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5 白河パイセン

 風太が源家で同居することになって、早二週間。風太の日常は変わった。朝はいつもより一時間も早く起こされ、ライバルとダイニングテーブルで向かい合い、朝食をとる。


 朝食はいつも、ライバルの手作りだ。トーストが二枚と半熟の目玉焼き。フライパンであぶられたソーセージが三本。あと、ヨーグルト。飲み物は冷蔵庫にある好きなものを飲んでよいことになっている。たいていの場合、そこにはオレンジジュースに麦茶、牛乳は常備してある。


 なんの文句もない、十分過ぎるほどの朝食を済ませたあと、風太はライバルとともに支度をして、家を出る。だいたい、ここまでで六時十五分。そこから学校へは、十分もあれば着いてしまう。はじめは慣れなかったが、三日もすればそれが普通になってしまって、二週間経った今は、すでに日常と化している。慣れとは、恐ろしいものだ。






「風太、一星とうまくいってんだね。よかったじゃん」

「おい、おれとアイツを付き合ってるみてえに言うんじゃねえよ。……ったく」


 太一にからかわれるのは慣れているが、一星とのことになると、へらへら笑ってもいられない。相手が女子ならともかく、相手はあの一星だ。ただ、同居生活は自分でも驚くほど、うまくいっていた。


 太郎は優しく、まさに頼りがいがある父の模範もはんのようだし、雅ははじめ、一星との距離感に、やや慎重になっているような気もしたが、近頃は会話も増えている。それに釣られるように、一星と風太のケンカも、日毎、減っていた。


「なんだかんだ言って、君たちのケンカは減ってるわけだし、いい傾向だね。もうすぐゴールデンウィークだし、合宿もあるし。ここにきて、やっとうちのチームも整う日が来たってことだ」

「整う、ねえー……」

「だって、たぶん新チームになってから、今が一番、雰囲気いいよ。オレたち」

「あー……。そういや、アイツの好きな子って、結局のとこ、誰だったんだろうな……」

「あれ、風太はそっちが気になるんだ?」

「べっつにー……」


 贅沢ぜいたくヤローめ……。


 あいかわらず、大勢の女子に囲まれて休み時間を過ごす一星を眺めながら、そんな会話をしていた時だ。不意に、ポケットの中でスマホがふるえ、風太は大きなあくびをしながら、それを取り出す。だが、その画面を見るなり、一気に目が冴えてしまった。


「うわ、やべえっ、白河先輩だ! メッセ返すの完全に忘れてた……!」

「あちゃー……。先輩、怒って電話かけてきたんじゃないの?」

「そうかも……」


 風太はドキドキしながら、ベランダに出て、通話ボタンを押す。だが、次の瞬間、耳に飛び込んできたのは、白河のゴキゲンな声だった。


『風太、久しぶり!』

「先輩っ、すいません! おれ、すっかりメッセ返すの忘れてて……」

『そうだよー、オレ、すげー待ってたんだからな』

「ほんと、すいませんっ!」


 風太は通話をしながら、ぺこぺこと頭を下げる。だが、白河は怒っている様子はない。むしろ、彼の声は、いつになく軽快で、楽しそうだった。


『ねぇ、風太。今日の夜、部活終わったら、メシでも行かない?』

「え……」

『マックスバーガーの超マックスのセット、おごってあげるからさ』

「うえぇっ、ほんとっすか!」


 思わず興奮し、声を上げた。マックスバーガーの超マックスは、百パーセント牛肉ミンチの巨大パティが三つと、チーズがふんだんに入った、とにかく贅沢ぜいたくで、ビッグサイズのバーガーだ。しかも、そのパティの間に塗られたソースは、この超マックス限定のスパイシーソースで、これまたうまい。ただ、ビッグサイズなだけあって、この超マックスはファストフードのメニューでありながら、堂々と千円を超える。それを注文できるのは、正月、親戚にお年玉をもらったときくらいなものだった。それを白河は、おごってくれるというのだ。


『うん、ほんと。車で迎えに行くよ』

「すげえっ! 車ってことは、先輩、もう免許取ったんすね!」

『うん。連絡くれたら、三十分くらいで風太んちまで行けると思うんだ』


 先輩、あいかわらず、超かっけーな……!


「了解っす! あ、でも――……」


 白河が迎えに来ると言っているのは、風太が二週間前まで住んでいた、アパートのことだ。そういえば、まだ白河には源家との同居の話も、太郎と雅の再婚話もしていなかった。


 白河先輩に、メッセ返すの忘れてたくらいだもんな……。そりゃあ、話してるわけねーわ。


『おーい、風太?』


 急に黙り込んだ風太を呼ぶ声が、スマホから聞こえてくる。風太はハッと我に返った。


「あぁ、すいません、先輩。おれ……、実は引っ越したんすよ。今はあのアパート、もう住んでないんす」

『へえ、そうだったんだ。引っ越したのか……。もしかして、それでバタバタしてたとか?』

「まぁ、そんなとこっすね……」

『新居はどの辺? まさか、高校までは変わってないだろ?』

「それは、はい……。今の家は、その、うちの――西御門校の、すぐ近くなんです。実は……、親が、同級生の親と再婚することになって……。今、そいつんちに同居してるんですよ」

『え……?』

「ビビりますよね。おれも急に知らされたんすけど、なんか、気付いたら親同士がそういうことになってたっぽくて……。先輩は、一星のこと覚えてますよね。源一星……」

『一星……』

「おれ、今、一星んちに住んでるんです」


 そう言ったあと、どういうわけか、白河は黙ってしまった。それまで、軽快にはずんだ声が聞こえていたのに、突然、電波が届かなくなってしまったように、白河の声が聞こえなくなって、風太は何度か、通話が切れていないかどうかを確認し、白河を呼ぶ。


「先輩……? 大丈夫っすか?」

『あぁ、ごめん……。ちょっと驚いただけ』

「そうっすよね……」


 無理もない、と風太も笑う。今でさえ、風太もこの事態を人に対して冷静に説明できるようになったが、はじめは混乱して、どんなに説明されても、事実を受け止めることも難しかった。


『……じゃあ、今日は報告会だね。オレも、風太に報告したいことあったから、ちょうどよかったよ。部活終わったら、校門まで迎えに行くから』

「はい、待ってます……!」


 風太は通話を切り、思わずガッツポーズをする。今夜は久しぶりに、白河と会えるのだ。しかも、正月に一度だけの贅沢ぜいたくと決めている、超マックスバーガーをおごってもらえて、この二週間、風太の身に起こった、おかしな再婚話まで聞いてもらえる。


「楽しみだなー。あっ、そうだ……、勉強も今度、教えてもらえないか聞いてみないと――……」

「おい、風太」


 ベランダから戻ろうとした風太の目の前に、いつの間にか、一星が立っていた。どうしたことか、彼はひどく不機嫌そうな顔で、風太をにらみつけ、腕組みをしている。


「なんだよ。なんか用か」

「今、誰と電話してた」

「今……? 白河先輩だけど……」


 その名前を口にした途端、一星の左眉ひだりまゆがピクリと動き、切れ長の目がぎゅっと吊り上がった。なにかまずいことを言っただろうか――と思った時。風太は、同居する前、白河に勉強を教えてもらおうとして、ケンカになったことを思い出した。

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