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8-5

 この春から、一星は風太のそばにいて、彼をより深く知ってしまった。母思いなところ。不器用ながらにも、優しいところ。なんでもおいしそうに食べてくれるところ。寝起きの鼻声がすごくかわいいところ。普段は素直じゃないクセに、一星の作ったものは素直に好きだとか、おいしいと言って喜ぶところ。


 家でも学校でも、風太のそばにいて、いろんな風太を知ったせいで、一星は自分の想いが、こんなにも強くなっていることに気付いてしまった。独占欲が出てきたのも、感情を抑えられなくなったのも、たぶん、そのせいだろう。こうなってしまったら、もう、そうカンタンには抜け出せない気がする。いや、むしろ、とことんまで彼を知って、狂うほどに想いをつのらせてみたいとも思う。


「まずいな、これ……。かなり重症かも……」

「重症? なに、お前……、どっかケガしてんの……?」


 当然だが、一星の言葉の意味が、風太に理解されるはずもない。彼は、眉間みけんにしわを寄せたまま、首をかしげ、さらに怪訝けげんそうに一星を見つめた。しかし、今夜は、白河にヤキモチを焼いたせいか。想いが深まっていると気付いたせいか。彼の表情、言葉のひとつ、ひとつがひどく愛おしい。


「一星……。よくわかんねーけど、いろいろと大丈夫か……?」

「いや、全然……」

「え……」

「全然、大丈夫じゃない」

「えっと……」

「風太、俺は――……」


 感情がたかぶって、思わず風太の手を取り、想いを吐露とろしそうになった。――しかし、すぐに口をつぐみ、その手を離す。


 まずい……。こんなとこで告ってどうすんだ……。


 浅はかなことだ。こんな想いをかかえていると知ったら、風太は一星をどう思うだろう。ひとつ屋根の下に住む、犬猿のライバルに、実は下心があると知ったら。たぶん、彼との関係は、これまで通りというわけにはいかなくなる。少なくとも、風太は一星をけるようになるはずだ。


 同性から向けられる恋心なんて、ノーマルな彼が喜ぶはずがない。もっとも、一星も特段「男が好き」というわけではないのだが、だからこそ余計に、理解してもらうのは、難しいかもしれない。一星だって、この気持ちを説明しろと言われても、うまくできる自信がないのだ。


「悪い、なんでもない……」

「一星……? お前、今日ほんとにどうした?」


 なんだか、心配されているようだが、一星は慌てて頭を巡らせた。この場をどうにか切り抜ける、理由を探さなければならない。白河に近づいてほしくない理由。気を付けてほしい理由。ふたりきりになってほしくない理由。だが、そんなもの、「風太を好きだから」という理由以外には、見つからない。


「おい、一星……?」

「風太……」

「おう……?」


 一星は、今にも爆発してしまいそうな心臓の音をわずらわしく思いながら、その音にき立てられているような心地で、必死に言葉を選んでいた。叶うはずのない片想いを打ち明けるのは怖いし、今は、公式試合を控えた合宿中でもある。タイミングとしては、絶対に好ましくない。だが、このままでは、公式試合を迎える前に、風太を白河に取られてしまいそうな気がする。


「俺は……、お前が、白河先輩と一緒にいると、すごく不安だ……」


 一星は迷いに迷ったあげく、そう言った。ずっと握りしめていた本心が、指の間からこぼれてしまったような感覚だった。


「不安って……、なんで?」

「それは……」

「それは……?」

「お前をあの人に――……」

「あっ、こんなところにいた!」


 一星の言葉は、不意に飛び込んできた白河の声によってかき消された。ハッとして振り向くと、そこには白河だけではなく、太一もいる。太一は一星と風太を見るなり、途端に口を尖らせた。


「ほんとだ、いたいたぁ。ふたりとも、なにやってんだよー。就寝時間、とっくに過ぎてるんですけど!」

「あぁ、悪い……」


 一星はそう言って、ちら、と風太に目をやる。すると、風太と視線がぶつかった。彼は少し、ぼーっとしているようだ。


 一星は風太としばらく見つめ合っていたが、すぐに我に返ったように、目をらした。そうして、今さっき、自分の言ったセリフを思い返してみる。


 ――俺は……、お前が白河先輩と一緒にいると、すごく不安だ……。


 その途端、ぶわっと頬が火照ほてった。全身には汗がじわじわとにじんでくる。危なかった。白河たちの邪魔が入らなかったら、一星は今夜、嫉妬心にあおられ、風太に本気で告白してしまうところだった。一星は、頭をくしゃくしゃと掻き、安堵あんどのため息をく。


 やばいって……。なに言ってんだ、俺……。


 まるで、ブレーキが壊れた車に乗ってしまったような気分だ。今まで、なにがあっても、たいていの場合は冷静でいられたのに、風太のことになると、こんなにも感情を抑えられなくなる。しかし、その感覚はとても新鮮で、わずらわしくありながら、言いようのない高揚感に溢れてもいた。


「さぁ、就寝、就寝。夜更かしも、ほどほどにしないと明日に響くぞ。ふたりとも」

「はい……、すんません」


 風太はそう言って謝り、合宿所へ戻って行く。その後ろ姿を見つめながら、一星もそのあとを追おうとした。ところが、不意に。肩をぽん、と叩かれ、同時に耳元では、白河の声が響く。


「さっき、邪魔したお返し」


 そう言われて、一星は立ち止まる。ひらりと手を振って、白河は風太に駆け寄り、後ろから彼の肩を抱いて、一緒に合宿所へ入っていった。ほどなくして、ふたりのじゃれ合う声が聞こえると、一星は再び、猛烈な嫉妬心に襲われる。そうして、手の平に爪が食い込むほど、強く拳を握り、ふたりを全力で追いかけた。


 風太が、いつか俺を理解してくれるって、そんなこと期待してるわけじゃない。好きになってほしいなんて、ばかげた願望だってわかってる。でも、それでも、俺はアイツの隣にいたい。誰よりも、近くにいたい……。

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