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「お前、いまだにあの人と連絡とってんのか……」

「白河先輩かぁ。風太、気に入られてたもんねー」

「ふっふっふ、驚いたか。これでも、おれは白河先輩の舎弟しゃていみてえなもんだからな。スーパー仲いいんだよ!」

「だけど、白河先輩って、青藍せいらん学院行ったんじゃなかったか? お前と話しが合うとは思えないんだけど……」


 なぜ、白河が風太によくしてくれるのかは風太にもわからないが、風太はその理由を気にしたことはなかった。単純に気が合って、一緒にいると楽しい。先輩も後輩も、友人も、それ以上に一緒にいる理由なんかない。そう思っているからだ。風太は得意げに鼻を鳴らした。


「は……っ。残念ながらなぁ、お前と違って、白河先輩はふところがでっけーんだ。――あ、そうだ。白河先輩に勉強教えてもらおっかなー」

「なに、風太。ついに勉強する気になったの?」

「だって、一星がテストの点数で勝負しようって言うからさー」


 そう言って、メッセージ欄を開く。そこには「風太、久しぶりに会わない? ハンバーガー食べに行こうよ」という、馴染なじみ深い誘い文句がしるされていた。たちまち、気分が高揚こうようする。だが、もちろん、とばかりに返事を打とうとした、その時。不意に一星が、風太の腕をつかんだ。


「……なんだよ」

「やめとけ」

「あぁ……?」

「勉強は、頭のいい人に教わったからって、成績が上がるわけじゃない。それに、大学生になったばっかで、白河先輩だって忙しいだろ」


 どこか、あせったような表情で、もっともらしくそう言った一星に、風太はピン、ときてしまった。彼は間違いなく、白河を恐れている。――いや、正確には、白河に勉強を教わり、学力を一気に向上させた風太の、未来の姿を想像し、負けることを恐れているのだ。 白河は在学中、いつも風太に構っていたから、一星との接点はあまりなさそうだったが、彼がどれほど優秀なのかは、よく知っているのだろう。風太はにやりと口角を上げた。


「あらまぁ? 一星くん。もしかして、怖いのかなぁ? おれが頭脳明晰ずのうめいせきな優等生になっちゃうのがぁー」


 からかうように風太がそう言うと、一星はまゆをしかめ、切れ長の目を吊り上げた。


「そんなことはどうでもいい。ただな、白河先輩にどんだけ頼っても、お前自身がちゃんと勉強しなきゃ、誰に教わっても同じだって言ってるんだ」

「だから、おれはちゃんと勉強しようとしてるんじゃんか」

「……どうせお前、先輩に手っ取り早く点数稼げる方法とか、山当てで確率高いところとか、聞こうって思ってるんだろ」

「な……」


 密かに考えていたことを言い当てられていて、思わず口ごもる。だが、これまで散々、勉強をサボってきた風太が、一気に学力を上げる方法があるとすれば、それしか考えられない。風太は言い返した。


「べつにいいだろ! それのなにがいけないんだよ!」

「そういうのはな、ちゃんと勉強するって言わねえって言ってんだ! っていうか、勉強くらい自分ひとりでできねえのかよ! ……ガキ!」

「んだとぉ、てめえ、このやろ……っ!」

「ちょっ……、ちょっと! 一星までなに熱くなってんだよー、やめろってば!」


 取っ組み合いのケンカになる直前で、太一がレフェリーのごとく、仲裁に入る。いつにもまして、三年B組内で勃発ぼっぱつした源平の戦いは激化し、ひとまずの沈下にも時間がかかった。







 その日、風太は久しぶりに参加した剣道部の稽古が終わったあと、急いで白河にメッセージを返した。この機を逃してはもったいない。なんとしても、優秀でうつわふところも大きい白河に助け舟を出してもらって、学力でも、せめて一星と勝負できるようにならなければならない。試合稽古や決闘で勝つよりも、ハードルは高いが、このままでは風太は、一生、負け犬ならぬ――負けっぱなしのおサルだ。


 負けっぱなしのおサルなんて、カッコ悪すぎだろ……。おれは今、ちょっとでも、一星に追いつきたい。追いついて、せめて、ツートップって言われるくらいにはなりてえんだ……! 


