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8-3

 風太にめられたとわかって、一星の心臓は急激に高鳴った。恥ずかしさをこらえ、彼は一星のために伝えてくれたのだ。しかも「興奮した」と、彼は言った。一星の面が、彼を興奮させたと思うと、もう飛び上がりたくなるほど嬉しかった。だが、どうしてもここで、それを素直には喜べない。


「お、お前は……、もうちょっと逆胴ぎゃくどう、ちゃんと打ちきれよな。ばっくり打てるの、試合稽古んときだけだろうが……」

「な……ッ、んなことねーよ!」

「そんなことある。お前、大会になると、ああいう逆胴ぎゃくどう、絶対打たないだろ。ビビってんじゃないのか」

「あぁ……?」


 一星の言葉に、風太はすぐに反応した。おかわりした白飯をあっという間にたいらげた彼は、するどく一星をにらみ、一星もまたにらみ返す。


「ビビってるだぁ……?」

「違うのかよ」

「あぁ、もう……。まーた始まっちゃった……」

「おーい、ふたりとも。そこら辺にしとけよー」


 太一とOBにあきれられ、注意を受けても、風太は視線をらさなかった。もちろん、一星も負けじとにらみ返す。以前から、白河の前では、こうして風太とケンカしていると、たまらなくホッとするのだ。こうしていれば、風太は絶対に白河を見ないで、一星だけを見てくれる。それに、一星は風太に不意打ちで優しくされると、嬉しさあまりに動揺してしまいそうになった。


「おれはビビってねえ!」

「だったら、なんで大会でいつも失敗するんだよ」


 照れ隠しに、つい、ケンカ腰な言い方になってしまったが、一星はなにも嘘を言っているわけではなかった。風太は面を得意としていて、たしかに彼の技の中でも、それは特にずば抜けた威力がある。だが、彼は面だけでなく、胴も上手い。特に、相手に対して構え、互いに攻め合う状態から、腹を右上から左下に打ち抜く、逆胴ぎゃくどうという技。あれを打つときの、風太のタイミングの取り方、技への入り方は、たぶん、この部内では一番、上手かった。


 ただし、風太は公式試合になると、なぜか逆胴ぎゃくどうを失敗する。おそらくは「絶対に失敗できない」というプレッシャーが、彼をいつも以上に慎重にさせ、タイミングがずれてしまうのかもしれない。


 一星もそれには気付いてはいたものの、今日の試合で、彼が調子よく逆胴ぎゃくどうを何本も打つのを見て、一星は「もったいない」と心の底から惜しく思った。公式試合で、あの逆胴ぎゃくどうがいつも通りに出せれば、風太にとっても、チームにとっても必ず強みになる。ただし、今は照れくさいあまりに、少々角が立つような言い方になってしまったのは、否めなかった。


「しょうがねえだろが! 公式試合だと、さすがのおれだってちょっと慎重になるんだよ!」

「慎重になって、技が打てなくなってんなら、それはビビってるってことだろ。わかってんなら対策をしろよ」

「うるっせえ! おれはな、お前みてえに年がら年中、精密機械じゃいられね――……」

「お前ら! そんなにエネルギーありあまってんなら、夜中じゅう稽古するか!」


 そこまで、ずっと静観していた烏丸が怒鳴り、食堂がしーんと静まり返る。同時に、太一やほかの部員から、冷たい視線を送られた。ひとまず一星は、風太と競い合うように、残っていた食事をたいらげる。だが、ほどなくして烏丸が食堂を出ていくと、それを待っていたかのように風太が言った。


「おめえのせいで怒られただろーが、アホんだら」

「お前のせいだ、ばあか」

「んだと、この……っ!」

「ふたりともー……。本当にいいかげんにしようか?」


 やや苛立いらだった声で、白河にもそう言われて、風太はすぐに口をつぐむ。そうして「すんません!」と言って謝り、食べ終わった食器を持って、席を立った。風太の席が空いた途端、その隣に座っていた、白河の冷たい瞳が一星に向けられる。一星はその視線を拾って、彼に言った。


「俺は……、絶対にあなたには負けませんから」


 すると、白河は無言のまま、目を細めた。


***




 その翌日も、初日と同じように、試合稽古は行われた。一星は白河に勝つために、あらゆる策を練って戦ったが、やはり、ひと筋縄ではいかない。白河は想像以上に手強てごわかった。一星にだけは、負けるわけにはいかないとでも言うように、彼もまた、おそらく本気で一星を迎え撃っていたからかもしれない。結局のところ、勝負はなかなかつかず、一星と白河の勝敗は、引き分けのまま、二日目の夜を迎えていた。ところが――。


「……あれ、風太は?」


 風呂と風呂掃除が済んで、最後に部屋に戻った一星は、自分の布団を整えながら、ふと、異変に気付いた。部屋に風太がいないのだ。ついでに言えば、白河もいない。隣の布団で、すでに寝転がっている太一は、スマホを眺めながら答える。


「そういやぁ……、いないね。さっきまで、その辺でごろごろしてたけどなー」

「そうか……」


 ふたりがそろっていなくなるのは、少し心配だ。さすがの白河だって、合宿中、風太を襲うようなことはしないだろうとは思うが、もしかすると、風太を意識させるために、口説くくらいのことはするかもしれない。そう危ぶんだとき、後輩のひとりが言った。


「風太先輩なら、中庭の自販機まで、飲み物買いに行ってますよ。白河先輩と」

「え……?」


 それを聞いて、途端に苛立いらだちを覚えた。夜に飲み物を買いに行くのは自由だが、白河とふたりきり、というのはよくない。純粋に、白河を憧れの先輩としてしたう風太の気持ちを利用して、彼はなにをするかわからないからだ。


 くそ……ッ。やられた!


 一星は布団を放り投げて、急ぎ合宿所を出た。そのまま、中庭へ向かう。とうに歩き慣れた道だが、今は足下もはっきり見えないほどに真っ暗闇だ。校内には、場所によって、外灯がいくつか設置されているはずだが、中庭まで続く道には、ほとんど灯りがない。


 一星は、ポケットからスマホを取り出して、ライトを点けて歩き出す。見慣れた校舎は人の気配がなく、不気味な廃墟のようにも見える。しかし、誰もいない真夜中の学校なんかより、風太を狙う白河の方がよほど怖い。


 やがて、自販機が煌々こうこうと光る休憩所まで来ると、ふたつの人影が見えてきた。一星はホッとしてそこへ近づく。ところが――。


「あ……ッ!」


 ふたりのシルエットが見えた瞬間、思わず、一星は駆け出した。風太は自販機の前に立ち、白河は風太の背後から、馴れ馴れしく抱きついている。なにか話しているようだが、その距離があまりに近い。不意打ちで口づけられても、おかしくないくらいだ。

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