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7 真のライバル~源一星~

 四時限目の選択授業が終わると、一星は一目散に教室へ戻り、素早く弁当の用意をした。この時間にロスがあってはならない。もたもたしていると、余計な邪魔が入る。クラスメイトの女子たちは、毎日のように昼食を誘ってくれるのだが、すぐに机を取り囲もうとするので、身動きが取れなくなってしまうのだ。一星は、彼女たちが陣営を張る前に、素早く教室を出る必要があった。


「源くん、今日もどっか行くのー?」

「うん。悪いんだけど、どいてくれる?」

「えーッ」


 いち早くやって来た女子をさらりとかわして、廊下へ出て、階段を二段飛ばしで駆け下りる。これが最近では毎日なのだが、風太とのランチタイムのためなら、こんな障壁はどうということはない。


 一星は中庭へ出ると、すみのほうへ向かった。そうして、まだ空いているベンチを見つけると、そこへ駆けていって、素早く座る。これで、無事に場所取りのミッションはクリアだ。


 よし、ベンチ取れた……! はやく来ないかなぁ……、風太……。


 正直な話、学校で、ふたりきりのランチタイムは初めてなもので、そこを意識すると、少しそわそわしてしまう。――そう思ったところで、一星は慌ててかぶりを振った。ふたりきりなんて、今さらではないか。なにしろ、一星と風太は、ひとつ屋根の下に住んで、もうすぐひと月になるのだから。


 変に意識することもないだろ。平常心だ、平常心……。


 それから、ほどなくして風太がやって来た。風太はメロンオーレのパックを持ち、ベンチまで駆けて来ると、そこへドカッと座る。


「なんだ、待ってたのかよ。先に食ってりゃよかったのに」

「あぁ……、いや、今日はサシだし、一応な……」


 そう答えると、風太はへらりと笑う。


「なんだそりゃ。おれにそんな気ぃつかってどうすんだっつうの」


 風太はそう返し、キラキラした瞳で弁当を開ける。そうして「おっ、うンまそーだな! いただきます!」と言って、胸の前でぱちん、と手を合わせた。


 それを見届けて、一星は頬をゆるめる。誰かにもらったお菓子でも、ジュースでも、風太はなにか口に入れる前に、必ずそうする。当然、一星も「いただきます」くらいは習慣にしているが、彼のぱちん、と胸の前で手を合わせる習慣が、一星は好きだった。ちなみに、彼のそれは、腕の角度からタイミングまで、雅とまったく同じだった。


「おっ、ソーセージうめえー!」

「それ、朝の残りだぞ」

「でも、うめえじゃん。おれさぁ、ソーセージって好きなんだよなー。この、なんつーか、肉のぷりって感じがさ――……」

「……ぶっ、げほっ」


 ソーセージが好きだ、と言われた瞬間。思わずむせて、き込んだ。風太の言葉に反応して、ひどくいかがわしい妄想世界にリンクしそうになったのだ。


「なーにやってんだよ、大丈夫かよ。じいさんみてえなせきして……」

「あぁ……、悪い。大丈夫だ」


 わかっている。彼はべつに下ネタをぶっ込んできたのではないし、本当に単純に、純粋にソーセージが好きなのだ。だが、風太に対して、密かに下心がある一星にとっては、思いがけず、未知の領域にリンクしかけるワードだった。


 なにを考えてるんだ、俺は……。ほんっとに、汚らわしいな……。最低だ……。


 ドキドキのランチタイムが始まって、一星はやや浮ついた気持ちで軽やかにはしを進める。ところが、ふと、風太が思い出したように言ったセリフには、ピタリとその手が止まった。


「そういやー、明日からの合宿、白河先輩が稽古に来てくれるってさ」

「え……?」


 白河先輩――。そう聞こえたが、気のせいだったかもしれない、と一星は振り向く。そうして、聞き間違いであってほしい、という願望を込めてき返した。


「今、白河先輩って言ったか?」

「うん。さっき、メッセ来てさ。ほかの先輩たちも誘って、みんなでメシの手伝いとか、洗濯とかしてくれるって。やっぱ、あの人、すっげー優しいよなぁ」


 そう言って、嬉しそうに笑みを浮かべ、おいしそうに卵焼きを頬張ほおばった風太の横顔を見つめながら、一星は奥歯をギリ、と噛みめる。やや浮ついていた気持ちも、突っ走った妄想も、根拠なくみなぎっていた自信も、途端にかげっていく。一星はたまらずに顔を引きつらせた。


「なんで……?」

「あ? なんでって……、なにが、なんで?」

「いや……、去年まで、ゴールデンウイークの合宿に、OBの先輩なんか来なかったよな……」

「あー……、たしかにな。でもさ、去年の先輩たちって、なんか、みんな優しかったじゃん。すげー面倒見てくれたし。だから、じゃね?」


 それは、お前が特別に気に入られてたからなんだよ……!