「くそっ……」


 悶々もんもんとしたくやしさをかかえながら帰宅し、夕飯をちゃっちゃと済ませ、雅と荷造りをする。そうして、カレンダーの印を確認した。引っ越しの業者が来るのは、あさってだ。


 あさってか……。早いとこ、荷造りやっつけちまわねーと……。


 急いで作業をしながら、ふと、風太は雅に目をやる。雅が高校時代、どうやって勉強していたのか、気になったのだ。思えば、雅の高校時代の話を、風太はあまり聞いたことがなかった。二十歳を過ぎる頃までは、地元、千葉で真っ赤な特攻服に身を包み、ごついバイクを乗り回すレディース総長だったと聞いているが、それくらい。あとは、高校は何事もなく卒業した、ということだけだった。その話だけで、風太は勝手に雅を、「ヤンキーと勉強をいい感じに両立していた、すげえ母」くらいにしか思っていなかった。


「なー、母ちゃん……?」

「んー?」

「母ちゃんって、高校んとき、勉強ってどんくらいしてた?」

「えぇ? あんた、それ……、母ちゃんにくわけ?」


 じろり、とするどい視線を向けられるが、風太はこく、と頷く。すると、雅は、はあ、とため息をき、話し出した。


「勉強なんかやってる時間、全然なかったよ……。毎日、毎日、忙しくってさ」

「忙しかったって……、なんで?」

「隣町にね、すんげえムカつく女がいたの。そいつ、いっつもアタシの男にちょっかい出しやがってさ、仲間のバイク、わざと傷つけたり、パンクさせたりしてくんのよ。最低でしょー? だからね、母ちゃん、しょっちゅうそいつと戦わなきゃなんなかったってわけ」

「あっ、ははは……。なーるほどねー……」


 雅に聞いたのが間違いだった――と、風太は激しく後悔しながら、笑みを引きつらせ、手を動かした。そうして思う。自分は思っていた以上に、雅の血を濃くいでいるのかもしれない、と。


 しょっちゅう戦ってたって……、それ、まさに今のおれじゃんよ……。


「なーにィ、あんた。まさか、勉強のことで悩んでんのー?」

「うーん……、まぁね」


 まさか、一星と今度の中間テストで勝負したいから、成績を上げたいなんて言えない。だが、成績を上げたい理由は、風太の場合、いくらでも思いついた。今のままでは、進路は選べるほど多くはないだろうし、大学からのスポーツ推薦が来たとしても、受けられるかどうかも怪しい。多少なりとも勉強が必要なことは、風太自身、わかってもいる。


「おれ、今年は受験だしさ……。もし、インハイとか行けたら、いい大学から推薦とか、来るかもしんないじゃん。だから……」


 そう言うと、雅はほんの一瞬、目を見開き、力なく笑みをこぼした。


「そっかぁ……。ごめんね、母ちゃんが勉強教えてあげられたらいいけど、この頭じゃ、全然役に立ちそうもないし、今年、受験なのに……、母ちゃん、塾も行かせてあげらんないや……」

「いや、いいよ。塾なんか行きたくねーもん。それに、大学なんか行かなくたって、就職するって道も――」

「なーに言ってんの。風太が大学行くお金は、母ちゃん、ちゃーんと貯金してあるんだからね。遠慮しないで、行きたきゃ行きたいって言いな」

「母ちゃん……」


 親指を立てて、得意げに笑みをくれた雅の言葉に、思わず風太は手を止める。雅は、太郎と恋に落ちても、やはり母だった。元ヤンで、甲斐性のない男につかまって、風太を産んで、お金がなくて、それほど贅沢ぜいたくな暮らしはできなくても、決して多くはない収入の中から、風太のためを思って、コツコツと貯金してくれていたのだろう。そんな母だからこそ、ホウレンソウのないまま進んでいく突然の再婚話も、源家での同居も、ひとまずは仕方ないか、と思えてしまう。


「あんがと……」

「どういたしまして。――あっ、そうだ。風太さ、勉強なら、一星くんに教われば? 一星くん、二年生のときの成績、学年で二位だったそうじゃない」

「へ……」


 学年で二位――。そう聞いて、思わず手が止まり、目を見開く。成績優秀だと知ってはいたが、まさか、そこまでだとは思わなかった。


 ひとけた台って、ギリギリひとけたとか、話ちょっと盛ったとかじゃなくて、ガチでトップ争いするレベルってことかよ……? やべえヤツじゃねーか……。


「学年二位……。あいつって、そ、そんなすげえの……?」

「あら、あんたたち、仲良しなのに知らなかったんだ?」

「な……っ、なか、仲良しなんかじゃ――……っ」


 あんなのと、仲良くなんかない。思わず、そう返しそうになって口をつぐむ。だが、その時だ。座卓の上に置いてあるスマホが、うるさくふるえはじめた。風太は、きっと白河だと期待に胸をおどらせ、スマホを取る。だが、画面に映っていたのは、今、一番頭を悩ませている、鬱陶うっとうしいライバルの名前だった。

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