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7-3

 翌日の朝。一星は二泊分の荷物を持ち、風太とともに太郎の車に乗り込む。たった二泊ではあるものの、荷物は多いので、太郎が送ってくれることになったのだ。


「毎年のことだけど、ゴールデンウイークも合宿なんて大変だなぁ。ケガのないように、しっかりがんばっておいで、ふたりとも」

「はい!」

「はい……」


 風太と一緒に返事をすると、バックミラー越しの太郎の目が満足げに細くなった。一星は小さく息をく。正直な話、合宿なんて二、三日だろうが一週間だろうが慣れっこだ。しかし、今回の合宿で、一星には重要なミッションがある。今日、合宿を手伝いにやってくるOB、白河虎太郎から、風太を守らなければいけない。彼はきっと、なにか企んでいるはずだ。


「風太、先輩たち、何時ごろ来るって?」

「たしか――……午後からって言ってたかな」

「そうか」


 それを聞いて、一星は内心、ホッとした。二泊三日の合宿中、風太を白河から守るために、終始、気を張っていなければならないのは、さすがに面倒だ。彼らのいない時間が、あればあるほどありがたい。少なくとも、今日の午前中は通常通りの平和な稽古ができるということだろう。


「いやー、先輩たちに会うの、楽しみだなー」


 隣で、風太が声をはずませる。彼はもちろん、自分が肉食獣に狙われているということに、まったく気付いていない。


「お前はどうせ、夕飯作ってもらいたいだけだろ」

「な……ッ、んなことねーわ!」


 ふたりのやり取りを聞きながら、太郎が運転席でくくっと笑った。一星はまた、小さくため息をく。せめて、風太にもう少し自覚があれば、一星はこんなにやきもきしなくていいのだが、それも難しいだろう。なにしろ、相手はあの白河で、風太にとっては同性なのだから。敬遠するほうがおかしい。


「今晩の夕飯、なんだろうなぁ」

「さあな……」

「焼肉とか食いてえ……」


 まったくあきれてしまう。当の本人がこの調子では、ちょっとおいしそうな食べ物やお菓子に釣られれば、たとえ相手が誰でも、彼はのこのこついて行ってしまいそうだ。


「初日から焼肉なんて……、あるわけないだろ」

「えー……」


 風太のふてくされた声を聞いた途端、太郎がまた笑う。


「ようし。それじゃあ、合宿が終わったら、うちの庭でバーベキューでもしようか!」

「ほんとっすか! やったぁ!」

「雅さんと計画しておくよ。風太くんは、本当にお肉が好きなんだねぇ」

「はい、超好きっす!」


 あきれかえっていたところで、「超好き」――という風太の言葉に、思わず一星の心臓が反応する。ただ、会話の中で聞こえてきただけの、自分に向けられたわけでもない言葉なのに、こんなにも、ドキドキさせられるなんて、体はどうしてこうも単純で、正直なのだろう。一星は高鳴る心臓を押さえるように、胸元をぎゅっと握った。


***




 それにしても、最近、どんどん悪化してる気がする。やっぱ、一緒に住みはじめたせいなんだろうな……。


 学校に到着した一星は、風太とともに部室へ入り、荷物をひとまずすみへ置くと、着替えを始める。胴着とはかまに着替えるとき、一星は自分自身に科した鉄則がある。それは、なるべく風太の裸を見ないように、窓の外を見て、着替えるということだ。


 そうでもしていなければ、一星はふしだらな妄想を止められなくなる。それでなくても、最近は風太にふとした瞬間、まるで不意打ちのようにドキドキさせられてばかりいるのに、生着替えライブはちょっと刺激が強すぎる。


