四時限目の選択授業が終わると、一星は一目散に教室へ戻り、素早く弁当の用意をした。この時間にロスがあってはならない。もたもたしていると、余計な邪魔が入る。クラスメイトの女子たちは、毎日のように昼食を誘ってくれるのだが、すぐに机を取り囲もうとするので、身動きが取れなくなってしまうのだ。一星は、彼女たちが陣営を張る前に、素早く教室を出る必要があった。
「源くん、今日もどっか行くのー?」
「うん。悪いんだけど、どいてくれる?」
「えーッ」
いち早くやって来た女子をさらりとかわして、廊下へ出て、階段を二段飛ばしで駆け下りる。これが最近では毎日なのだが、風太とのランチタイムのためなら、こんな障壁はどうということはない。
一星は中庭へ出ると、
よし、ベンチ取れた……! はやく来ないかなぁ……、風太……。
正直な話、学校で、ふたりきりのランチタイムは初めてなもので、そこを意識すると、少しそわそわしてしまう。――そう思ったところで、一星は慌ててかぶりを振った。ふたりきりなんて、今さらではないか。なにしろ、一星と風太は、ひとつ屋根の下に住んで、もうすぐひと月になるのだから。
変に意識することもないだろ。平常心だ、平常心……。
それから、ほどなくして風太がやって来た。風太はメロンオーレのパックを持ち、ベンチまで駆けて来ると、そこへドカッと座る。
「なんだ、待ってたのかよ。先に食ってりゃよかったのに」
「あぁ……、いや、今日はサシだし、一応な……」
そう答えると、風太はへらりと笑う。
「なんだそりゃ。おれにそんな気ぃ
風太はそう返し、キラキラした瞳で弁当を開ける。そうして「おっ、うンまそーだな! いただきます!」と言って、胸の前でぱちん、と手を合わせた。
それを見届けて、一星は頬を
「おっ、ソーセージうめえー!」
「それ、朝の残りだぞ」
「でも、うめえじゃん。おれさぁ、ソーセージって好きなんだよなー。この、なんつーか、肉のぷりって感じがさ――……」
「……ぶっ、げほっ」
ソーセージが好きだ、と言われた瞬間。思わずむせて、
「なーにやってんだよ、大丈夫かよ。じいさんみてえな
「あぁ……、悪い。大丈夫だ」
わかっている。彼はべつに下ネタをぶっ込んできたのではないし、本当に単純に、純粋にソーセージが好きなのだ。だが、風太に対して、密かに下心がある一星にとっては、思いがけず、未知の領域にリンクしかけるワードだった。
なにを考えてるんだ、俺は……。ほんっとに、汚らわしいな……。最低だ……。
ドキドキのランチタイムが始まって、一星はやや浮ついた気持ちで軽やかに
「そういやー、明日からの合宿、白河先輩が稽古に来てくれるってさ」
「え……?」
白河先輩――。そう聞こえたが、気のせいだったかもしれない、と一星は振り向く。そうして、聞き間違いであってほしい、という願望を込めて
「今、白河先輩って言ったか?」
「うん。さっき、メッセ来てさ。ほかの先輩たちも誘って、みんなでメシの手伝いとか、洗濯とかしてくれるって。やっぱ、あの人、すっげー優しいよなぁ」
そう言って、嬉しそうに笑みを浮かべ、おいしそうに卵焼きを
「なんで……?」
「あ? なんでって……、なにが、なんで?」
「いや……、去年まで、ゴールデンウイークの合宿に、OBの先輩なんか来なかったよな……」
「あー……、たしかにな。でもさ、去年の先輩たちって、なんか、みんな優しかったじゃん。すげー面倒見てくれたし。だから、じゃね?」
それは、お前が特別に気に入られてたからなんだよ……!
そう返したいところだが、風太にそれを伝えるのはよくない。わざわざ、ライバルたちの気持ちを伝えてしまうのは危険だ。風太が彼らを、変に意識したり、あるいは好意を向けられているとわかって、余計に
ただし、去年の三年生――つまり、白河の代のOBが、全員、風太に気があるわけではないはずだし、一星が明確にライバルだと感じるのは、白河だけだ。それでも、彼らが風太を可愛がっていることには変わりなく、彼にベタベタするのは目に見えている。どうしてなのか、わからないが、風太は年上の先輩にやけに気に入られる傾向があるのだ。
クソ、
白河と風太のじゃれ合いは、日常茶飯事で、一星はいつも、そんなふたりを
後ろから抱きついたり、頬に触れたり、白河が風太にするスキンシップは、そういうじゃれ合いのレベルではない。合宿のとき、朝、彼のベッドに潜り込んで起こしたり、ジャージの下から冷えた手を入れて、彼の体をじかに触り、驚かすこともあった。風太はいつだってけらけら笑うだけだが、一星はいつも、そういう彼らを見るたび、
また、あれを見せられるのか。いやだな……。
間違いなく、白河は風太に気がある。ただし、それはずっと、あくまでも一星の勝手な疑念で、事実というわけではなかった。だが、去年の夏のことだ。
『ねぇ……、一星はさ、ぶっちゃけた話、どっちなの? もしかして、オレのライバルだったりする?』
夏合宿の夜。偶然、ふたりきりになったタイミングで、一星は白河は不意に、そう
『だとしたら、なんだって言うんですか』
すると、白河はにっこりと笑みを浮かべ、『べつに。はっきりさせておきたかっただけだよ』と答えた。会話はそれで終わったのだが、あの瞬間、一星と白河は、互いにライバルであるということを、しっかりと認識したのだ。
ただし、白河はその後、引退してから、部室にはほとんど顔を出さなかったし、一度、街中で見かけたときには、彼女らしい人と歩いていたので、もうすっかり諦めてくれたのだと思い込んでいた。だが、おそらくは違ったのだろう。
「白河先輩、合宿んとき泊まってくって?」
気になるのは、そこだ。だいたいの予想はつくが、一応、
「あぁ。ほかの先輩は、みんな帰るみたいだけど」
「だったら、白河先輩も一緒に帰ればいいのにな。どうせ、次の日も来るんだろ、あの人」
「うん。たぶん、朝メシ作ってくれようとしてんだよ」
「へー……」
なるほどな……。風太の胃袋を
「朝メシなんか、俺が一瞬で作るのに」
「お前は稽古のあとだし、夜、準備するのも大変だろ」
「べつに。いつもよりちょっと作る量が増えるだけの話だ。問題ない」
「ほんっと……、お前ってかわいくねーよなぁ。いいじゃんよ、やってくれるって言うんだからさぁ。ありがたくお願いしようぜ。おれらは稽古だ、稽古」
風太はそう言って、一番、最後まで取っておいた卵焼きを
「はぁー、食った、食ったぁ! ごっそさん!」
風太……。俺はお前に、ずっとうまい卵焼きを作ってやりたいんだ。ソーセージもいい感じに焼いてやりたい。から揚げは、今は冷凍だけど、いつか雅さんみたいに、うまいから揚げを作ってやりたい……。好きなものはなんでも作れるようになるから。だから、あの人のところになんか、行くなよ……。