「おい、一星――」
ここで今、一星が風太を守って、メリットがあるとは思えないし、このままでは、一星が風太にケガをさせたような印象を与えてしまうかもしれない。なぜ、一星がそんなことをする必要があるのか、風太は困惑していた。だが、ちょうどその時だ――。
「風太……!」
院内の奥から、雅の声がした。風太は身の危険を察知し、即座に振り返り、体勢を整える。雅のことだ。怒りの鉄拳か、蹴りのひとつでも、飛んでくるだろう。いくら大好きな男がいる職場とはいえ、学校で面倒を起こしたと聞いて、雅が忠告だけで終わらせるはずがない。風太は目を
「……?」
雅は風のようにすっ飛んできて、風太をぎゅうっと抱きしめたのだ。風太は予想外の事態にぱちぱちと目を
「風太! あんた、体は大丈夫なの?」
「お、おう……」
「ったく、心配ばっかりかけさせて!
「あ――……、うん。平気。足もくじいたっぽいけど、そっちもたいしたことないし。明日、念のために、朝イチで病院行ってくる」
「ほんっとに、もう……。あんたって子は……」
「あの、雅さん……。俺たち、風太の足、父さんに
一星が
「そうだったの。一星くん、ありがとうね。太郎さん、今、最後の患者さん
「はい。それで雅さん、本当にすみません……。俺たち、今日はちょっと無茶をしすぎて……」
「あぁ、いいのよ、気にしないで。どうせ、この子が一星くんのこと無理に誘って付き合わせたんでしょ。もう、昔っから、無茶させたら世界一みたいな遊び方ばっかりしてたんだから」
さすがは母親だ。雅は、まるで今日の出来事を全部見て知っているかのような顔で、そう言った。それには一星も、驚いているようだ。
「そんなことねーし……」
風太は口を尖らせてみせたが、内心ではホッとしていた。見たところ、雅は怒ってはいないようだ。
よくわかんねーけど、とりあえず助かったぁ……!
風太はホッと息を
「先生、いつも悪いわねぇ、わがまま聞いてもらって……」
「いえいえ。いつでも頼ってください。体が資本なんですからね」
「ありがとう。本当にここがなかったら、私はとうに寝たきりだわ」
「なーに言ってんですか。ツヤさんは、大丈夫。お大事になさってくださいね」
最後の患者が施術代を払っている間、太郎は穏やかな笑顔を見せ、優しい声と言葉で話しながら、接骨院の外まで、患者を見送った。どう見ても、風太には彼が怒っているようには見えないが、神崎は、スリガラスの扉の向こうにいる太郎の様子を、しきりに
へー……。こいつにも、怖いものがあんだな……。
それが父親だとは意外だったが、風太は口角を上げる。これは、まぎれもない一星の弱点だ。いつも涼しい顔とサラサラヘアーの優等生で、黄色い声に囲まれても動揺しない、冷静な彼の弱みを知ったことは、決闘に負けた風太にとって、最高の参加賞だった。
こいつは嬉しい収穫だ。太郎さんを味方につければ、一星のヤツ、おれの言うこと聞きそうじゃ――……。
「一星! 風太くん!」
「は、はいっ」
不意に名前を呼ばれて、風太は反射的に返事をして、瞬時に立ち上がった。見れば、太郎がそこに立っている。ひと呼吸遅れて、一星も静かに立ち上がった。
「君たちの無茶は聞いたよ。どうして倒れるような稽古をやったんだ。それも勝手に。先生もいないときに」
「す、すいませんっした……!」
慌てて頭を下げ、風太は
「取り返しのつかないことになっていたかもしれないんだぞ」
今、その表情から穏やかさは消え、こめかみには血管が浮き出ている。笑みを見せてはいるものの、明らかににこやかではない。どこか、異様なほど威圧感があるのだ。同時に、風太はこの威圧感に
これは……、元ヤンのメンチ切り……! この人、一星が言ってた通りだ。やっぱ、怒るとめちゃくちゃ怖ぇんだ……。
「君たち。まさかとは思うけど、ケンカ……とか、していたんじゃないだろうね?」
静かな声で
「い、いや……! ケンカなんて、そんなことするはずないじゃないすか! おれら、この通り、すっげえ仲いいし! なー、一星!」
風太は一星の肩に腕を回し、強引に、だが、しっかりと肩を組む。一星は一瞬、身をこわばらせたようだったが、すぐに
「あ、あぁ……!」
「今日だって、おれらだけで特訓してたんすよ! だっておれたち、すっげえ仲いいから! なー、一星!」
「あぁ!」
くっそー……。こいつと肩組むなんて、いつもだったら死んでもありえねーが、今はこうするしかねえ……。
とにかく、ケンカをしていたわけではないと、太郎に信じてもらわなければ、これから風太と一星を待っているのは、太郎のきつーいお説教だ。肩を組むふたりを交互に見つめ、太郎はしばらくそのまま、なにも言わなかった。だが、ほどなくして、ふう、と息を
「……だったら、いいけど。これからは気を付けるんだよ、ふたりとも」
「はいっ!」
「特に、一星。お前は風太くんにとっては、お兄ちゃんになるんだからな。自覚持って、もうちょっとしっかりしろ」
「はい」
だあぁーーーっ! 頼むからお兄ちゃんはやめてくれ、太郎さん……!
お兄ちゃん、という太郎の言葉を聞くなり、ぞわぞわっと全身の肌が
おれ……、
「よし。それじゃあ、風太くん。奥の部屋へおいで。足を
「太郎さん……、足のことも知ってたんすか」
「あぁ、雅さんから聞いていたから。本当に心配したんだぞ。さっきの患者さんが帰ったら、学校に迎えに行こうと思ってたんだから」
「そうだったんすか……。ほんとに、すいませんでした……」
「いや。ひとまず、ふたりとも元気そうでよかった」
風太は、太郎に
施術が終わったあと、風太は雅とタクシーに乗り、帰宅した。タクシーの後部座席で揺られながら、風太はぼんやりと物思いにふける。太郎の今日の様子を見る限りでは、一星の言う通り、怒らせると怖いことは間違いなさそうだった。だが、それ以上に、太郎はとても優しい人で、良い父親だった。
ちゃんとしたお父さんって……、きっと、あんな感じなんだなぁ……。
「ねえ、風太。太郎さん、いい人でしょ」
「ん……、あぁ、そうだね」
「優しいし、かっこいいし」
「うん……。怒ると怖そうだけど」
「そこがいいんじゃなーい」
「まあね」
「母ちゃん、よかったね」
「え……?」
「いい人、見つけたじゃん」
窓の外を眺めながら、そう言ったあと、雅の視線を感じる。だが、すぐに視線は