「一星、今日の練習メニュー、もう聞いてるか?」

「あぁ、うん……。一応な。でも、先輩たちがそろって参加するなら、たぶん、午後は試合稽古が増えそうな気がするけど」

「試合か! ……っしゃあ!」

「おっすー、おはざーっす!」


 声をはずませる風太の声を背中で受けながら、ちょうど着替えを済ませた時。慣れ親しんだ声がして、部室が開く。太一や、後輩たちがやって来たのだ。


「おっ、今日もケンカップルはおそろいですねぇ」


 太一はそう言って、朝一番で一星と風太をからかった。


「ケ……ッ、ケンカップルじゃねーし!」


 風太は顔を赤らめて怒り出し、太一がけらけら笑う。いつも通りの風景に、お決まりの冗談。けれど、その冗談を言われるのは、風太に想いを寄せる一星としてはまんざらでもない。からかわれれば、それだけ、自然と頬がゆるんでしまいそうになる。


 一星はそれを誤魔化すようにして、急ぎ、竹刀と手ぬぐいを持ち、部室を出る。念のため、得意のポーカーフェイスに、冷静さを装ったセリフを、それらしくえてやった。


「ケンカップルでもバカップルでもいいから、早く支度しろよ。ふたりとも」

「いいわけねーだろうが! なーんでお前とおれがカップルになんなきゃなんねーんだよ……!」

「わーかったから、風太。早く行くぞ」


 ケンカップル、とからかわれて、本当は有頂天で踊り出したいような心地になるが、ぐっとこらえる。そんな姿を見せたら、冗談を言った太一だって、さすがに気味悪く思うに違いない。一星がかすと、風太はぶつくさと文句を言いながら支度をして、部室から出てきた。


「ったく、太一のヤツよー……。ライバルならともかく、ケンカップルってあり得ねえだろ……」

「あんなの、ただの冗談だろ」

「冗談だってあり得ねえっつう話をしてんのー、おれは!」

「はいはい」


 風太にそう言われてしまうのは、わかっていても少し寂しくなるが、ここはひとまず、さらりと流しておく。ところが、剣道場の方へ歩き出そうとした時だ。誰かが一星の行く手をはばむように立ちふさがった。


「――誰と誰が、ケンカップルだって?」

「な……」

「よっ、剣道部諸君!」

「白河先輩! おはざっす!」

「は――……?」


 この人……。なんでもう来てるんだよ……。


 目の前に立っていたのは、白河だった。一星はまゆをしかめ、彼をにらみつける。おかしい。聞いていた話とはずいぶん違っている。風太の話では、今日、OBは昼から、稽古に参加する予定だったはずだ。


「ちょっと、早すぎじゃないですか……? 予定では、午後からって――」

「いやー、ほんとはみんなと一緒に昼から来ようかなと思ってたんだけどねぇ、ちょっと時間が空いたから。早めに来て、ドリンク作りとか、合宿所の準備とか、手伝おうかなーと思ってさ」

「そうだったんですか……」

「もしかして、迷惑だった?」

「いえ……。助かります……」


 一星にとってはものすごく迷惑な話だが、風太がいる手前、そう言うしかない。風太にとって、彼は憧れの存在なのだから。


「さっすがは白河先輩っすね! おれ、早く先輩たちの作ってくれるメシ、食いたいっす!」

「お前はほんっとに、かわいいんだからなぁ」

「へへ……」


 風太の頭を、白河がぽんぽん、とでる。その光景を前に、ぐわあっと腹の底から怒りがこみ上げる。一星に髪をいじられるとき、風太はいつも決まって怒り出すのに、今、白河には笑みを向けている。


 やけに嬉しそうな笑顔がまったくしゃくさわるが、仕方ない。風太は一星にとって、ひとつ屋根の下に住んでいる家族ではあっても、ライバルであることに変わりなく、一方で、白河は風太が中学の頃からしたう、特に仲のいい先輩だ。


 クソムカつくけど、落ち着け……。合宿の初日から、ヤキモチを焼いてる場合じゃない……。


 一星はひとまず、鼻を鳴らすようにため息をき、その場から立ち去った。


「一星、三日間よろしくねー」


 不意に、白河の声が、剣道場へ向かって歩き出した一星の背中に投げられる。一星が振り返って頭を下げると、彼はひらりと手を振り、部室に入って行った。

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