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9 幸せの手本~源一星~

 合宿の最終日。午前中の稽古を終えると、一星たち剣道部員は、合宿所の掃除をして、夕方には帰路についた。結局、白河は最後の最後まで、手伝いをしてくれた。そのおかげで、一星たちが今回の合宿中、ずいぶんと楽をできたのも事実で、それに関しては一星も白河には心の底から感謝していた。ただし。


「いやー、今回の合宿、手伝いに来てほんとによかったよ。いろいろと収穫もあったし」

「もう二度と来ないでください。ストレスフルです」


 中庭のベンチで、のんきに伸びをする白河に、一星は辛辣しんらつな言葉を投げた。背中には、白河の視線が刺さっている。一星は知らぬふりをして、自販機で風太が好きそうな甘いジュースを選び、テキトーに二本買うと、それをカバンに入れ、振り返る。そうして、白河の視線を拾ってやった。あいかわらず、彼のそれはするどい。だが、一星は負けじと彼をにらみつけた。


「それは君だけだろ。言っとくけど、オレはそうカンタンには諦めないよ」


 一星は、返事をする代わりに大あくびをする。この三日間、白河のせいで、一星はちょっと寝不足だ。合宿所で寝るとき、部員は大部屋を使い、そこで雑魚寝するのが通常だが、白河は一日目の夜も、二日目の夜も、風太の隣を陣取っていた。彼が夜中、眠る風太になにかするのではないかと、一星は白河が深い眠りにつくまで、心配で心配で寝つけなかったのだ。


「そうカンタンに、ってことは、カンタンじゃないけど、いつかは諦めてくれる可能性があるんですね。俺、がんばります」

「一星……、お前はほんとにつくづく思うけど、いちいちカンにさわるし、かわいくないよね」

「よく言われます。先輩、帰らないんですか」

「帰るよ。風太の顔を見たら、ね」


 今、一星と白河は、帰り支度にもたつく風太を中庭のベンチで待っている。太一や、ほかの部員たちはみんな、くたびれた体を引きずるように帰宅していった。たぶん、風太が最後だろう。一星と白河は、嫌味の言い合いをしながら、しばらく中庭のベンチに座っていたが、そのうちに、白河が真剣な表情でたずねた。


「一星。……いてもいいかな」

「なんです」

「一星はさ、風太とどうなりたいとか……、あるわけ?」


 真剣にたずねたわりには、当たり前すぎる話だ。一星はため息混じりに答える。


「そりゃあ、ありますよ……」

「へえ」

「先輩はないんですか」


 逆にたずねてみると、彼もまた当たり前だと言わんばかりに笑みをこぼし、答えた。だが。


「もちろんあるよ。ちなみに、その願望が叶ったとして、一星は、風太が幸せになれると思う?」


 さらにたずねられて、一星は目線を手元に落とす。いつか、風太と両想いになって、恋人同士になれたら、最高に幸せだと思う。だが、その先、風太を幸せにできるかどうかは、自信がなかった。そもそも、誰かを幸せにするということがどういうことか、一星にはよくわからない。なにしろ、恋をしたのだって、生まれてはじめてで、経験もないわけだから。


「さあ……、それは――」

「わからない? ……オレはね、風太を幸せにしてやれる。その自信はあるよ」


 一星にマウントを取るように、白河は言う。その勝ちほこったようなセリフに、一星は苛立いらだち、じろりと隣をにらみつけた。


「……だから? なんだって言いたいんですか」

「いや。一星は、ちゃんと先のこととか考えてんのかなって思っただけ。同性同士で好き合うのって、けっこう大変だと思うからさ。隠して暮らすのも、カミングアウトして、周囲の反対に遭うのも――」

