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8-2

 白河もまた、一星の出方を見ながら、じりじりと攻めていた。彼の得意技は、差し面。差し面とは、体のバネを使った、攻めの面打ちだ。一星もまた、面は得意だが、彼と真っ向から勝負をしても、たぶん、勝てない。悔しいが、彼の差し面はそれほどの威力がある。ただし、絶対的な強さと威力があるからこそ、そこを利用できるのではないか、と一星は思うのだ。


 白河先輩は、きっと、面で一本を取りたいはずだ。風太は、白河先輩の面打ちに憧れて、今の差し面を得意技にして使ってるからな……。


 白河はここで、風太にかっこいいところを見せたいはずだし、風太に伝授した技で、一星に一本を取るのが理想的な形だろう。しかし、まさにそこを狙う一星は、虎視こし眈々たんたんと機会をうかがっていた。白河が面を打ちたくなるように、うまく距離を計り、剣先をやや低くしていきながら、体勢をしっかりと安定させる。


 剣道の試合では、相手の喉元のどもとに竹刀の剣先を向けて攻め合う形がおもだが、この剣先が低くなると、どんなに激しい攻め合いをしていても、さほど脅威きょういを感じなくなる。こうすれば、白河は攻めやすくなるし、また、面に飛び込みやすくなるはずだ。


 去年までの俺なら、負けるってわかってても、バカ正直に勝負してた。白河先輩の面を超えたくて、もっとがむしゃらになってた。でも、今の俺は、あの頃とは違う。変わったんだ。


 白河のように、するどく威力のある面打ちを武器として持つことには、誰もが憧れるだろう。悔しさを覚えながらも、一星だって彼を羨望せんぼうしていたし、風太もたぶん、同じだった。


 風太は、いつも白河の真似をするように技を練習していたが、一星は主将になってから、感じたことがある。真似をするばかりでは、白河を超えられない、ということだ。――とはいえ、最初の入り口は真似ごとでもいいのかもしれない。ただ、完全な真似を続けるのではなく、その中で自分の武器や強みを発見し、真似ごとの中にうまく混ぜ込みながら、技を磨かなければいけない。そうしなければ、強者に通用する技にはならない、ということに気付いたのだ。


 白河先輩みたいに、風太に好かれたいと思って、あの人の真似したところで、俺はああはなれない。剣道も同じなんだ。きっと……。


 そこが、一星の脳内でリンクしたのは、ごく最近の話だ。風太が必死に白河の面打ちを真似して、やっとまともな得意技に仕上げたのを見て、一星はそう思った。風太の面打ちは、白河の面打ちを真似したにも関わらず、まったく違う技のように、一星には感じられたからだ。


 打突の強さは白河よりはやや劣るものの、スピードは圧倒的に速く、タイミングが計りにくい。それは、風太が真似ではじめた技が、ちゃんと自分のものになっているということの証だった。一星はそれを見て、自分もそうあるべきだと感じたのだ。


 風太と同じだ。俺には、俺の技と、戦い方がある。まだつかんだばかりだけど、試してみよう……。


 人には必ず、それぞれの武器がある。風太はそれを一星に教えてくれた。一星は、やや低くした剣先をそのままにして、ダンッと床を踏み鳴らし、半歩近づいていく。すると、ほんの一瞬。白河の剣先が静止したように見えた。次の瞬間、彼は飛び込んでくる。同時に、一星はその場で踏み込み、面を打った。


  ……飛んでくる相手に反応して、同じように飛んでいったところで、絶対に間に合わない。でも、だったら飛ばなければいいんだ。その場で足を踏み込んで打てば、飛ばない分、速く剣先が届くはず――。


「面りゃああああッ!」

「メンだぁあああッ!」


 バグンッ! というにぶい音とともに、強烈な衝撃が脳天に乗る。だが、一星は自分の手にも、同じ衝撃が伝わってくるのを感じていた。打った感触は、たしかにあった。


 今のは、俺の面だ……!


 一星は必死で技を決める声を張り上げ、審判にアピールをする。だが、審判を任された後輩は、技が見えなかったのだろう。おろおろとして、旗を上げようとしなかった。おそらく、どちらかが面を打ったことは状況から理解していても、どちらが打ったかまでは見えなかったのだ。


 クソ、だめか……。


 残念だが、誤審はよくあることだし、練習試合なら、なおさらだった。しかし、一星があきらめかけた時。不意に烏丸が立ち上がり、あごをしゃくった。


「今のは、一星の面だ」


***




 試合稽古の初戦、一星は白河を相手に見事に一本を取ったまま、制限時間まで守りきり、一本勝ちを果たした。だが、チームとしては引き分け。そのあとの試合も、なかなか一本を取らせてもらえず、最後の試合では、一本を取られて負けてしまい、結局のところ、一星は、風太にいいところを見せられないまま、一日目の稽古を終えたのだ。


