目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

3 オオカミとおサル

 翌週。決闘に惨敗ざんぱいした風太は、結局、雅とともに、源親子と同居することになり、連日、荷造りに追われた。狭いアパートとはいえ、長年暮らした部屋だ。引っ越しの荷物はひと晩でまとめられるようなものでもなかった。風太はねんざが治るまでは部活を休むことにして、空いた時間のほとんどを引っ越し作業に当てることになった。





「うあー……、ねみー……」


 朝日の差す学校の昇降口で、風太は靴を履き替えながら、大あくびをする。そうして、眠い目をこすり、壁の時計に目をやった。時刻は七時半だ。


 太一と一星は、今頃、朝練あされんの真っ最中かぁ……。


 ゆうべも遅くまで引っ越し作業に追われていたせいで、ひどく疲れている。稽古でしごかれたときの疲れとも、テスト前にあせって一夜漬けしたときとも違う、なんとも言えないだるさに、風太は肩を回した。面倒だが、ここまで来たらどうしようもない。雅と太郎のためにも、風太は腹をくくらなければならなかった。


 母ちゃんの、あんな嬉しそうな顔見たら、反対なんかできねーよな……。


 相手も申し分ない。太郎は間違いなく善人だ。問題は、あの源一星の父親だというところにあるが、それだけをこらえれば、あとは風太が口を出すこともない。


 ただ……、一星の弟になるってとこだけ、どうにかなんねーもんかなぁ……!


「だあーっ、くそー!」


 風太は一星の勝ちほこったような笑みを思い出し、苛立いらだって声を上げる。だが、ちょうどその時。肩をぽん、と軽く叩かれた。仏頂面ぶっちょうづらのまま、振り返ると、少し視線を下げたところに、なんとも愛らしい顔があった。


「あの、平野先輩、ですよね……? 三年B組で、剣道部の……」

「そうだけど……?」

「あの、これ……」


 おずおずと手渡されるそれに、思わず目が点になる。可愛らしい小花柄の便せんに、恥じらう女子。ピンとこないはずがない。これは間違いなく、ラブレターなるものに違いない。


 こ、これは、まさか――……!


「え……っ、あ、あの――」

「私、国際科2年の山吹やまぶきです……。実は平野先輩に、お願いがあって……」

「はい、なんでしょうか……」


 ち、小さい! かわいい……! 


 心臓が一気に高鳴る。その先を聞く前から期待せずにいられなかった。これは間違いなく、告白だ。彼女はきっと、普段、部活で忙しくしている風太を常日頃つねひごろ見つめ、恋がれてきたが、その想いをずっと胸に秘めてきた。しかし先週、ケガをして、時間に余裕ができた風太に気付いたのだ。そうして今日、これを機にラブレターを渡そうと、その可愛らしい便せんに想いをつづり、ここで待っていたのだろう。


 きっと、そうだ……。このおれにもついに……、ついに、かわいい彼女ができるんだな……!


 風太はドキドキしながら「はい」と答える準備を万端にして、彼女の告白を待つ。ところが――。


「源先輩に、この手紙、渡しておいてもらえませんか……!」

「はいっ! ――……え?」


 準備万端だったので、つい気持ちよく返事をしてしまったが、どうも思っていたのとは違うことをお願いされた気がして、風太はき返す。


「今、源っつった……?」

「はい、すみません……! 平野先輩、源先輩と同じクラスですよね。これ、渡しておいてください!」

「あ、ちょっと……!」

「よろしくお願いします!」


 柔らかな手に、やや強引にラブレターを握らされ、風太は呆然ぼうぜんとその場に立ちくす。そうして、颯爽さっそうと去っていく、小さな背中を見送っていた。だが、ほどなくして。ハッと我に返る。このラブレターは一星てだ。よく見てみれば、便せんにはちゃんと「源先輩へ」と宛名が書いてある。


「だぁああっ! くそったれがぁっ!」


 怒りのままに、ラブレターを破り捨ててやろうとしたが、すんでのところで思いとどまった。なにが書いてあるのかは知らないが、これはあの子が一生懸命に書いたラブレターだ。一星を想い、恥じらい、ためらい、それでも必死につづった手紙だ。風太はため息をくと、その手紙を制服のポケットに仕舞しまい、教室へ向かう。そうして、一星の机の中にほうった。





