目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

5-5

 白河は、風太を源家まで車で送ってくれた。久しぶりの夜遊びをしたあとの、ほどよい話し疲れは心地よくて、風太は白河にあいさつをして、ゴキゲンで車を降りる。だが、門扉に手をかけた途端。玄関で、仁王立におうだちする一星の姿があることに気付いた。


「な……っ、なにやってんだよ、お前……」


 スウェット姿にエプロンを着け、裸足にシャワーサンダルを履き、堂々とした姿勢で腕組みをする彼を前に、風太はく。だが、一星は黙ったまま、こちらをにらみつけている。


「あれ、一星だ。もしかして、風太が帰ってくるの、待ってたの?」


 一星の姿に、白河も気付いたのだろう。彼はわざわざ車から降りてきて、風太の背後に立ち、肩に手を置いた。一方で、やはり一星は無言のまま、なぜかするどい目つきだけをこちらへ向けている。どうやら、彼はまだ、怒っているようだ。だが、ほどなくすると、一星はなにかをこらえるように、ごくん、とのどを鳴らした。


「お……」

「お……?」

「お、おかえり……。あと、白河先輩、お久しぶりです……」


 いつも通りの静かな声と口調で、一星が言う。風太は目を合わさずに、「ただいま」を返すと、白河に振り返り、軽く会釈えしゃくをした。


「それじゃ、先輩。またっす」

「うん……、またね。今度は――……そうだな、家で勉強会でもしようか。中間テストに向けて」


 それを聞いて、風太はガッツポーズをする。


「やりィ。おれ、今度の中間で、こいつをぶっ倒すって決めてるんです。ご指導、お願いします!」

「ぶっ倒すって……、なんだそれ」

「テストの点数なら、勝負してもいいって、お前が言ったんじゃんかよ」

「……本気なのか。お前、五教科の合計点、四百いかないだろ」

「うっせーなぁ。おれは、やれば伸びるタイプなんだよ。そもそも、お前にできて、おれにできねえことなんか、この世にあってたまるかっつーんだ! もし、次の中間でおれに負けたら、一星はこれから、おれの言うことをなんでも聞くってことにしようぜ」

「まぁ、いいけど……。その代わり、俺が勝ったら、当分は夜遊び禁止な」

「えっ! なんだよ、それ!」

「なんでも。決まりな」


 そのやり取りを黙って見ていた白河だが、くくく……、と笑い出す。


「……なんだか、安心した。一星は、あいかわらずなんだね」

「は……?」

「じゃあ、おやすみ。ふたりとも。ご両親によろしく」


 白河はそう言って、車に乗り込み、去っていく。風太は手を振って、白河の車が見えなくなるまで見送ると、家の中へ入った。一星は、門扉と玄関のカギを閉めた。


「風太。先に風呂、入っちゃえよ」

「おー。お前、まさか待ってたの? たまには先に入ればいいじゃん」

「俺はいい……。最後で」

「あっそ。……なぁ、お前が風呂、最後にするのって、なんか決めてるルーチンみたいなやつがあったりするわけ?」


 ふと、気になっていてみる。同居して以来、一星は必ず風太よりも後に、風呂に入る。今日なんか、風太は夜に出かけるとわかっているのだから、先に入ってもいいものなのに、それでもかたくなに待っていた一星が、風太は不思議でたまらなかった。


「べつに、そういうわけじゃないけど……。最後のほうが、安心するんだ。気持ちが、休まるっていうか……」

「へえ」


 風太はそう相槌あいづちを打ち、ソファにドカッと腰を下ろす。聞いたところで、理解も共感もできなかったものの、勝手に想像してみる。もしかしたら、どんなときにも息をするように気をつかう彼は、あとに待っている人のことを思うと、落ち着いて風呂に入っていられないのかもしれない。


 めんどくせえヤツ……。でも、べつに嫌いってわけじゃねえんだよな……。むしろ、おれはこいつのそういう、人のこと気にかけたり、心配したりするとこは、すげえと思うし……。だから、昼間だって、たぶん――……。


 一星が昼間、白河と出かける風太を、止めるような言い方をした、その理由があるとすれば、それは一星なりに、なにかしら風太を心配してくれていたからだと、思えてならない。風太は振り返り、台所に立つ一星を見つめる。今だって、彼は食洗器から洗い終わった皿を取り出して、それを丁寧に重ねては、食器棚に仕舞っている。きっと、太郎と雅を気遣きづかったのだろう。


 しっかし、コイツ……。たまにはやること後回しにしてダラダラするとか、そういうの、ねえのかな……。


 昼間のケンカのことで話をしたくても、どうも話しかけにくくて、風太はただ、一星をじっと見つめていた。黙々と皿を片付ける彼の表情は今、あまりに硬く、まったくすきがないのだ。あいかわらず、彼がなにを考えているのか、風太にはまったくわからない。だが、そのうち、一星が風太の視線に気付いたのか、じろりと風太に視線を向けた。


「……なに」

「べつに……」

「なんだよ。人のこと、そんなとこからじっと見つめて、なんでもねーことねーだろ」

「いや……。お前、昼間、なんか怒ってたろ……。まだ、その……、怒ってんのかな、と思ってさ……」


 風太が言うと、一星は手を止めた。


「怒ってる? ……なんで」

「あぁ、いや……。怒ってないなら、いいんだけどさ。なんか、あるんなら言えよ。ちゃんと……」

「なんかあるって……」

「だからぁ、腹でなんか思ってることがあんなら、正直に言えって話。おれはさ、お前みたいにさらっと察したりすんの、苦手だからさ。直接、言ってくんねーとわかんねーから」

「あぁ……」

「ちゃんと話してくれりゃ、聞くしよ……。不満とか、そういうのも……、直せるかどうかはわかんねーけど、努力はする。そもそも、だ。お前はおれとの決闘に勝ったんだから、本当ならおれにあれこれ指図できんだからな!」


 風太は一星とは違う。さりげなく誰かを察してやることなんてできないし、気遣きづかって助けてもやれない。だが、話を聞くくらいのことはできる。話してくれれば、共感か、理解か。そのどちらかはできるかもしれないし、努力もできるかもしれない。


「おれはな、お前がなに考えてんのか、全然わかんねえよ……。でも、わかりたいとは思ってんだ。なんで不機嫌になったのか、とか、どういうときにホッとできんのか、とか……」

「風太……」

「だから、なんかあったら話せよ。……わかったな」


 風太は知りたいと思っていた。一星がなにを考えているのか。――とはいえ、風太とは性格が正反対の一星だ。たぶん、風太が一生懸命に聞いても、理解できないことがほとんどなのかもしれないが、それでも。彼と話したいと思った。たとえば、この家に越して来た日の夜。海辺で話したときのように。あんなふうに、いつも話せたらいいのかもしれない。ただし、自分の生い立ちを話したときの、彼の寂しそうな笑みを思い出すたびに、なにか風太の胸の内側では、込み上げてくるものがあった。


「お前……、そんなこと考えてたのか」

「まあな」


 風太がそう返すと、やっと一星は笑みを浮かべた。それは柔らかで、とても嬉しそうな笑顔だった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?