 全然、敵わなかった……。


 白河に勝てないということが、こんなにも悔しい。たった一度の一本勝ちも、チーム全体の勝利には結びつけられなかったし、引き分けた試合であっても、かなりの苦戦をいられた。そしてなによりも、稽古以外の時間までも、風太があいかわらず、白河にべったりだということに、一星は、猛烈な悔しさをいだいてもいた。


「ハンバーグうめーッ!」

「ほんとに? よかった。それ、オレのレシピなんだ」

「うっそ、すげえ! 白河先輩、ほんとなにやっても天才級っすよねー!」


 今、一星は合宿所の食堂で、白河と風太の会話を真横で聞きながら、静かに食事をとっている。まったく、たかがハンバーグくらいで大騒ぎして、風太は大げさだ。一星なら、これの何倍もうまいハンバーグを作ってやれる。一星は内心、苛立いらだちながら、ハンバーグの端をつまんで口に運んだが、途端にそのうまさに目を泳がせた。


 ほんとだ、うまい……。


 こんがり焼けたハンバーグは、端っこをつまんだだけでも、肉汁が溢れるジューシーさだ。それでいて、噛めばしっかりとした肉の弾力があり、うまみを感じ取れる。文句のつけようのない、食べ応えのあるハンバーグだった。一星はそれをもうひと口ほど、はしでつまむと、白飯に乗せて、一緒に口の中に運ぶ。すると、これが最高にうまかった。


 うまい……。こんなの、どうやって作るんだ……。


「いやぁ、一星、強くなったよなぁ。しょぱなの面、びっくりしたよ」


 風太にハンバーグをめちぎられたせいで、最高にゴキゲンな白河が、一星に声をかける。一星はハンバーグと白飯を頬張ほおばったまま、ぺこ、と頭を下げたあと、それをごくん、と飲み込む。そうして、悔しさを噛みつぶすような心地で答えた。


「でも……、勝ってませんから」

「え?」

「あの試合は、団体ならあのあと、代表選になってたはずです。それに今日、先輩と五回も六回も戦って、俺はあの一回しか勝てませんでした」

「そういうとこ、一星はあいかわらずマジメくんだよなー」

「ほんと、ほんと」


 背後の席にいるOBがふたり、そう言って、笑った。一星は食事に戻り、皿の上の料理を黙々もくもくとたいらげる。わかっているのだ。白河は強い。彼はほかのOBと比べても、その実力に圧倒的な差があった。だが、どうしても一星は、彼に勝ちたいのだ。


 風太の前で、憧れの白河よりも、自分のほうが強いのだと、証明したい。彼にカッコいいところを見せたい。しかし、たった一回だけ勝ったくらいでは、それが実力だと証明するには、あまりに弱すぎる。


「先輩、あいかわらず強かったっすもんね!」

「オレだってそうカンタンに、君らに負けるわけにはいかないからね。大学に剣道部はなかったけど、その代わり、ちゃーんと道場にはかよってるし」

「さすが! おれも先輩みたいに、高校卒業しても、剣道はちゃんと続けよっと」

「じゃあ、部活引退したら、オレの行ってる道場に来ればいいよ。高校生までは無料だから、もしちょっとかよってみてさ、合わなきゃやめればいい」

「あざっす!」


 風太は、白河とそんな会話をしながら、二杯目の白飯を、ごはん茶碗に山盛りよそっている。一星はそれを横目に、ため息をらした。あいかわらず、仲のいいふたりを前に、腹の底で猛烈な悔しさが込みあがってきて、苛立いらだちも増していく。だが、不意に。風太が、思い出したように言った。


「あ、そうだ。一星さ、最初の試合の相面……、あれ、よかったな」

「え……」

「なんか、すげえ興奮したっつーか……? ああいうのさ……、もっと試合でも出せばいいんじゃねーの」


 風太が急にぶっきらぼうにそう言ったあと、白飯をかっ込む。一星は隣に座る彼を、呆然ぼうぜんと見つめた。言い方はともかく、今のはたぶん、彼なりのフォローなのだろう。その証拠に、彼の耳はみるみるうちに赤く染まっていく。それを見て、途端に一星の体も、伝染するようにかあっと火照ほてった。そうして、彼の言葉を反芻はんすうする。


 ――一星さ、最初の試合の相面……、あれ、よかったな。なんか、すげえ興奮した。


 俺が、風太を興奮させた……? やばい……、めちゃくちゃ嬉しい……。

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