前、焼肉する前に寝るなよ」
「は……?」
「パーティーすんのに……、ひとり欠席っつうのは、テンション下がるだろーが」
風太はそう言って、一星を指差してから、部屋を出て行った。どたどたと階段を駆け下りる足音とともに聞こえてくるのは、奇妙な鼻歌だ。それを聞けば、彼が今晩の焼肉パーティーをどれほど楽しみにしているかわかる。一星は、くくっと笑みをこぼし、またベッドに寝転がった。
アイツ……。また、変な歌、唄ってる……。
好きな男のゴキゲンな歌声と足音が、こんなにも耳に心地いい。疲れも吹っ飛ぶほどの癒し効果だ。しかし、その時。ふと、脳裏には白河の言葉が
――その願望が叶ったとして、一星は、風太が幸せになれると思う?
白河の表情を思い出し、一星は思う。彼は、ただ一星にマウントを取るために、あんなことを言ったわけではない。――いや、マウントを取る目的もあったのかもしれないが、なにも考えなしにそんなことを言うはずがない。おそらく、白河は確かめたのだ。一星にどれほどの覚悟があって、風太に想いを寄せているのか。そして、どれほど一星が
「ほんとに
――一星は、ちゃんと先のこととか考えてんのかなって思っただけ。同性同士で好き合うのって、けっこう大変だと思うからさ。
実際、白河の言うことは正しい。世間でLGBTQとか、多様性の時代がどうのと言われていても、同性カップルはどうしたって少数派だ。そう生きやすくはないだろう。SNSやテレビを見ていても、世間の目はまだまだ冷ややかだったり、逆に過剰に肯定的だったり、ムカつくほどに身勝手で、様々で、そこに「フツウ」はない。同性愛者であることをカミングアウトをすれば、それなりに苦労をしそうなのは、容易に想像できる。そもそも、同性同士で穏やかで幸せな日常を送っているカップルを、一星は見たことがない。
――オレはね、風太を幸せにしてやれる。その自信はあるよ。
白河は自慢げにそう言っていたが、あれもハッタリだと思えない。理由はなんだか知らないが、一星は、それが少しだけ悔しかった。いくらポジティブに想像したとしても、今の一星には、彼のような自信は持てないからだ。
風太を好きになっても、ただ、好きでいるだけだったら、なにも変わらない。一星が風太の人生に関わることはないし、風太はごく普通の人生を送れるだろう。突飛な家族と暮らしていても、いつかは寛容な恋人ができて、結婚して、家庭を築いたりもするのだろう。しかし、一星が風太に想いを告げて、たとえば、風太と恋人になったとしたら。一星は、風太の人生を大きく変えることになる。
「まだ自分の進路だって決まってないってのに……」
深いため息を
「幸せにしたいのと、実際にできるかどうかってのは……、別なんだろうな」
ひとりで
***
さて、一星がシャワーを浴びて風呂を出る頃。雅の
「そうね……。タケくんが来るなら、お酒足りないかも。これから、買いに行こうか? ……えっ、大丈夫?」
雅はスマホを片手にそう話しながら、冷蔵庫を開けて
猛さん、来るのか……。
そんな彼は現在、柔道整復師の資格は持っていないものの、はり師、きゅう師の国家資格を持ち、これらを用いた治療を専門として行う、太郎の右腕整体師だった。ジャンルは異なるが、大きく見れば太郎と同じく、東洋医学を熟知している専門施術者だ。
彼は見た目もよく、爽やかな印象があって物腰も柔らかいので、女性患者からの人気が特に高い。施術をしながら、東洋占術を交えたトークのサービスも、人気の理由のひとつだった。ただし、彼にはちょっとした難点があるのだ。
「わかった。じゃあ、太郎さん、気を付けて帰ってきてね」
「母ちゃーん、今日、猛さんも来るの?」
雅の電話が終わるのを待っていたかのように、風太が
「うん。今日ね、太郎さんだけじゃなくって、タケくんも出勤してたんだって。お酒とお肉は、太郎さんたちが途中で買い足してきてくれるみたい」
「へえー。なんかほんとにパーティーみてえじゃん! 楽しみ!」
風太は声を
「……それじゃ、俺、空き部屋の掃除してきますね」
一星がそう言うと、雅は困り顔で笑みをこぼした。そうして、「合宿で疲れてるのに、ごめんね」と返す。風太はそのやり取りを見るなり、不思議そうな顔をした。
「なんで、空き部屋の掃除なんかすんの?」
「前に話さなかったっけ。猛さん、酔っ払うと寝ちゃって起きないから。家で飲んだときは、九割お泊まりコースなんだよ。今んとこ二階の空き部屋は、納戸としても使ってるけど、ほぼ、猛さんのお泊まり部屋になってるんだ」
「へえ……。猛さんって、そんなに呑兵衛なんだ?」
風太が雅と一星の顔を交互に見て、