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2-5

「悪かったな……。おれのせいで、お前まで怒られてよ……」

「いや。一瞬、ほんとに死んだかと思ったから。生きててくれてよかった」


 保健室で、念のために体にケガがないかどうか、てもらったあと、風太は一星と帰路についた。保険医に事情を話すと、風太はいくつか質問をされたあと、おそらく軽い脳震盪のうしんとうを起こしたのだろう、と言われ、明日、念のため病院へ行くように伝えられた。それ以外にも軽度ではあるが、左足をくじいていたことがわかった。


「はっ……、よく言うぜ。ほんとはおれがぶっ倒れたまま、死んじまったほうがよかったんじゃねーか」

「そんなわけないだろ。……心配かけさせやがって。そもそも、発想が無茶なんだよ」

「はいはい、悪かったよ……。――っとと」


 不意に、くじいた左の足首をかばってよろけてしまったが、一星が支えてくれる。


「足、大丈夫か」

「……へーきだよ。ちょっとくじいただけだから」


 そう言って、足を振って見せる。烏丸は、風太の左足首にテーピングをしようとしたが、風太はそれを断った。くじいたといっても、それほどのことはないし、そもそもテーピングはあまり好きではないのだ。テーピングをすると、わずかではあるが、いつもの感覚がにぶって、動きにくくなる。ところが――。


「風太、行こう」

「は……。どこに」

「父さんのとこ。やっぱり足も、ちゃんとてもらって、テーピングしたほうがいい。ねんざってクセになるっていうから……」

「いいってー、そんなもん」

「だめだ。少なくとも、公式試合までには治しておかないと――」

「いや、治るだろ。こんなの、ただのねんざだぜ?」

「治らなかったらどうするんだよ! お前は、チームの大事な戦力なんだぞ! わかってんのか!」


 珍しく一星が感情的になったので、風太は思わず口をつぐんでしまった。それに、彼に言われたことは、たしかにその通りだ。一星にはあと一歩、力が及ばないとしても、チーム全体で見れば、副主将である風太は二番手。抜けるとなれば、チームにとっては大きな痛手になる。


「……わ、わかったよ」


 風太は仕方なくそう返した。だが、次の瞬間。一星が不意に、風太の前で背を向けたまま、しゃがみ込んだ。風太は、首をかしげる。


「なにやってんの、お前……」

「おぶってやる」


 おぶってやる……?


 目をぱちくりさせ、慌ててかぶりを振った。おぶってやる――。それはつまり、風太が一星におんぶされる、ということだろうか。


「おんぶ……なんて、い、いらねえよ! なに考えてんだ、ばか!」

「なるべく患部は動かさないほうがいいって、保険医の先生も言ってただろ」

「だからって、おぶられるほど重症じゃねえし、そもそも、男がおんぶされるなんて、カッコ悪いだろーが!」

「カッコ悪くても、その分、ケガが早く治るかもしれなかったら、そのほうが絶対にいいだろ。予選会までそんなに時間ないんだから、優先順位つけて考えろよ。甘く見てると、ねんざはくせになるし、治りが悪くなることだって本当にあるんだぞ」


 あいかわらずの冷静に正論で返されて、風太は言葉を失う。だが、一星はお構いなしだ。背を向けたままで振り返り、早くしろ、と言わんばかりに風太をにらみつける。風太は舌打ちをして、周囲を見回した。だが、かぶりを振る。夜を迎えたばかりの鎌倉の町は、まだ人通りが多い。ここで、おんぶされるのなんて、プライドが許さない。


「いや、無理だって! よりによって、お前におんぶなんかされんの、ほんと無理!」


 すると、一星は振り返ったまま、口角をにやりと上げた。不敵な笑みに、風太は思わず身構える。


「風太……、お前、本当にわかってないんだな」

「なにをだよ」

「忘れてるのかもしれないけど、お前は今日、俺との決闘に負けたんだぞ?」


 そう言われて、途端に奥歯を噛み締めた。とてつもなく悔しいが、言い訳のしようもない。互いに意識を失いそうになりながら、必死に戦った末、倒れたのは風太だった。それは、まぎれもない事実だ。そして、もし、この決闘に負けたら、なんでも一星の言うことを聞くと、風太はたしかに、そう約束した。


「風太、早くしろ」

「くそ……ッ、わかったよ! その代わり、病院の手前でぜってー降ろせよな! 母ちゃんと太郎さんには、お前におんぶされるとこなんか、死んでも見られたくねーから!」


 そう言って、しぶしぶ、風太は一星の背中に体を預ける。一星は軽々と風太を背負ったまま、立ち上がった。風太はもう、恥ずかしくてたまらない。とにかく一刻も早く、駅前に着いてくれ――と、心の中でひたすらにそう願いながら、顔をうつむかせる。すると、歩き出して、すぐ、一星はぼそりと呟いた。


「やっぱさ……、ほんとにガキだよな。お前って……」

「な……っ、ガキじゃねえ……ッ! いいか、ガキってのは、ガキっつったほうがガキなんだかんな!」

「……なにそれ、意味わかんねえんだけど。でも、ほんと、死んでなくてよかったよ……。お前がさ、ちゃんと生きててよかった……」


 いつも通りの憎まれ口のあと、少し笑みを含んだ声で、静かにそう言われてたのには、さすがに動揺させられる。いつも、口を開けばバカにされ、からかわれ、嫌味を言われ、まったくムカつくライバルだと、そう思っていたというのに。


「そ、そうかよ……」

「うん……」


 急になんだよ、こいつ……。調子狂うじゃねーか……。


 それから互いに、無言になった。風太は一星の背中を見つめる。見つめながら、考える。もしかしたら、風太はずっと誤解をしていたのだろうか。一星はひと言多いヤツだと、発言に目くじらを立てて、腹を立て、自分を嫌っていると思い込んでいたが、本当は、彼にも優しい一面があるのかもしれない。今まで、風太が理解できなかっただけなのかもしれない。そんなことを、思ってしまう。


 ……ムカつく奴だけど、悪いとこばっかじゃなくて、いいとこも、あんのかもな。太郎さんも、優しそうだし。


 ところが、そう思った時だった。


「それにしても、これから風太は俺の言うこと、なんでも聞いてくれるんだよな。来週から、すげー楽しみ」

「は……」

「なにしてもらおうかなぁ。今から、しっかりリスト作っておかないと」


 こ、こいつ……!


 前言撤回だ。風太はおぶられたまま、一星の脳天をにらみつける。このまま、全力で頭突きでもお見舞いしてやりたい気分だが、そんなことをすれば、来週から、一星になにをされるかわかったものではないし、とんでもない注文をつけられるのも困る。なにしろ、今日、風太は決闘に負けてしまったのだから。


 あぁ、もう……。おれの人生、どうなっちゃうんだよ……。


 現状、風太の未来は、お先真っ暗の踏んだり蹴ったり、と言っても、過言ではない。この春から、あまりにひどい展開が続いている。二年間、いがみ合ってきたライバルと同じクラスになったと思えば、親同士が再婚。自ら吹っかけた決闘には負け、来週からはライバルの弟として、強制的に同居させられ、しいたげられる運命だ。


 こんなことなら、最初から大人しくしていればよかったのかもしれない――と、後悔したが、今さら、タラレバを言ってみたところで、どうしようもない。風太は、絶望の淵に落ちていくような心地で、一星の背中を見つめた。

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