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5-2

 こいつ……。もしや、本当におれが頭脳明晰ずのうめいせきになって、テストの点数で負けるのを怖がってるのか……?


 きっと、そうに違いない。そう決め込んで、風太はにやりと口角を上げる。


「なんか、問題あんのかよ?」

「お前……。まさか、まだ白河先輩に勉強を教わろうとか思ってるわけじゃないだろうな?」


 眉間みけんにしわを寄せながら、一星がく。その顔を見て、風太は鼻を鳴らし、笑みを浮かべた。やはり、間違いないだろう。風太は自分の読みが当たっていることを確信する。


「さぁ、それはなんとも言えねーな。今日は白河先輩とマックスバーガー食いながら、近況報告する約束してんだけど……」

「な……っ」

「メシ食ったあとは、まだ決めてねぇから、もしかしたら、先輩んちで勉強会――とかになっちまうかもしんねえし。予定は、未定だ」


 風太がそう言うと、一星の目はさらにするどさを増す。風太も負けじと一星をにらみつけた。風太の読みが正しければ、彼はやはり、風太の学力向上を阻止しようとしている。風太が、自分と同じ文武両道の優等生になって、負けるのが相当、嫌なのだ。だが、風太はふと、思い出す。


 いや、ちょっと待てよ……。こいつ、この前、おれに勉強教える、とかなんとか言ってなかったっけ……?


 あれは、風太が引っ越し作業中、電話で一星と話したときのこと。一星はあのとき、風太に勉強を教えてくれると、たしかにそう話していたはずだ。――ということは、一星は風太の学力向上を阻止しようとしている、わけではないのかもしれない。しかし、そうであればなおさら、一星が白河と会うことに突っかかってくるのは妙だ。


 こいつ、なに考えてんのか、ほんとにわかんねえ……。なんなんだ……。


 そうして、無言のままにらみ合いがしばらく続いた。だが、ほどなくすると、一星はあきらめたように、深いため息をく。


「……まぁ、せいぜい楽しんでくれば。雅さんには、ちゃんと連絡入れとけよ」

「お、おう……?」

「あと、あんまり遅くなるな」

「おう……」


 一星は静かにその場を去り、教室へ入っていく。なんだか、変な気分だ。風太はもう一度、首をかしげ、彼の背中を見送った。そうして、黄色い声の輪へ戻っていく一星を見つめながら、思う。今の一星は、まったく「らしくなかった」と。  普段の彼なら、もっと風太に鬱陶うっとうしいほど言い返してきて、すぐにでもケンカになるはずなのに、これでは、なんだか肩透かしをらったような気分だ。


「ほんと、なんなんだ、あいつ……」

「風太ー、今日、白河先輩とごはん行くの?」


 教室の窓から顔を出し、太一がく。


「あぁ、なんか……、超マックスのセットおごってくれるってさ」

「すげー! いいなぁ。やっぱさ、風太は白河先輩に愛されちゃってるよねー」

「まぁ、うん……。太一も一緒に行く?」

「行きたいけど、パスー。今日はオレ、先約あるから。ごめんね」

「そっか……」


 そもそも、だ。さっきまで、彼はクラスメイトの女子たちに囲まれていたというのに、あの包囲網ほういもうを抜け出て、わざわざ風太のところまで来たということだろうか。そうまでして、一星は風太のところへいったい、なにをしに来たのだろう。まさか、風太がちょっとスマホで通話していたからといって、その相手が誰なのか、わざわざ確かめにきたわけでもない。


 ――お前、今、誰と話してた?


 風太は一星との会話を、思い出してみる。だが、たいしたことはかれていないし、文句を言われたわけでもない。ちょっと感じの悪いき方も、不機嫌そうな表情も、見慣れてはいる。風太もそれにこたえたまでだ。ただし、彼があんな顔をするのを見たのは、久しぶりだった。思えば、同居してからというもの、一星がケンカ腰で話しかけてくることなど、一度もなかった。


 あいつ、なんか怒ってんのか……? でも、なんで……? 


 ――まさか、まだ白河先輩に勉強を教わろうとか思ってるわけじゃないだろうな?


