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6-3

 思えば、風太が最初にできた友だちだったのだ。一星は、一時限目の授業を受けながら、昔のことを思い返し、頬をゆるめる。


 公園でよく会うようになってから、一星の世界は一変した。毎日、風太に会うのが楽しみで、学校は終わると、ほぼ毎日、風太がいる公園に遊びに行っていた。


 それまで、後ろ向きだった性格は、風太と一緒にいるうちに前向きに変わり、太郎や猛のことも、家族として信頼するようになった。自然と笑うことも増えたし、いつも元気いっぱいに笑わせてくれる風太が、一星は大好きだった。だが、楽しい日々は、長くは続かなかった。


 ある日を境に、どういうわけか、風太は公園に来なくなってしまったのだ。一星と風太は同じ小学校にかよっているわけではなかったので、あくまで公園での約束だけで繋がっていた関係だった。互いに名前は知っていたが、詳しい住所までは知らず、わかるのは「ふーた」という名前だけ。しかし、それだけでは、探しようもない。間もなく、一星自身も引っ越しを数回くり返したため、結局、一星が風太と再会したのは、高校生になってからのこと。新一年生として、西御門高校の稽古に参加した、初日のことだった。



 そうして、一星が西御門高校、剣道部の稽古に参加した初日。あの日は、一星にとって運命の日となった。風太のことなど忘れかけ、高校への入学を控えていた春。一星は、風太に再会したのだ。


 遠い過去に仕舞い込んでしまった記憶だとしても、その顔を見れば、目が覚めたようにすべてを思い出してしまった。風太と過ごした特別な時間。夕暮れの公園。くせ毛の頭と、三白眼さんぱくがん。そして、「ふーた」という名前。


『はじめまして、だよな。平野風太だ。これから、よろしく』


 そう言って、風太は手を差し伸べてくれた。ところが、一星はあまりに動揺して、言葉を返せなかった。それどころか、突然の再会に驚き、混乱し、彼の手を取らず、無視をしてその場を去ってしまったのだ。それは、突然の再会と、彼の成長に動揺したのが理由だった。


 離れていた時間は、その実、丸十年。見違えるほどの成長は当然だ。しかし、一星の脳内で、風太の記憶は子どもの頃のままだった。口は悪く、少々やんちゃではあるものの、優しさに満ちた少年は、再会によって、一星の脳内で、一瞬で美形な青年へと塗り替えられた。


 切れ長で、三白眼さんぱくがんの瞳は変わっていないが、その視線にはやけに色気があるし、クセのある髪も洒落しゃれた感じに整えられていた。体つきも、差し出された手の平も、ずいぶんと大きく、たくましくなっていたのに、骨ばった手首は細く、指もすらりとしていて、きれいだった。その姿を前に、一星は驚き、同時に彼の美しさに見惚れたのだ。それが、初恋のはじまりだった。


 あのとき、俺は本当に時間が止まったみたいになったんだ……。


 一星は風太を見つめたまま、「おい、どうした」と、怪訝けげんそうに声をかけられるまで、ぼうっと立ち尽くしてしまった。ようやく我に返っても、動揺のあまりに言葉を返せず、あろうことか顔をそむけてしまったことで、風太を無視した形になってしまったわけだ。


 それ以来、風太には「いけ好かないヤロウだ」と、毛嫌いされながら、なにかにつけて突っかかられるようになったわけだが、一星としてはそれでよかったと思っている。そうでなければ、一星は今日まで、平常心ではいられなかっただろう。再会したときから、一星は風太に心を囚われてしまっているからだ。


 ――とはいえ、一星は自分がゲイだと認識したわけでもない。これまで、女性はちょっとだけ苦手で、恋愛の経験こそなかったが、特段、同性が好きだというわけでもない。どちらが好きかと問われても、正直な話、どっちも可能性としてはあり得るような気もする。ただし、風太だけは特別だった。


 べつに、男が好きなんて、これっぽっちも思ったことなかった……。だけど、風太のことは、全力で抱きたい……!


 これが、一星の本音である。もしかしたら、一星の狭すぎるストライクゾーンは、風太だけが当てはまるようにできているのかもしれない。そう思い込んでしまえるほど、一星は風太にれている。ただし、同性で、チームメイトである彼への恋は、前途多難だ。この気持ちを悟られないように、常に冷静に振舞ふるまうのには本当に苦労する。


 着替えのときには、いまだに心臓がドキドキするし、あの猫のような目に見つめられると、胸の奥がきゅうっと狭くなったように苦しくなる。できるだけ、風太のそばにいたいのに、緊張のあまりに用事がないと気軽に声もかけられない。それなのに、彼と親しそうにしている人を見ると、しっかり嫉妬しっとしてしまうのが、まったくわずらわしかった。


 だから、彼と一定の距離があることに、一星は寂しさを感じながら、安堵あんどもしていた。犬猿の仲と呼ばれても、明らかに敵視をされるようなするどい視線を向けられても、仏頂面ぶっちょうづらでケンカ腰に声をかけられても、一星は嬉しかった。


 どんな形でも、風太のそばにいるだけで、言葉を交わすだけで、胸がおどる。決して素直にはなれないからこそ、想いを告げられないからこそ、犬猿の仲として、ライバルとして、彼にとって特別な存在でいられることが嬉しかった。彼と競い合い、いがみ合う関係でも、特別感にひたれることで、その関係や、毎日のくだらないケンカを楽しんでいた。だが、状況はこの春、一変したのだ。


 クラス替えで同じクラスになったかと思ったら、父に風太の母との交際、再婚を打ち明けられ、トントン拍子で始まった、平野親子との同居生活。予想もしていなかった、この展開には、さすがに一星も言葉を失ったが、そもそも、太郎の幸せを思えば、否定も反対もできなかったし、雅は本当に優しい女性だったから、反対する理由も見つからなかった。ただし、危ぶんだのは、理性を保てるか、どうかだ。


 これまで、一定の距離があったからこそ、風太に対して冷静でいられたものを、もし、風太との仲が同居によって近づき、深まってしまったら、一星は常に本能と戦うことになる。風太をもっと近くで見たいとか、その手に触れてみたいとか、思いきり抱きしめたいとか――。


 妄想をふくらませれば、キリがなかった。まだ、恋の経験もなく、愛し方もろくに知らないのに、どうしてか、そういう男としての欲望を満たしたくなる。それを隠すのも、こらえるのも、きっと容易ではない。


 だが、同時に一星は、この機をチャンスだとも思った。風太とひとつ屋根の下で暮らせば、必ず彼との距離は近づく。ひょっとしたら、風太の親友、太一よりも近しい存在に、一星はなれるかもしれない。そんな淡い期待もいだいていた。


 どうせ、このままの関係じゃ、なにも変わらない。俺は卒業してもずっと、風太にとって、ムカつくライバルで、目の上のたんこぶにしかなれない。でも、本当は風太アイツに、誰よりも信頼されたい……。ライバルなら、背中を預けられるような、相棒になりたいんだ。


 嫌われてしまうよりは、たぶん、そのほうがずっと幸せだ。一星は密かにそんなことを思いながら、平野親子と同居をはじめていた。風太には、そのうち、昔のことも思い出してほしいし、彼とゆっくり、思い出話もしてみたい。そんなことも考えているが、近頃はのんびりしてもいられない状況になり、やきもきさせられている。一星の真のライバルが現れたからだ。――いや、正しくいえば、真のライバルが戻ってきた、ともいえる。


 白河先輩……。風太のこと、本気で狙ってんのかな……。っていうか、あの人、そもそも彼女がいたんじゃなかったのかよ……。

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