「だははははっ! なにそれ、ショックでけー!」

「ほんと、やってらんねーっつの。なんで、おれがそんなことさせられんだかよー……」


 昼休み、風太は太一とベランダで昼食をとりながら、今朝の悲しい出来事を話していた。太一は一部始終を聞いて腹をかかえ、げらげら笑っている。


「いやー……、久しぶりにこんな笑ったわー」


 まったく、ネタにするのも嫌になるほどひどい話だ。太一ならまだしも、一星へのラブレターを渡されるなんて、屈辱くつじょく的にもほどがある。引っ越し作業の疲れも吹き飛ぶほどにドキドキさせられ、ついに自分にも春が訪れたと思ったのに、その途端、地獄に突き落とされたような気分だった。


「そんで、一星は? ちゃんとそのラブレター、読んでた?」

「知らねえ。読んだんじゃねーの。ってか、そこまで面倒見きれるかよ」

「でもさぁ、きっとまた、すっぱり断るんだろうねぇ。あいつ、一年のときからずっとそうじゃん」


 太一はそう言って、ベランダの窓から教室の中をのぞき込んでいる。きっと一星の姿を探したのだろうが、彼の姿はそこにない。もしかしたら、ラブレターの返事をしに行ったのかもしれない。


 一星のモテっぷりは気に入らないが、事実ではある。そして、それはなにも、今にはじまったことではない。一年のときから、一星はとにかくモテた。悲しいかな、違うクラスにいてもそれを感じるほど、風太はよくそういう場面に出くわしてきたし、彼のうわさもよく聞いた。さすがにラブレターを渡すように頼まれたことはなかったので、勝手にカン違いしたうえに、無駄に期待してしまったが、それに驚きはない。ただし、妙なのは、一星は告白を一度も受け入れたことがない――ということだった。


「あんだけ、いろんな女の子に告られてよー、誰とも付き合わないなんて、信じらんねぇよなぁ」


 好みが特殊なのだろうか、と思うこともあったが、それにしたってもう、告白された人数は三けたになってもいいくらいなのだ。それだけ選択肢があれば、ひとりくらい、好みの女子が見つかってもおかしくはない。


「なんで、誰とも付き合わねーんだろーな……」


 だが、風太の素朴そぼくな疑問に、太一はけろっとした顔で答える。


「そっかぁ、風太は知らないか。一星ね、好きな子がいるって言ってたよ?」


 それを聞くなり、風太は唖然あぜんとしてしまった。あの一星に、好きな子がいるというのは、初耳だ。


「え……っ、そうなの?」

「うん。――ってあれ、これ、言っちゃいけなかったような気がするけど……。まいっか」


 太一はぺろっと舌を出し、笑みを見せる。風太は思わず、そんな彼の肩をつかんで揺すった。


「だっ、誰だよ、好きな子って! ってか、なんでお前、そんなこと知ってんの?」

「前に本人に聞いたの。おれだって、詳しくは知らないよー」

「そっか――……あれ」


 風太は太一を離し、ベランダに立って校庭を見つめる。見れば、校庭のすみのベンチに、今朝、風太に声をかけた山吹という女子が、友人らと数人で並んで座っているのが見えた。真ん中に座ってうつむく彼女は、どう見ても、フラれて落ち込み、なぐさめられているようにしか見えない。風太は笑みを引きつらせる。


「うわー……」

「どしたの、風太」

「いや、あそこにいるの、今朝の子だからさ……」

「へえー。あの感じじゃあ、またフッたんだろうね、一星」

「だな……」


 風太は悲しそうにうつむく彼女を眺めながら、ぼんやりと考えていた。一星がかたくなに女子の告白を断る理由が、片想いだとしたら、彼はずっと同じ子を一途に想い続けている、いうことだろうか。そうだとすれば、相手が誰なのかは気になるところだった。一星の好きな子が誰かわかれば、風太は彼の弱点をつかんだも同然だ。ただし、風太は妙なことに気付く。


 でも……、変だ。そんなにずっと好きな相手なら、さっさと告白すりゃあいいじゃねえか。あいつなら、どんな女子とだって付き合えんじゃねえの? ……たぶん、だけど。


 まさか、あの一星が告白をためらうような、そんな相手なのだろうか。高嶺たかねの花。芸能人。モデル。そう思いかけて、かぶりを振る。そういうのもなんだか、彼らしくない。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?