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2-6

 それから、ほどなくして。風太は一星におぶられたまま、鎌倉駅前の接骨院へやって来た。店の前でやっと背中から下ろされて、看板を見上げる。そこには「みなもと接骨院」とあった。


 なんで知らなかったんだろう……。ここ、こいつんちの病院だったんだ……。


 風太はこれまで、あまり大きなケガをしてこなかったので、まったく知らなかったが、たしか、この接骨院はかなり古い医院のはずだ。それこそ、風太が幼い頃、鎌倉へ越してきたときには、すでにあった気がする。


「はぁ……」

「なに、ため息なんかいてんだよ」

「いや、だって……、太郎さんに今日のこと話したら、怒られるだろ、絶対」


 そう言うと、途端に一星は青ざめたような顔をして、風太の肩をつかんだ。見慣れない彼の表情に、風太は思わず身構える。


「風太、いいか。父さんたちに決闘の話はすんな」

「え、なんで――……」

「なんでもだよ。お前……、死ぬぞ」

「え……、死ぬ……?」


 風太は言葉の重さに、顔を引きつらせてき返した。すると、一星は頷き、接骨院の入り口を一瞥いちべつし、話し出した。


「あぁ……。父さんは今、本気で雅さんやお前と、家族になりたがってる。父さんの脳内じゃ、お前もすでに『うちの子』状態なんだ」

「あ、そう……。それで……?」

「うちの身内には、昔からおきてみたいのがあってさ。それ破ると、すげえ怒られるんだよ」


 つまり、お前も例外じゃない、とでも言うのだろうか。風太はおそるおそる、いてみる。


おきてって、どんな……?」

「家族、友だち、仲間と仲良くすること」

「なーんだよ、それ。ってか、そういうのフツウじゃね? 幼稚園くらいから、大人に口酸っぱく言われるやつだろ」

「いや、そうなんだけど……。うちの父さんの叱り方は、ちょっと……、フツウじゃないと思う。俺たちが決闘したなんて知ったら、正座の説教、一時間コースは堅いぞ」

「正座で説教、一時間……」

「とにかく、決闘の話はすんな。フツウに稽古で足くじいたってことにするぞ。それが、俺たちの生き残れる道だ」

「お、おう……」


 あまりに大げさだとは思うが、息子の一星が言うのだから、ここは従うしかない。――と、ちょうどその時だった。


「おっ、一星くんじゃないか! ……あれ、友だち?」


 突然、院内からひとりの男が出てきて、一星を親しげに呼んだかと思うと、風太の顔をのぞき込む。背が高くて体格のいい、容姿端麗な男だった。白いスクラブを着ているところを見る限り、彼は、接骨院に勤務している整体師なのだろう。ふと見れば、胸元に名札をつけていて、そこには「副院長・神崎」と記されていた。


「タケルさん、こんちは。こいつは剣道部のチームメイトで――」

「もしかして、キミ……。雅さんちの風太くん?」


 妙に察しがいいのが気になったが、ひとまず風太は「うす」とあいさつをして、頭を下げる。だが、その途端、神崎は一星と風太の背後に回り、かすようにして背を押した。


「ちょうどよかった、早く入って!」

「ちょっ、どうしたんですか、タケルさん……」

「さっき、雅さんのスマホに、学校から電話がかかってきてね。院長が、激おこなんだよ……」

「え……」

「なんか、一星くんと風太くん、勝手に無茶な稽古したんだって? 風太くんが倒れてケガしたって。ほんとなの?」


 一星と風太は無言のまま、同時に顔を見合わせる。見れば、一星の顔は、まるっきり血の気がない。だが、風太は同時に、自分の顔もまた、彼と同じく青ざめているのだろう、と察した。


「あ、いや――……、それは、その……、はい……」


 一星は、なんとか言い訳しようとこころみたようだったが、あきらめたのだろう。しぶしぶ、うなずいた。考えてみれば、これはべつに、驚くようなことでもない。保護者に連絡するとか、しないとか、特段、烏丸は話していなかったが、風太は今日、ただ、足をくじいただけではなく、脳震盪のうしんとうを起こし、意識を失ったのだから、保護者への連絡は当然だった。何事もなく、意識が戻ったからよかったようなものの、なにかが少しでも違えば、本当に生死にかかわる事態にもなり兼ねなかったのだ。


 そりゃあ、先生だって母ちゃんに電話するかぁ。でも、あれ……、ってことはやばくない……? おれも、このあとけっこうピンチじゃない……?


 風太の心臓が、極度の緊張で急激に高鳴り出す。烏丸から電話をもらった雅が、もう今にも爆発しそうな怒りを必死にこらえながら、無理やりに笑顔を作って仕事をしているのを、想像せずにいられない。きっと今頃は、風太を脳内でどう説教してやろうか、と考えているに違いなかった。


 やべえ……。今のおれらって、もしや、飛んで火にいる夏の――……、夏の……。夏のナントカじゃねえか……!


 思い出せそうで思い出せそうにないことわざを思い出すのはあきらめて、風太は一星とともに院内へ入る。すると、そこはすぐ目の前が受付になっていた。風太は反射的に身構える。たしか、雅はこの接骨院の受付の仕事をしているはずだ。――しかし、そこには今、雅はいない。風太はひとまず、ほっと胸を撫で下ろした。


「あれ、雅さんは?」

「今日は風太くんのことがあったから、先に上がることになって、今、着替えてるよ。それにしても、どうしてふたりとも、そんな無茶したの?」

「そ、それは――……、あの、おれが……」

「すみません、風太と稽古してたら、ちょっと熱くなりすぎちゃったんです」

「やりすぎは禁物だよ。たいしたケガじゃなくても、スポーツマンにとっては、長く付き合うことになる可能性があるんだからね」

「はい」


 一星……。


 今日、職員会議で烏丸が不在になるタイミングを狙って、決闘をしようと一星に持ち掛けたのは、風太だ。決闘のやり方も、風太が決めた。一星は風太の誘いに乗っただけだ。そう説明しようとしたが、一星は明らかに意図的に、風太の言葉をさえぎった。そうして、ちら、と風太に目をやり、かぶりを振る。まるで、お前はなにも言うな――とでも言うようだった。


 もしかして、こいつ……。おれを守ろうとしてんのか……?

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