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4 源家

 風太が、一星へのラブレターを渡すように頼まれた日から、二日。ついに引っ越しの日がやって来た。この日。一星の父、太郎は接骨院を臨時休業にして、平野家の引っ越しの手伝いをしてくれることになっていた。荷物の運搬は業者に頼んであるし、すでに荷造りは終わっているので、作業といえば、源家に到着したあとの、荷解きくらいなものだが、太郎は雅を心配して、仕事を休んで付き添ってくれることになったのだ。風太が学校を休んでもよかったのだが、太郎はそれには断固、反対した。とはいえ、あいかわらず太郎の言葉は優しく、その気づかいも心地よかった。


 ――学校へは行ったほうがいい。今年は受験もあるし、部活動だって、あと半年もないだろう? 部活が終わったら、一星と一緒に帰っておいで。今日の晩ごはんはごちそうだよ。


 それを聞いたとき、風太は少しだけ実感した。太郎がもうすぐ、風太の父になること。そして、まだ抵抗感はかなりあるものの、一星が風太の兄になることにも。ただし、認めたわけではない。風太はただ、ちょっとだけ、一星より先に生まれた、というだけのことで、形としては家族になるが、今は、それだけだ。


 校門を出て、徒歩わずか十分。風太と一星は、そろって源家へ到着した。


「やっぱ、この距離に学校あんのは便利だな……」

「まぁ、寝坊しても全速力で走れば、数分だからな」


 寝坊なんか、一度もしたことのなさそうな顔で、一星は言う。そうして、門扉を開け、風太に先に行くようにうながした。風太は少し緊張気味に、先に敷地内へ入る。今日から、この家が風太の自宅になるのだ。


 うおぉ……。やっぱ実感わかねー……。


 庭つき、二階建ての一軒家。その立派な家の玄関に立ち、風太はごく、と息をむ。すると、一星が後ろから手を伸ばし、鍵を玄関ドアの鍵穴に差し込んで回した。


「開いたよ」

「おう……」

「……あとで、父さんが鍵、くれると思う」

「そっか……」


 そう答えて、ぼーっとしていると、一星がドアを開ける。風太は一星のあとから、家の中へ入った。途端に、そこで目をみはる。玄関では、太郎と雅が、ふたりそろって同じエプロンを身に着け、立っていた。一星も風太も、それぞれ、学校を出る前に連絡を入れていたから、もしかしたら、ふたりはここで、風太と一星の帰りを待っていたのかもしれないが、それにしても、同じエプロンで並んで立たれると、妙に照れくさいものがある。


「おかえり、風太くん、一星」

「おかえりなさい」


 ふたりは、そろってそう言った。その雰囲気は、まるで初々ういういしい新婚夫婦のようでもあり、熟年カップルのようでもある。どちらにしても、まだ交際開始からひと月ほどのふたりは、不思議なほど夫婦らしかった。なんだか、奇妙な夢を見ているような気分だ。


「た、ただいま……」

「ただいま。なんかふたり……、もうすっかり夫婦っぽいね」


 一星がそう言った。それを聞くなり、太郎と雅はそろって顔を赤らめ、照れくさそうに笑う。


「そうかい? いやぁ、照れちゃうな」

「でも、うれしい。一星くんにそう言ってもらえると……。ね、太郎さん」

「うん、そうだね」


 一星はそれには答えず、無言で靴を脱ぐ。そうして、風太を一瞥いちべつして「部屋、二階だから」と言って、すぐそばに見えている階段の下に立った。風太は慌てて靴を脱ぎ、そこへ駆け寄る。


「ふたりとも。夕飯の支度、できてるから。着替えたら、下りてきてね」

「おう……」

「わかりました」


 雅の声がいつになくはずんでいるのも、きっと、気のせいではないだろう。風太は一星のあとを追うようにして、階段を上る。


「二階は、おれとお前の部屋と、あと空き部屋がもうひとつあるんだ」

「へえ……。広いんだな……」

「べつに、フツウだと思うけど」


 そう言いながら、一星は奥から二番目の部屋のドアを開けた。向かい側にも、そしてさらに奥にもドアが見えている。風太がそれを気にしていると気付いたのか、一星が説明してくれた。


「俺の部屋は、お前の部屋の向かい側だ。一番奥の部屋は普段、納戸として使ってる。来客があるときは、そこに泊まってもらったりもしてるかな……」

「来客……?」

「たまーにだけど、副院長とか。うちで飲んで、酔っぱらって、そのまま泊まってったりするんだ」

「へえ……」

「――で、ここがお前の部屋」


 一星にうながされ、風太は部屋に入る。そこに入って、思わず口が開いた。


「おぉ……」


 そこは六畳の洋室だった。壁には大きなクロゼットが取り付けられていて、ベッドに棚、勉強机まで置かれている。机のそばには、水色のカーテンが引かれた、大きな窓があった。風太は、好奇心に誘われ、カーテンを開ける。その先にはベランダがあるようだ。