 そう返したいところだが、風太にそれを伝えるのはよくない。わざわざ、ライバルたちの気持ちを伝えてしまうのは危険だ。風太が彼らを、変に意識したり、あるいは好意を向けられているとわかって、余計になついてしまう可能性だってある。


 ただし、去年の三年生――つまり、白河の代のOBが、全員、風太に気があるわけではないはずだし、一星が明確にライバルだと感じるのは、白河だけだ。それでも、彼らが風太を可愛がっていることには変わりなく、彼にベタベタするのは目に見えている。どうしてなのか、わからないが、風太は年上の先輩にやけに気に入られる傾向があるのだ。


 クソ、迂闊うかつだった……! 夏合宿ならまだしも、ゴールデンウイークの合宿を手伝いに来るなんて、絶対、あの人……、なんか企んでるに決まってる。


 白河と風太のじゃれ合いは、日常茶飯事で、一星はいつも、そんなふたりをかげねたましく思ってきた。もちろん、風太はほぼ全員に気に入られていたので、じゃれ合うのは白河に限ったことではなかったが、圧倒的に、白河はほかの誰よりも、風太に対しては距離が近くなる。しかも、あれはたぶん、わざとなのだ。


 後ろから抱きついたり、頬に触れたり、白河が風太にするスキンシップは、そういうじゃれ合いのレベルではない。合宿のとき、朝、彼のベッドに潜り込んで起こしたり、ジャージの下から冷えた手を入れて、彼の体をじかに触り、驚かすこともあった。風太はいつだってけらけら笑うだけだが、一星はいつも、そういう彼らを見るたび、嫉妬しっとで狂いそうになり、だが、どうすることもできなくて、風太に当たることしかできなかった。


 また、あれを見せられるのか。いやだな……。


 間違いなく、白河は風太に気がある。ただし、それはずっと、あくまでも一星の勝手な疑念で、事実というわけではなかった。だが、去年の夏のことだ。


『ねぇ……、一星はさ、ぶっちゃけた話、どっちなの? もしかして、オレのライバルだったりする?』


 夏合宿の夜。偶然、ふたりきりになったタイミングで、一星は白河は不意に、そうたずねられた。なんの脈絡もなく、突然だったが、唐突にかれたとはいえ、彼のその言葉の意味がわからないほど、一星だってバカではない。一星はすぐにき返した。


『だとしたら、なんだって言うんですか』


 すると、白河はにっこりと笑みを浮かべ、『べつに。はっきりさせておきたかっただけだよ』と答えた。会話はそれで終わったのだが、あの瞬間、一星と白河は、互いにライバルであるということを、しっかりと認識したのだ。


 ただし、白河はその後、引退してから、部室にはほとんど顔を出さなかったし、一度、街中で見かけたときには、彼女らしい人と歩いていたので、もうすっかり諦めてくれたのだと思い込んでいた。だが、おそらくは違ったのだろう。


「白河先輩、合宿んとき泊まってくって?」


 気になるのは、そこだ。だいたいの予想はつくが、一応、く。すると、風太は頷いた。


「あぁ。ほかの先輩は、みんな帰るみたいだけど」

「だったら、白河先輩も一緒に帰ればいいのにな。どうせ、次の日も来るんだろ、あの人」

「うん。たぶん、朝メシ作ってくれようとしてんだよ」

「へー……」


 なるほどな……。風太の胃袋をつかもうって魂胆か……。


「朝メシなんか、俺が一瞬で作るのに」

「お前は稽古のあとだし、夜、準備するのも大変だろ」

「べつに。いつもよりちょっと作る量が増えるだけの話だ。問題ない」

「ほんっと……、お前ってかわいくねーよなぁ。いいじゃんよ、やってくれるって言うんだからさぁ。ありがたくお願いしようぜ。おれらは稽古だ、稽古」


 風太はそう言って、一番、最後まで取っておいた卵焼きを頬張ほおばる。その満足そうな横顔に、一星の胸の奥は、きゅうっとちぢんだように苦しくなった。彼が最後まで大事に取っておくのは、それが一番の好物だという証拠だ。


「はぁー、食った、食ったぁ! ごっそさん!」


 風太……。俺はお前に、ずっとうまい卵焼きを作ってやりたいんだ。ソーセージもいい感じに焼いてやりたい。から揚げは、今は冷凍だけど、いつか雅さんみたいに、うまいから揚げを作ってやりたい……。好きなものはなんでも作れるようになるから。だから、あの人のところになんか、行くなよ……。

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