「あんたに言われなくても、そんなこと。知ってますよ」

「そう。なら、いいけどね」


 一星は悔しさのあまり、拳を強く握る。正直な話、先のことなんかわからない。同性同士の恋愛が、大変なのはなんとなくわかるが、具体的なことはわからない。どんな問題があるのかも、よく知らないし、周囲に隠したほうがいいのか、隠さないほうがいいのか、それもわからない。だが、ふと妙に思った。自分とたった一歳しか違わないのだから、白河だってそんなに恋愛経験があるはずがない。そのはずなのに、彼はずいぶんと知ったふうな言い方をしている。


「えらそうに言ってますけど、白河先輩だって、どうせ、たいした経験はないでしょ」

「……そう思う?」


 ふふ、と笑みをこぼし、そう返された。見れば、白河の笑顔はいつになく切なげだ。一星は咄嗟とっさになにか言い返そうとしたが、彼の見慣れない表情のせいで、言葉が出なかった。


「おーいっ、一星!」


 ちょうど、その時。風太の声がして、一星はベンチから立ち上がる。風太は行きよりもうんと体積を増した荷物を背負っていた。パンパンになったそれの中身は、だいたい想像がつく。


「遅いぞ」

「わりィ。荷物、入らなくなっちゃってさ。余った食材とかお菓子もらったから、すげーかさばるんだわ」


 合宿では食材が余ることが多い。その多くが野菜だ。肉や卵は、きれいに使いきっても、野菜はなかなかうまく使いきれないで、中途半端に残ってしまうことがある。それ以外に、剣道部の父母会や、OBからの差し入れのお菓子やジュースもあるので、合宿帰りは、多少荷物が重くなるのはいつものことだった。ただ、今回はOBが大勢来てくれたこともあって、差し入れの数がずいぶんと多かったようだ。


「全部もらってきたのか……?」

「もらい手なかったやつはなー。もったいねーだろ。白河先輩も、待たせちゃってすんませんでした!」


 風太はそう言って、重そうにリュックを背負い直す。白河は目を細め、ぽんぽん、と風太の頭をでた。


「風太はえらいよなぁ。よかったら、送りがてら、荷物を一緒に持とうか。家、すぐそこなんだろ」

「えッ、いいんすか!」

「もちろん」


 白河の目は、途方もなく愛おしいものを見ているようでもあり、どこか獲物を狙うようなするどさもある。一星は、慌ててふたりの間に駆け込むようにして、やや強引に割り込んだ。そうして、風太の腕をつかみ、強引に彼から引き離す。


「すいませんけど、けっこうです」

「そうか? でも――」

「荷物なら、俺が持ちますから。……行くぞ、風太」

「お、おう……。先輩、あざっしたぁ……!」


 一星は、風太の荷物を半分持ち、彼と肩を並べて帰路についた。実に三日ぶりの帰り道だ。白河からも解放され、今はふたりきり。徒歩わずか数分の源家に寄り道しようと企む白河を追い返すのは面倒だったが、それでも、なんとか鬱陶うっとうしいライバルを排除し、一星はせいせいした気分で、今、風太の隣を歩いている。


 風太は重い荷物をえっちらおっちらと運びながら、「これもトレーニングだな」と強がりを言って笑ったが、そのうち、徒歩でたった数分の距離に家の屋根が見えてくると、ホッと息をいていた。


「お前、これ……、去年まで持って帰んの大変だったろ……」

「まあな。でも、食いもんは大事だろ。それに、今夜は焼肉だし、みんな焼いて食っちまえばいいって」


 風太の言葉に、一星は「そうだけどさ」と返し、内心で、言い返す必要はないな、と思う。誰ももらい先がなければ、食材はみんな捨てるだけになってしまう。彼はそれを知っていて、毎年、最後までもらい手のない、余った食材を、すべて持ち帰っているのだ。


 よく余るのは半分になったキャベツやニンジン。そういうものは、高校生男子には不人気なうえ、残っていても見向きもされない。そもそも、持ち帰りの荷物が重くなるのも、不人気な理由のひとつだった。だが、風太はそういう食べ物でも、無駄にするのをひどく嫌がって、意地でも持ち帰る。一星は、彼のそういうところを密かに尊敬していた。

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