「なんか、不便があったら言って。俺、着替えてくるわ」

「お、おれの服は――」


 周りを見渡し、部屋のすみに置かれている段ボールの箱を見つけて開けてみるが、そこにはベルトや靴下、下着、あとは雑貨品くらいしか入っていない。あたふたしていると、一星が戻ってきて言った。


「服は雅さんが、クローゼットに入れてくれたんじゃないか?」


 言われるまま、クローゼットを開けてみる。すると、そこにはすでに、風太の服が掛けられていた。


「あった……」


 当たり前だが、そこにあるものは、すべてが風太のもので、これまであのアパートにあった風太の私物だ。それを見て、風太はもう一度、無理にでも実感させられる。


 そっか……。今日から、本当におれはここで、暮らすんだ……。ここが、おれの家になるんだな……。



***



「それじゃあ、風太くん、雅さん。ようこそ、我が家へ。……乾杯!」

「カンパーイ!」


 ……あ、これデジャブだ。


 つい先週、似たような乾杯をした記憶を思い出しながら、風太はグラスに並々とそそがれたコーラに口をつける。朝からの引っ越し作業で、太郎も雅も疲れているだろうに、ふたりはごちそうを作って待っていてくれたようだ。


 野菜サラダに鶏のから揚げ、じゃがいものチーズ焼き。どれも食べ慣れた、雅の料理だった。なにもこんな日に、慣れない台所で料理をしなくても、スーパーで惣菜でも買ってきて並べたほうが楽だったんじゃないか、と風太は思う。だが、雅の視線に、その理由を察して納得がいった。


「一星くん、味はどう?」

「……おいしいです。とても」

「よかったー!」


 雅は乾杯を終えてから、ずっと一星の顔をうかがっていた。たぶん、料理の味を気に入ってくれたかどうか、彼にきたかったのだ。もっとも、風太としては雅の料理が気に入らないなんて、そんな素振りでも少しでも見せようものなら、この再婚話も同居も、すべて白紙に戻してやりたいところだが、夢中でから揚げを頬張ほおばる一星の表情を見る限りでは、そんな必要もないだろう。雅は無事に、一星の胃袋をつかんだようだ。


「雅さん、すみません。から揚げのころも……。これは、片栗粉ですか……」


 一星が、目を輝かせてく。気のせいでなければ、彼はさっきからから揚げばかり食べているようだ。風太はじろりと、向かいに座っている一星をにらみつけた。その隣で、雅はホクホク顔で答える。


「どっちも入れるんだけど、うちはね、風太が喜ぶから、片栗粉を多めに入れるんだ。どっちかっていうと、竜田揚たつたあげっぽい感じになるのかなー」

「なるほど……。それでこんなにころもがカリカリに……。ほんと、うまいです……」

「一星……。お前、から揚げばっか食うなよ」


 そう言って、風太がから揚げに箸を伸ばすと、それに競うようにして、一星もまたから揚げにはしを伸ばす。


「まだ、これで五個目だ」

「もうそんなに食ってんのかよ! 吐き出せ、オラッ!」

「お前こそ……ッ、まさか俺の分まで食ってないだろうな。自重しろよ」

「なんだと、この……!」

「ちょっと、ちょっと……。おかわりも作ってあるから、ケンカしないで、ふたりとも」


 風太と一星のやり取りを見て、雅があきれたようになだめ、だが、やはり嬉しそうに笑みをこぼす。太郎もまた、満足そうに微笑ほほえんで言った。


「いやぁ、もうすっかり兄弟らしくなっちゃったねぇ。でも、ケンカはだめだよ……?」


 その言葉で、から揚げ争奪戦に熱くなっていた風太は、たちまち冷静さを取り戻した。忘れかけていたが、この宴は、源家にお呼ばれした飲み会ではなく、一家団らんの場。これから、風太にとっては、このあまりに非日常的なやり取りが、日常となるわけだ。そして、この家の家訓ともいえるおきてを忘れてはならない。家族、友人とは仲良くすること。これを破れば、風太は太郎に地獄のお説教をらう。


 あー……、うるせーし、めんどくせえ。でも……、なんだか、にぎやかだな。


 なにげない夕飯が、こんなににぎやかだったことなんか、数えるくらいしかなかった。まだ慣れない雰囲気ではあるが、ここには、不思議な心地よさがある。いつもいがみ合う一星が向かい側に座っていて、あいかわらずイライラさせられても、居心地がいい。


 悪くねえ、かもな……。こういうのも。

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