 風太が白河に勉強を教わるのが、そんなに気に入らないのだろうか。理由もわからないが、ああいう物言いをするということは、一星にはまだなにか、納得していないことがあるのかもしれない。悶々もんもんとしながら、ひとまず、風太は席に戻った。


「ほんと、わかんねーやつ……」


 風太には、一星がなにを考えているのか、さっぱりわけがわからない。この二週間、一星とひとつ屋根の下に住んで、彼に海辺で太郎との関係を打ち明けられて、少しずつではあるが、風太は一星を、以前よりも理解しはじめていた。そう思っていたのに、また振り出しに戻されたような気分だ。


「それにしても、一星の怒った顔、二週間ぶりに見たね」


 太一が冗談めかして言って、にやにやと笑みを浮かべている。風太は一星を一瞥いちべつして、口を尖らせた。


「やっぱ怒ってんのか、あいつ……」


 風太はもう一度、一星に目をやる。今度はじっと、予鈴とともに、だんだんと崩れていく女子たちの包囲網ほういもうの間から、彼の様子を観察するように。


 風太は思うのだ。一星は、案外悪いヤツじゃない。いつもぶっきらぼうで、なにを考えているのか全然わからなくても、太郎と雅を思いやる優しさを、風太は毎日感じているし、同居したら、どんなにか兄貴ヅラをされて、いびられるかと思っていたのに、そういったこともない。むしろ、気遣きづかってくれることのほうが多い、と風太は感じている。


 朝は寝坊しそうになると起こしてくれるし、朝メシもちゃんと作ってくれる……。風呂は先に入らせてくれるし、引っ越してきてから、不自由がないかどうか、しょっちゅう聞いてくるし……。


 それなのに、風太が白河に勉強を教わるのは、気に入らないのだろうか。まったく意味不明だ。


「ほんとに、なに考えてんだか……」


 じいっと見つめるうちに、視線に気付いたのだろうか。一星と目が合った。風太は慌てて顔をそむける。


「くそ……。なんで怒ってんだよー……」


 風太はそう呟きながら、ため息をく。やはり、同居はしても、一星とは分かり合えないのだろうか。そんなことを思いながら、風太は、ふと、海辺で話したときの一星の横顔を思い出し、拳をぎゅっと握った。







 その日、一星と風太は、部活中、ほとんど口をきかなかった。必要最低限のことは話すが、本当にそれだけ。もっとも、同居するまではそれが普通だったのに、最近が異常だったといえば、そうなのかもしれない。ただし、風太はこの二週間、わりと楽しかったのだ。一星と剣道の試合について語り合うのも、なにげない雑談も、互いの親の話をするのも。


 こんなのも悪くねえなって、最近はそう思ってたのに……。おれたちは、また敵同士みたいになるのか。


 風太は、校門で白河を待ちながら、ほんの少しだけ寂しくなって、部室の方へ振り返る。今日、稽古が終わったあと、一星は竹刀を作ると言って、ひとりで部室に残っていた。おおかた、昼休みに、風太とケンカしたことが原因なのだろう。おそらく一星は今、風太をけているのだ。


 ったくよー……。なんで、ちょっとショック受けてんだ、おれはぁ……。


 一星は、一年生の頃から、朝、早く来て竹刀を作ることはあっても、稽古が終わったあとは、部室に長居することはほとんどない。以前は、気にもめなかったことだが、今ではそれにも理由があったのだとわかる。きっと、父子家庭だった一星は、夕飯を作ったり、風呂を掃除したり、なにかしら家事をするために、早く帰っていたのだ。それは同居をはじめてからも、変わらなかった。それなのに、今日、一星は部室に残っているわけだ。


 よっぽど、おれと一緒にいたくねえんだな……。


 そう思うと、やはり少し寂しくなる。だが、かぶりを振った。こんなケンカくらい、以前なら毎日のことだったのだから、気にする必要はないだろう。また明日か、あさって、あるいは数日も経てば、元通りだ。ケンカをしていたことを忘れて、また次のケンカをする。そうして、それより前にしていたケンカのことなんか忘れてしまう。そう思ってみても、なんだか落ち着かない。


 今日、帰ったらアイツと話そう。アイツがどこにムカついてんのか、おれにどうしてほしいのか、ちゃんと聞いてやりてえ……。よくわかんねーやつだけど、アイツは一応、家族だからな……。


 そう決意して、深いため息をいた時。校門の前に一台の真っ白いセダンが停まる。運転席の窓が開き、沈んでいた風太の頬は自然とゆるんだ。

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